早いもので、母が亡くなって1年経った。
日曜日に家族で1周忌の法要を行った。

お寺でお経読み、墓参り 会席の流れ。
お寺の本堂まで駐車場から

車椅子を押してもらい

最近増設した車椅子用のスロープで

ゆっくりと登り本堂へ。
最近は座ってお経を読むとのではなく
椅子が並べられていて
私のような人やお年寄りには助かる。

ただ、お焼香になると煙がこたえる😰


その後車をつらねてお墓へ移動。


このお墓は5年前に建てたものだ。

父の50回忌を機に移転。


それまで車なら1時間以上。

バスなら2時間以上かかっていた父のお墓バス


実家の東方にできた新しい霊園は車で2 分。

散歩がてら歩いても10分。

駐車場や設備も整っている。

身障者用駐車場から降りてすぐのところを購入。小さなお墓だが参りやすくなった。

お墓からは野球の強豪校のグランドや野球

自宅が見える。


お墓を移動させるとき開眼供養を行った。

お坊さんに

一般的に35回忌位までで

50回忌を行うところは

最近ではあまりないと言われた。

それだけ早く父が亡くなったということだアセアセ

3人姉兄弟

力合わせてお墓を建てられ感慨深かった。


母のお墓参りの思い出。

朝からお弁当作りバスを乗り継いで

3人の子供たちを連れて行ってくれた。

父が早くに亡くなったせいで

しばらくお墓は建てられず。

木の墓標とどこから持ってきたのかわからない

大きな石が置いてあった。

私が12歳、弟が10歳 末弟が3歳だった。


バスを降りてしばらく歩き

坂道を上がってお墓に着くと

私たちは桃畑桜やマスカットのハウスの広がる

景色を眺めながらお弁当をほおばった。


いつの間にか小さなお墓と

後に供養塔が建った。

それは母の実家が援助してくれたものだと

後で知った。


父が亡くなった時、母は36歳だった。

あの頃の母はどんな思いだったろうと

今になるとあれこれ考える。


3歳だった弟は父の顔も覚えていないと言う。 

母親と3人で通った墓を移動させることに

私は少しためらいもあった。

私が強皮症になり坂道が上がれなくなったこと

末弟のお嫁さんも6年前に乳がんを指摘され

初期だったため根治できたが

2人とも死を身近に感じるようになって

お墓が参りにくいねと言う話が出た。


長男の弟は独身なので

常日頃自分の墓に関心がない。

もともと男性はこういった行事に

あまり関わってこようとしない。

いつだったか

自分が亡くなったら散骨してほしいと

言ったことがあったびっくり


誰がするんじゃガーン

余計煩わしいわプンプンと心の中で思った。


冠婚葬祭は女性が取り仕切っているケースが多い。


私は強皮症になりいずれ在宅酸素と言われた

タイミングで自分の墓を建立した。

ちょうど父が50回忌を迎える前年度だった。


施設入所の母が心臓発作を起こしたり

考えなくてはいけない状況となり

家族で相談し移転に至った。


母が亡くなって1連の行事が終わった時

弟のお嫁さんから

ちゃんとお墓を移転させていて良かったですね。

と言われた。

父と母の墓は

弟2人とお嫁さんの連名で建立した。

お嫁さんが協力的で

しっかりしていたのが何よりだったと思う。


末弟が今は中心になってくれているが

今までの行事をほとんど

私と母でやっていたし幼かったので

末弟は何も知らないと言っていい苦笑

これからは代が替わっていく

バトンタッチできて少しほっとした。


久しぶりにお寿司と和食のお店で

フルコースの懐石をいただいたが

とても美味しくて良い時間だった。

私には量が多すぎて食べれなかったけど爆笑

上の弟は

趣味のスイミングや英会話の話。

下の弟は趣味のおやじバンドの話。

みんな何とかここまで来たね照れ


今年65歳になる上の弟が退職すると言うことで

姪たちから花束を送られ拍手花束

おばあちゃんのお世話や

お仕事お疲れさんの会にもなった。


来年は3回忌。

自分がそこを迎えられるかどうか。

私に限らず、人は何が起こるかわからない。


まずはここまでの日々に感謝しながら

ゆっくりその日が来るのを

丁寧に過ごしていこうと思った。


ご訪問ありがとうございましたルンルン