2022年1月21日(金)
術後8週目 外転装具除去後7日目
今日は、無許可のを運転して、リハビリに行きました😅
1ヶ月半も運転せずに放置していたはもちろんバッテリー上がりでエンジンかからず、どうしようかと悩んでいましたが、近所のガソリンスタンドの方が私の入院の事を知っていたので、すぐにジャンプスターターを持ってきてエンジンを起動してくれました
一昨年、左上腕骨骨折の時も装具を付けたまま運転していたので『なんとかなるさ!』と思い、病院まで運転してみました
2月からの復職の事も考え、とにかくに慣れようと必死ですよ
病院までは徒歩で35〜40分かかりますが、車では15分ほどでやっぱり楽ですね
でも、きっと左腕は緊張していたんだと思います。痛みは無いのですが左肩周辺が異様に硬くなっているように感じました
リハビリではいつもと同じメニューで15分ほど行ない、帰りに駅前のマクドナルドでお茶して帰りました
さて、帰宅後は気が重いなぁ…と思いながらも職場へ電話をしました。
直接、職場まで行って話をした方が良いのかもしれませんが、師長と顔を合わす勇気(精神力)はまだありません
診断書を提出(1/14)してから今日までの約1週間で2月1日からの復職でしっかり気持ちを切り替えました
(最初は、駄々をこねて休職延長をお願いしようと思いましたが、このBlogを通し皆さんからの温かい言葉や徐々に復職されている方々のBlogを拝見し、私も前向きに無理せず頑張ってみよう!と決心しました)
・・・しかし、予想外の展開
電話に出るなり
師長『あ〜、管理課に診断書持っていったら、これじゃ、1日からの復帰になるって。2月15日までのシフトはもう出来てるからなぁ』
私の心の声(いや、わかってるよ。もう、決心したんだから…)
師長『2/15までは半日(午前)勤務で午後は有休にしとく?』
私『15日以降もリハビリは続くので、有休はできるだけ残したいのですが…あと、復帰しても週2〜3回のリハビリは可能ですよね?』
師長『リハビリはいつまでするの?あと1ヶ月?2ヶ月?』
私『あの〜まだまだ続きます(最初の診断書に半年〜1年って書いてあったでしょう!)』
師長『じゃ、有休をフルで使っても足らないじゃない。え〜ぇ、どうするの?』
私『あの〜、主任には伝えていたのですが2月いっぱいリハビリに専念出来たら、3月からはリハビリを週1〜2回に減らして、リハビリの日だけ半日勤務にしていただければ振休や代休を使って勤務が回ると思うのですが…』
師長『じゃ、なんで復職は3月からっていう診断書を書いてもらわなかったのよ!もう一回、診断書を書き直してもらってきて!』
私『わかりました。次の診察は27日なので主治医に伝えてみます。何度もすみません…』
私の心の声『そもそも、年明けの挨拶に行った時、あなたが外転装具が外れたら右手は問題ないから仕事をするように言ったじゃん』
師長『じゃ、3月からの出勤でシフトを組むからね。3月16日からは夜勤に入ってもらうから!』
私『えっ?わ、わかりました よろしくお願いします…』
以上、復職に関する話し合いでした。
あれっ、私の決意は何だったの
まず問題点
①年明けの挨拶で精神的ダメージを強く負ったあの復職問題を(師長)忘れている
②主治医の先生、診断書の書き直しに応じてくれなさそう
③復職後、2週間ほどで夜勤って…
やっぱり2月1日からの復職は無理!夜勤って軽作業じゃない
☆透析科の夜勤とは
居残り勤務︰8:45〜21:00までの勤務
準夜勤︰13:45〜22:15までの勤務
17:15以降、看護師の人数が7〜8人3人になる。普通に勤務していてもかなりキツイ
それを軽作業までの私に夜勤なんて…
【その業務、私には出来ないからごめんね】では許されない状況である😱
きっと、誰しもが『動けないなら、メンバーに入らないで!動けるようになってから復帰してよ』って思うはず
結局は無理をしないと働けない状況に追い込まれる…
先生、診断書に夜勤はしばらくダメって書いてくれないかなぁ