善悪を知る木と、命の木の正体についてまずは少し考察しておこう。

 

以前、善悪を知る木の実とは遺伝子疾患を引き起こす種類の成分が入っている可能性について一言だけ言及しておいたが、それに真実味はあるのかなど、ここではより詳しくそれら木の実の正体について迫ってみたい。

 

今現代、これらの木の実についてどのようなことが言われているのか、ヒントになるような情報を探していたのだが、それから関連性の高いものをピックアップしておくとする。

 

それが遺伝子の末端にあるテロメア、また酵素であるテロメラーゼが鍵になるのではないかと目星をつけたのだ。

 

 

これによれば、p53遺伝子Rbタンパク質を抑制しつつ、適度のアポトーシス、そしてテロメラーゼを恒常的に活性化し続けることができれば、理論上は不老不死となることが可能というわけだ。

 

これを可能とするのがまさに、命の木の実ということになるだろう。

 

成分としては良質なたんぱく質とビタミン、ミネラル、ω3脂肪酸、コエンザイムQ10、などの栄養素がバランスよく含まれているもの、といった具合だろうか。

 

善悪を知る木の実の”善悪を知る”とは、ひょっとすると生と死を暗示しているのではないかと考えが浮かんだ。

 

つまりこれを食べることによっていつか必ず訪れる死という概念を知る、それによって生とは何かを知る、といった具合に。

 

逆に命の木については、そもそも永遠の生という概念しかなく、死を知ることがないということになるか。

 

それはそうと、善悪を知る木の実とは、よくイチジクとかリンゴ、ブドウ、バナナ、ザクロのことだと言われてきたが、果たしてどうなのか?

 

どれもこれも栄養価が高い果物ばかりであるが、それらの成分を見ても、とても死に至る食べ物とは想像がつきにくい・・。

 

また一つの可能性として、実は善悪を知る木の実とは何か幻覚作用を引き起こす食べ物のことなのではないか、との考えがなんとなく浮かんではいたが・・確証はない。

 

そもそもの話だが、それら禁断の果実については一般的な解釈では、特に食べ物自体に意味はなく、神の命令に従うか背くかを自由意思で選択させるための試練に用いられただけといったふうに説明されることが多い。

 

要は、木の実を食べることによって罪責を感じ、それに恥じ入り自分が裸であると知ったという精神的なトラウマと共に、神の宣言通りに死を招いたというニュアンスである。

 

この説明を聞くとなるほど、うまいこじつけを考えたものだと感心してしまいそうになる。

 

だが本当にそうか?

と私は疑問を抱く・・。

 

善悪を知る木と命の木という二つの木がエデンの園の中央という、目立つ場所にあったはずだ。

 

もしも最初に命の木の実を食べていたらどうなっていたのかと考えてみて欲しい。

 

命の木の実は食べても良い木のはずだったのだから、それを食べた後で、善悪を知る木の実を食べてしまう可能性は十分にあったはずだ。

 

果たして神がその危険性を認識していなかったとでも言うのか?

 

それではあまりにも無防備すぎるではないか。

 

 

神である主は人を追い払われた。そして命の木への道を守るためにエデンの園の東にケルビムと煌めく炎の剣とを置かれた。(創世記3・24)

 

 

この記述を読んでも分かるように、失楽園後、神はアダムたちが命の木の実を食べないように相当に警戒していると見て取れよう。

 

つまり善悪を知る木の実だけは食べるなと警告はしていても、先に命の木の実を食べてしまっていては神にとって大変不都合な事態になる可能性があったということである。

 

だからあらかじめ、命の木の実をも食べないように警告するのが、当然・・ではないだろうか。

 

そこでよく聖書を読み直してみると、実はどちらの木の実も食べてはならないなどと神にさらに付け加えて警告されていたように思える箇所があるのだ。

 

 

女は蛇に答えた、「園にあるどの木の実も食べてよいのですが、『園の中央にある木の実は食べてはならない。また触れてもならない。お前たちが死ぬといけないから』と神は仰せになりました」。(創世記3・2、3)

 

 

これは神が女であるエヴァにだけ語ったということなのか?

 

”園の中央にある木の実”とはこの場合、善悪を知る木と命の木両方の木であると解釈できる。

 

もしそうならば、アダムが命の木の実を食べることについては許容しており、エヴァには許容していなかったとなるのかもしれない。

 

だがその後の記述を見ていくと、どうやらやはり善悪を知る木のことのみを言っていると判断するのが正しいように感じる。

 

 

しかし蛇は女に言った、「いや、あなた方は死にはしない。それを食べると、あなた方の目が開かれて善悪を知り、神のようになることを、神は知っているのだ」。(創世記3・4、5)

 

 

これは神が食べてはならないと警告を発していた善悪を知る木の実が、その後で蛇が実を食べれば神のようになると、女であるエヴァに食べたくさせるようきっかけを与えている場面だ。

 

 

・・さて話がまとまりを欠いてきそうなので、今一度考えを整理し、今回の本題に迫っていこう。

 

そもそもアダムたちは草食の形態で生きる存在であって、もし何も食べなければ生きられず死ぬことになる(過去記事参照)。

 

そこで神が善悪を知る木を食べれば必ず死ぬという意味をよくよく考える必要が出てくる。

 

命の木の実については神は特に何も制限や警告を与えておらず、それをアダムたちは食べていた可能性もあるわけだ。それにも関わらず善悪を知る木の実を食べれば必ず死ぬ、とはどこか矛盾するのではないか?

