もちろん、私たち夫婦もつまらないことで喧嘩し、元々は他人であり、生まれも育ちも異なれば、出会う前、また出会った後も感受性や価値観が違うのだから食い違うのも無理はないと思う。

そんな中で何か信じ合えることがあるからこそ今日まで、そしてこれからもやっていける事も真実である。

聖人君子でいられない。
女性の性は多分、信頼され、大切にされ、心から崇拝された時にこそ開かれるのだろう。

その点、男なんてものはいくつになっても5歳児だ。
ちょっと叱られると切れたり、駄々をこねたり、自己弁護に躍起になる。
褒められると図に乗って、調子に乗りすぎて調子外れになり、仁道から脱線する。



うまくおだてればうまく行けば成功するかもしれないが、それはまるで、ネズミが繋いだ綱で牛を引っ張るようなもの。
まさにカミさんが子年で私が丑年生まれであることが如実に物語る。

それよりも、日常の細かいことは俯瞰して観て、もっとその背後や奥に潜むそれらを根本的に左右している実相を探求することが肝心だろう。

自分のことながらやれやれとしゃがみ込みたくなる時がある。

相手を変えようとしても変えられるものではない。
せめてできることは、そうなってもらえるように環境を整えていくか、自己変革しかない。

そして学びと思索、労働等々、つまり生活者として真剣に生きるしかない。