さて、去年あたりから耳にしていた情報を書き留めておこう。

 

まさにタイトル通りの話に触れることになるのだが、

 

この話はすでにあのNASAも掴んでいるようだ。

 

 

他参考情報も載せておこう。

 

 

海抜400m以上の地域でなければ助からないような大惨事になる、

 

ということは頭に入れておいた方がよさそうだ。

 

かといって高層ビルにいれば安心か?というと、そうでもないだろう。

 

なお、これらの大災害についてヨハネの黙示録を改めてチェックする必要はあると感じている。

 

今回ひとまず重要な内容につき投稿した次第だ。

 

 

  神は人に裁きを下す人格神か?それとも自然神か?

 

新約聖書に記されている神が、実は今までキリスト教徒たちが考えていた唯一神、人を裁く人格を持ち合わせた神だという考えを翻す可能性のある記述を何年も前に見出していたのだが、ここにようやく書き留めておくことにする。

 

その神とは人格神ではなく、汎神論で言うところの神=自然神であると解釈できる文章表現になっていることに気付いたのだ。

 

それはヨハネの黙示録において記されている。

 

ではサンパウロの新約聖書から早速該当箇所を引用しよう。

 

神の僕たちは神を礼拝し、

み顔を仰ぎ見る。

彼らの額には神の名が記されている。(ヨハネの黙示録22:3,4)

 

さて、これを読んでもキリスト教徒に限らず誰であってもいまいちピンとこないと思う。

 

なぜこの記述が神の正体が人格神ではなく、自然神を言い表しているなどと言えるのか?と疑問を持つ方が多いに違いなかろう。

 

あらかじめ先に言わせてもらうが、この部分の前後の記述も併せて実は現代において、私自身が知り得たある事実と照らし合わせることによって、意味がしっかりと通る文章になっていたことが判ったのである。

 

今回は真偽についての検証がさらに必要なため、その全体像を明かすことはできないがその点はどうかご容赦いただきたい。

 

それでは、上記該当箇所を現代の我々の常識に照らし合わせて解読するとどうなるのか?

 

まず、神とは自然のことである。

 

また自然とはこの宇宙大自然の法則を内包しているために、その前提で解読する必要がある。

 

神が自然のことだとすればその自然とは、つまりは森羅万象を指し、物理法則そのものに支配されている世界なのだから、神に仕え礼拝することは、その法則に準じただ従うことを意味している。

 

我々人類はこの宇宙大自然の物理法則には例外なく従わざるを得ないのは明白な事実だ。

 

だから我々は「神=自然」そのものが支配する物理法則に従って生きる、まさに僕であるということだ。

 

では「み顔」はどう解釈するのか?

 

これは擬人的な表現だが、上記のことを踏まえると、「み顔」とは法則そのものの現象を指す表現となる。

 

従って「み顔を仰ぎ見る」とは、❝それら物理法則をあるがままに見る、観測する❞、となる。

 

そして最後の一文、「彼らの額には神の名が記されている」については、どうだろうか。

 

・・神の僕たる我々人類の額、つまり頭にある知識には神の名が記されている。

 

この神の名とは、各々自然法則に付けられた名称のことであると解釈できる。

 

具体例をあげれば、それは万有引力の法則であったり、光速度不変の法則だったりと、人類が発見するに至った諸々の自然法則を指し示す名前のことである。

 

そしてその法則を表す名称には、大抵判るようにその持っている性質や及ぼす効果などを含んでいるものだ。

 

では、まとめよう。

 

神の僕たちは神を礼拝し、

み顔を仰ぎ見る。

彼らの額には神の名が記されている。(ヨハネの黙示録22-3,4)

 

この記述の解釈はこうなる。

 

我々は宇宙を統べる法則を崇め、

その法則による物理現象をまざまざと見せられる。

我々には、それぞれの性質を表す名称が付けられた物理法則の知識がある。

 

ここまでを読んで、どのような感想を抱いただろうか?

 

これら解釈の全体像については追って記事にする予定ではある。

 

 

※本記事の内容について、許諾なしに引用や転載はできません。出版物への盗用も厳禁です。

Youtubeのヒストリーチャンネルにて、ある動画が公開されているので紹介しておこう。

 

 

 

 

キリスト教圏では真面目にこれらの内容が語られているのだが、

ほとんどの方が面食らうのではないだろうか?

