僕はこの5年で、じいちゃんとばあちゃんを亡くした。

 

 

1人は、倒れて2週間で倒れ、そのまま亡くなった。

それまでは、日常生活を送り、ボケることもなかった。

孫の僕と会話をまともにした記憶のまま、亡くなった。

 

魚が好きな人だった。

食事は栄養を考えられたものを食べていた。

 

 

 

もう1人は、約2年間、施設に入り、亡くなった。

痴呆とガンを患いながら。

親は毎週金曜夜に夜行バスを使って石川県に向かい、

日曜の夜行で東京に戻り、そして、月曜朝に着いたら、出勤した。

それが2年間。

 

栄養については、正直、それほど気に掛けていない人だった。

 

 

どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、

僕は”健康は大事だ”ということを改めて学んだ。

 

2人とも大好きであることには変わりはない

 

どちらも亡くなったことは悲しいことなんだけど、

楽しい思い出を多い状態で亡くなることは、

周りにとっても幸せなんじゃないのかな?って思う。

 

 

 

また、似たようなことだけど、

陸上競技をしていた時、高校以降は怪我と向き合う時間がいくらか多かった。

 

最初の肉離れと靭帯炎症は、

レントゲン⇒電気⇒湿布⇒安静

で治していたけど、

 

次からは、怪我をすること自体が勿体ないと思うようになった。

予防について考えるようになった。

 

「怪我をした後の知識」を増やすより、

「怪我をしない為の知識」を増やす方が、

ハッピーだと思うから。

 

それは、怪我を何度もしたからそう思う。

 

「病気⇒薬」ではなく、

「栄養⇒元気」の方が良くない?

 

そういう話。

 

 

 

 

僕が健康について考える時、

あるいは、誰かに健康について語る時、

 

これらのことが前提となっている。

 

 

 

似たようなことを思う人、経験している人もいれば、

全くこれまでの人生で無関係だった人もいる。

 

経験していたとしても、そうは思わない人もいる。

「運が悪かった!」ということで終わる人もいる。

 

 

 

運もあるとは思う、少なからず。

 

 

でも、

 

コンクリの壁を全力で殴ったら怪我するレベルで、

運以外でもわかってきたことはある。

 

 

 

そうであるなら、

少しは伝えたくならない?