ASIAN JAPANESE | 旅烏 夜を追いかけて 朝を背に

ASIAN JAPANESE

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 流動的な日常の醍醐味に、人との出会いがある。その街の印象は、誰と出会い、何を話したかで決まると言っても過言ではない、少なくとも僕の場合は――。
 これは、武漢での話。武漢――映画『レッド・クリフ』のタイトルにもなった古戦場・赤壁を抱える大きな街である。僕は武漢の≪pathfinder international youth hostel(探路者国際青年旅舎)≫で、ケビンというカナダ人の男性と出会った。29歳。誰にでも気さくに話しかけ、すぐに仲良くなれる、僕の眼に映る魅力的な人間。彼はヒップホップとアジアの街が大好き。現在は中国で幼児の英語教育をしている。
 とある武漢での夜、宿のバーカウンターにて――僕はケビンと、宿の中国人スタッフと一緒になって、青島ビールを飲みながら様々な言語を通じて談笑していた。するとその途中、ケビンが「煙草を吸いに行こう」と言って、僕だけを屋外のテラスへと誘った。煙草に火を点けると、彼は大きな体に似合わない小さなベンチに座り込み、「きみは中国人が好きか?」と突如僕に訊いてきた。英語が苦手な僕だけど、彼は幼児の英語教育をしていることもあって、非常に聞き取りやすいシンプルな英語を話してくれる。(You like Chinese?) おそらくこういった極単純なセンテンスだったと思う。きみは中国人が好きか――。何の前触れもない直球の質問に少し狼狽する。僕はしばらく考えたのち、「もちろん。嫌いだったら中国には来ていないよ」と答える。彼はほっとしたように煙を吐き出す。
 事実、僕は中国人を嫌いではない。ケビンに答えたとおり、嫌いだったら中国を旅路に選んではいない。その民族気質の違いから、時に日本では考えられないほど粗暴な態度を取られることもあったが、慣れてしまえば、特に気にならなくなる。それこそ慣れるまでは、腹が立つことこそあっても、いわゆる「嫌悪」の感情が芽生えることなど一度もなかった。そのようなマイナスの面よりも、僕は何度も中国人の優しさに救われてきた。道を尋ねると親切に目的地までついてきてくれ、宿を探すときは見つかるまで一緒にいてくれる。とあるカップルは、僕が一人旅をしているという、ただそれだけの理由で、夕食をごちそうしてくれた。列車の移動中に少し言葉を交わしただけの乗客の男性は、きみを最後まで見送りたいからと、僕が駅でタクシーをつかまえるまで傍に居てくれた。旅の途上においては、剥き出しの弱さに、人々の優しさが余計に沁み入る。なぜ見知らぬ人間にこんなに優しくいられるのだろう。当然のことを当然に思えなくなってしまっている自分の荒んだ感性を、少し疑ってみたりする。僕にとっての中国は、温かな国だ。
 ケビンは僕の答えを聞いて、こう言った。「――そうか。それなら良かった。僕は中国人の小さい子どもに英語を教えているんだけど、彼らは皆、口を揃えて(I don't like Japanese)って言うんだ。こんなに小さい子供がだよ?」彼は地面から1メートルもない空間に手を添える。「なんでそういうことを小さい子どもが言うのか僕にはわからない。きっとパパやママが教えてるんだろうね。きみはELE(イー・エル・イー)って言葉を聞いたことがある?」――ELE? 僕は首を傾げて知らないと答える。「ELE。Everybody Loves Everybody。みんながみんなを愛している。これでいいんだよ。国も肌の色も関係ない。こんなにシンプルなことでいいんだよ」
 彼はクリスチャンでも何でもない無宗教の人間。しかし考えているのは博愛主義。それが彼の中での真理なのだろう。みんながみんなを愛する。初めて聞いた言葉ではないのに、中国の大地で、カナダ人の彼が、日本人の僕を選んで発してくれた言葉は、特殊な気色を帯びて、僕の大切な記憶の一つとなった。

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 その後、再びバーカウンターに戻ってビールを飲む。しばらくすると、そのとき一緒に飲んでいた中国人の女の子が、僕をインターネットのある部屋へと誘ってきた。彼女は日本のアニメや映画が好きらしい。様々なウェブサイトを開いて、「これも好き、これも好き」と嬉しそうに話してくれた。しかし突如として、神妙な面持ちに変わり、「そういえばあなた長崎の出身でしょ?アメリカ人のことをどう思うの?」という質問を僕に投げかけてきた。またもや僕は狼狽する。僕がいま立っているのは異国なのだと、そしてここは国際青年旅舎なのだと、改めて実感する。僕は「大好きだよ。なんで?」と訊ねる。質問の理由をわかっていながら、僕は素知らぬ表情で対応する。「だってあなたの街に爆弾を落としたのは彼らでしょ?なぜ好きって言えるの?」。彼女の表情は真剣そのものだった。僕は言葉を選びつつも拙い英語で「……たしかに直接被害にあった高齢者の人たちの中には、アメリカを嫌っている人がいるかもしれない。だけど若者を含めた多くの人々は嫌いだとは思っていないよ」という説明を彼女にするが、うまく伝わったとは思えない。それに僕の狭いボキャブラリーでは、自分が真に考える意見を述べることができなかった。彼女に説明した内容は、ほんの一部に過ぎないのだ。それがものすごく悔しかった。
 いずれにせよ、この日に起きた、この二つの出来事は僕の記憶に根深く巣食った。ここは異国であり、中国であり、そして僕は日本人であり、長崎という街で生まれたのだと、今まで気に掛けることのなかったアイデンティティに、再び輪郭を描くこととなった。悲しい歴史を忘れてはいけないが、それに縋ってばかりだと、世界の未来は明るくない。戦争を知らない欧米人のケビンや、戦争を知らない中国人の彼女や、戦争を知らない日本人の僕が、共に楽しく酒を飲めるバーカウンターが、現代世界には幾つあることだろう。

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 そうして僕はふと、キング牧師の言葉を思い出す。

I have a dream that oneday on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slaveowners will be able to sit down together at table of the brotherhood.

 私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちと、かつての奴隷主の子孫たちとが、共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろう。


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僕はその翌日、ケビンや宿のスタッフに別れを告げ、武漢の宿を去った。

これが僕が武漢で経験した、ちょっとした小噺。

つづく。


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タイトルに使用した『ASIAN JAPANESE』は小林紀晴著の紀行文から引用。普段なら陽の目を見ることのない日本人の旅人を劇的に切り取ったロングセラーの旅物語。