 

このイエス再臨の前に起こると言われている携挙について、

一般人の感覚としては、実際に起こる出来事なのかどうかは正直分からないとしか

言いようがない。

 

いや、そんなことが起こるとは到底信じられない・・というのが正しいだろうか。

 

クリスチャンらはそれが実際に起こると信じているのだろうが、

 

私には甚だ疑問である。

 

いやむしろ実際には起こらない可能性が高いと見ている。

 

なぜそう思うのか?であるが、理由は単純明快だ。

 

あまりクリスチャンの方々には知れていないのかもしれないが、

世界中の聖書学者の膨大な研究資料やらを背景に、

ギリシャ語訳聖書を一から日本語に翻訳しなおして出版された方がおられるのだ。

 

その方とは聖書学者の田川建三氏である。

 

そしてその内容は注釈がメインであるため、

私自身、その膨大な分量には圧倒されてしまった。

 

そこには新約聖書を記した方々の考え方や信条が色濃く反映されていて、

特筆すべきなのは、

新約聖書の節々に教会的なドグマが(教会的編集者により)挿入されており、

つまりは、

 

ありもしないことをあたかも真実であるかのように書き加えられ、

編集された書物であるということが明らかとなっているからだ。

 

結論から言ってしまえば、

少なくともその携挙についての聖書の記述に関しては、

主にマタイ、ルカ福音書、その他パウロ書簡に見られるのだが、

そのほぼすべてと言ってもよい(※携挙に言及する際によく引用される箇所を調べた)が、

 

※(マタイ24:36)など。

 

終末論を声高に叫び信者を獲得する、

いわば新興宗教にありがちな誇大妄想というべき代物であって

 

一言で端的に表せば・・・

 

 

嘘である。

 

 

これ以上私が説明しても、理解できない方もおられよう。

 

おそらく、このような事を言うと

聖書無謬説の立場の人らは拒否反応を起こすに違いないが・・。

 

それはともかく、まず、そのような方には

実際に田川建三氏が翻訳した新約聖書を手に取って読むべきだろう。

値は張るが・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これでもかと言わんばかりにその理由が書かれてある。

 

新約聖書を書いた人らが当時どのような趣旨でそれを書いていたのか、

また何を批判していたのか、その書き手の信条、

それら独特の表現からわかる癖などが手に取るように理解でき、

かなり本質に迫った圧巻の内容となっている。

 

これ以上詳しく解説しているのは他に類を見ない。

 

 

ただし、

 

これは私見だが、新約聖書に書かれた内容が全て嘘だとは思っていない。

 

完全にすべてが嘘だと言い切るにはまだ早計ではないか、

と思われる記述が実は存在するからなのだ。

 

今後、新しく書く本ではそれについても言及する予定である。

 

さて、今回は久々に検証してみたいことがあったため、記事を書いている。

 

この方の記事によれば、新約聖書のヨハネの黙示録12.1から

書かれてある預言の内容が二重の預言になっているという指摘がある。

 

そういう考えがあること自体はもちろん知っていたが、

あまり突っ込んで調べたことはなかった。

 

では今一度基本に立ち返って疑問を追究してみようではないか。

 

そこで私は次のような考えを抱いたのだ。

 

もしその二重預言の考えが正しければ、

イエスが誕生した当時の惑星の配置、

そして将来起こるであろう預言の

成就の際の惑星の配置は

同じになっているはずではないのか?と。

 

具体的には、上記のブログ記事にもある通り、

2017年9月23日のホロスコープが、

まさに預言の成就の時に並ぶ惑星の配置だとすれば、

それは2000年前のイエス誕生の際にも同じ配列だったということになるわけだ。

 

聖書に書かれてある内容が真実だと信じている人々にとっては、

そうなるはずとの考えを抱くことだろう。

 

それに、イエスの本当の生誕日が現状わからないことになっているが、

ひょっとしたらこれで答えがわかるのではないか?と興味を持ったわけだ。

 

つまり、

 

2017年9月23日のホロスコープと同じ配置になる日付が、

イエスの生誕日ということになる・・!

 

はやる気持ちを押さえながらも、早速作業に取り掛かった。

 

なお今回の検証において、ホロスコープはこちらを使わせていただいた。

⇒ MyAstroChart®

 

紀元前までのホロスコープにも対応しているため便利だ。

 

ちなみに緯度経度はイエスの生誕地とされるベツレヘムの座標を入力したが、

他の座標と比較してみても結果にはあまり差が見られないようだ。

 

まずは2017年9月23日のホロスコープがこちらである。

 

 

そしてイエスの生誕日の最も有力な候補(ベツレヘムの星を参照)である、

紀元前4年の4月11日(近辺とされる)を入力した結果がこちらだ。

 

 

少しだけ期待はしていたのだが、

ご覧の通り、全く合致しなかった・・。

 

念のため、紀元前4年から紀元4年まで8年間分のホロスコープを

チェックしたが、残念ながらまったく一致するものは見当たらなかった。

 

また2020年12月23日のホロスコープに関しても同様、

合致するものは皆無だった。

 

 

興味のある方はもっと期間の幅を広げれば、

合致するものがひょっとしたら存在するかもしれないので、

一度試してみるのも面白いだろう。

 

私としては以上より、

少なくともイエス誕生時のホロスコープと、

その後の預言された時代のそれと一致するかどうかに関して、

二重預言が成り立つと言えるだけの根拠を見つけることはできなかった。

 

もしそこまでの正確性で聖書が書かれてあれば、

聖書の無誤性が確かであるという証明にはなったのかもしれないが。