 

善悪を知る木の実を食べれば必ず死ぬのなら、命の木の実を食べても死んでしまうとなり、やはりどこかおかしい。

 

なぜなら善悪を知る木の実を食べても、命の木の実を食べれば死ぬことはなく永遠に生きる事ができると神自身が明言しているのだから、”善悪を知る木の実を食べれば必ず死ぬ”という表現は嘘になってしまうのだ。

 

 

見よ、人は善悪を知り、われわれのひとりのようになった。今や、人は命の木の実を食べ、永遠に生きるであろうから、彼が手を伸ばしてこれを取らないように(創世記3・22)

 

 

となると、神は嘘をついてまで、善悪を知る木だけは食べてもらいたくなかったという気持ちを表しているだけだ、と読み取れる。

 

それはつまり余計な知識を持たせず、ただ神に従順なしもべとして生きていてほしかった気持ちの表れであろう。

 

そこに神がアダムらの自由意思による選択を尊重するとの意図が入る余地はまったくない。

 

なぜなら、神は次のように言っていることからもその考えが正しいことは明白ではないか。

 

 

そこで神である主は女に仰せになった、「お前は何ということをしたのか」。(創世記3・13)

 

 

それにその後も蛇とアダムやエヴァにその報いを受けると創世記3・14~19にて厳しく語っているではないか。

 

これが聖書を忠実に解釈するということではないのか。

 

さて、ここまでを踏まえれば、二つの木については正確には次のような解釈が正しいとなるはずだ。

 

善悪を知る木の実を食べなくても、他の青草や木の実を食べていれば永遠に生きられるかというと必ずしもそうではなく、それだけでは不十分であり、それらに加えて命の木の実をも食べる必要がある。

 

そして例え善悪を知る木の実を食べたとしても、他の青草や木の実と命の木の実さえ食べれば死ぬことはなく永遠に生きる事が出来る・・

 

ということになる。

 

それなら善悪を知る木の実の成分がどうのと言う話には意味がない、それが分かったところで結局、青草や命の木を除く他の木の実を食べていただけでは、もともと必ず死ぬ運命だったのであるから。

 

そうであれば、ますます善悪を知る木とはアダムたちが食するために植えたのではなく、神自身が食するためだけに植えられたのだと考えざるを得なくなる。

 

この善悪を知るという行為は神だけの特権であり、人間にはそもそも善悪を知る木の実を与える気がさらさらなかったということなのだ。

 

さてようやくここで根本的な問いへの答えが導かれる。

 

なぜ善悪を知る木を人間の手に届くところに植えたのか?

 

それはアダムたちに神がそれを食べるなと警告を発するだけで事足りると判断したのであり、そこにまさか狡猾な蛇が入れ知恵をするとは想定していなかった(1)。

 

いや仮にそこまで想定していたとしても、アダムたちは神の忠告にきっと従順であろうと安心していたということだろう。

 

つまりそれが神の人間に対する認識の甘さであり根拠のない希望的観測であって、それはとどのつまり、神は全知の存在ではないということの裏返しであるのだ。

 

なお、旧約聖書に詳しい学者や研究家含め多くの方々が、考え違いをしているように思うのでと、あえて言わせて頂くが、書いておこう。

 

人間が神を裏切り、罪(原罪)を犯し、永遠の命を失い必ず死ぬ運命となった、と一般的には言われているが、本来善悪を知る木の実を食べなかったところで、命の木の実を食べなければ必ず死ぬ運命であったのだ。

 

その理由はすでに説明してある通りである。

 

つまり、単にアダムたちは神の怒りを買ってエデンの園にいる権利をはく奪されただけで、原罪そのものが死の直接の原因ではないのである。

 

だから、人間が死ぬ直接的な理由は原罪を犯したからではなく、単に命の木の実を食べることができなくなったから、ということなのだ。

 

実はこの事は非常に重要なことを示唆している。

 

命の木の実を見つけることさえできれば、我々は永遠に生きる事が可能となる、ということを創世記は語っていることになるからだ。

 

これは人類の追い求める究極のテーマであろう。

 

そしてその永遠に生きる事が可能となる時代がやってくると、ヨハネの黙示録において語られている事も抑えておくべきだ。

 

・・原罪などというものは一部の人間が勝手に考え出した単なる自己憐憫を助長する価値観にすぎず、そのようなものはむしろ足かせや躓き、人間本来が持つ神性を覆い隠す弊害を招く元凶でしかないのである。

 

※(1):この狡猾な蛇は人間と同じ神の被造物でありながら、なぜ何も知らされていない無知な人間より善悪を知る木の実の効果を知っていたのか。蛇は特に食べ物に関して神から何の警告もされていないから、すでにその実を食べて実効を体感していたのかもしれない。

 

 

※記事の参照元 ⇒ 遺伝子 テロメアたんぱく質の一種 アルギニンたんぱく質を含む果物聖書 命の木の実 果物

 

他、参照元 ⇒ 善悪の知識の木 食べてはいけない 理由