アダムは930歳まで生きたとされる。

 

その理由を私は以前、彼らが草食だったからであるとの考えを述べた。

 

草食こそ、この地球上のあらゆる諸問題を解決できる突破口になるはずなのだ。

 

 

だが“草食のみ”が長寿となりえることを裏付ける科学的な事実や証拠は、

 

いまだ公的な機関によってその理論が明らかにされていないのが現状だ。

 

その代わり、人が長寿に至った実例(?)は一応存在はしているようである。

 

参照記事↓

 

 

その信憑性には疑問符が付く部分もありはするが、

 

私が目を付けたのはその人物が摂取していた食料にこそある。

 

やはり、長寿の秘訣は草食が根本にあるのは認めざるを得ないように思われるのだ。

 

 

多くの人は

 

草食だと栄養的に問題があって

長寿どころか病気になりやすくむしろ短命になるのでは?

 

草食で不足する栄養分を肉食では補えるから、

動物の肉の摂取は生きていく上でどうしても必要なのだ!

 

と考える人もいるに違いない、というよりむしろ普通はそう考えるだろう。

 

 

以前は私もそのような考えであったが、

 

結論から言ってその考えは杞憂かもしれないと、それら既存の常識を覆しかねない情報が実は存在する。

 

参照記事↓

 

 

藤田紘一郎氏解説 腸内細菌のバランスの重要性について

 

 

腸内環境が牛と同じ森美智代さんの食生活

 

 

これらの内容からはつまり、

 

草食のみでも生きていく上での必要なエネルギーはカバーできるという事が明らかとなる。

 

草食生活を続けるためには最低限、腸内環境に必要な有用細菌を維持することが重要である・・ということになるわけだ。

 

上記の情報によればその有用な細菌とは、

 

クロストリジウム、ユーバクテリウム、ラミノコッカス、が紹介されている。

 

 

ただ何を食べればそのような細菌が腸内に定着するのかは説明されていないが、

 

様々な野菜を食生活に取り入れて実験でもしない限りは知る術がない。

 

 

なお、野菜ならどんな状態のものでもよいというわけではなく、

 

しっかりと栄養分を吸収して育った野菜である必要があると私は考えている。

 

それは無農薬、要はオーガニックの野菜であることが望ましい。

 

 

ともかく条件が整えば草食生活は誰でも実践できそうではないだろうか?

 

ただし、どうしても空腹感は生じてしまうため、それはそれで覚悟が必要ではあるが・・。

 

 

この草食は日本人にとっては理に適っているのだが、

 

その理由の一つとして、

 

腸の長さが欧米人に比べて長いということが挙げられよう。

 

 

草食ならば肉食に比べ、腸内で消化物が腐敗ではなく発酵しやすくなるため、

 

腸内フローラが最適な状態に保たれると容易に推測される。

 

 

さてこうなってくると、次の目指すべきステージは、

人は永遠に生きることが可能となるかどうかだが、

 

 

長寿どころか永遠の生も可能となる時代は、

 

もうそこまで来ているのかもしれない。。

さて、ここのところ巷ではアメリカ大統領選に関する陰謀論が目立つ。

 

そこで今回のタイトルにある通り、

 

死んだはずのジョン・F・ケネディ・ジュニアが生きていたとの説について、

フェイク画像・・が出回っているようなので、それを検証してみることにしたい。

 

画像元 ↓

 

 

ジョン・F・ケネディ・ジュニアのフェイク画像

 

これが疑惑の画像である。

 

もし彼が存命ならば、現在60歳になっているはずだ。

 

まずこの大元の画像がネット上にあるはずで、

それを探すところから始める必要があった。

 

そしてその画像は比較的、短時間で見つかった。

 

それがこちらである。

 

画像元↓

 

 

 

疑惑の画像と比較すると分かるが、

この顔のアングルと視線が全くといっていいほど同じなのだ(詳しくは後半にて解説)。

 

それに疑惑の画像がなぜ顔の部分だけのアップになっているのか?

首から下が写っていないのはなぜなのか?

またオリジナル画像と比べなぜやや画像がぼやけているのか?

 

その理由はおそらく元の画像の出所が発覚するのを防ぐためだと考えられるが、

まぁ断定はしないでおこう・・。

 

この同じ顔のアングル、同じ視線というのが重要であると私は思う。

 

ここからこの画像をアプリを使ってフェイク画像に加工してみよう。

 

今回使ったアプリは、「FaceApp」だ。

 

まずは画像を疑惑画像と同じくまっすぐにする。

 

すると不思議なことに、

画像上端が疑惑画像とほぼ同じ位置に来る・・

ということは疑惑画像はオリジナルの画像角度をまっすぐに調整し加工した可能性がやはりある(これは画像編集を普段からする方には分かる事かと思う)。

 

 

この状態で加工すると以下のようになる。

 

 

ではオリジナル画像と比較してみよう。

 

 

いかがだろうか?

 

最後に疑惑画像との比較。

 

 

疑惑の画像と細部まで全く同じとはいかないが、これらは簡単にできる作業だ。

 

改めてよく見ると視線の向きと顔のアングルはやはりほぼ同じになっている。

 

それに襟元の白シャツの部分が同じように見えることから、

オリジナル画像から作り出したフェイク画像と見てほぼ間違いないのではないか。

 

要は既存の出回っているオリジナル画像の顔のアングルと視線が一致していない別の画像を出さなければ現在生きている本人だと言うには説得力にどうしても欠けてしまうのだ。

 

具体的に何のアプリを使ったのか、もしくはパソコンソフトで加工したのかもしれないが、そこまで調べる気力も出ない。

 

断言はしないまでも99%の確率でフェイク、というのが私の判断だ。

 

 

※追記(R3.1.13)

 

このオリジナル画像と疑惑の画像を細かく比較することで、もう一つの事実も浮かんでくる。

 

実はオリジナル画像と比べ疑惑の画像では鼻の長さ、特に耳の位置が大幅にずれていることが分かるのだ。

 

それが分かるようにgif画像にしたのでご覧いただきたい。

 

 

瞳の位置を基準にして、画像の比率を合わせると、このようになった。

 

そもそも瞳の位置と顔の向きがこのようにほぼ一致してしまうということ自体も、フェイク画像じみているが。

 

このことから、もはやこの疑惑の画像は、間違いなくフェイク画像と結論付けても差し支えないと思われる。

 

これほどのずれが生じる理由に、顔を整形手術した結果だからだ、との言い訳は常識的に見ても不適切だろう。

 

前回に引き続き、創造論についての矛盾の検証と分析をしていこう。

 

では、ノアの大洪水より。

 

過去の地球は暖かかったという事実も水蒸気層を示すの項目で、

 

”また"過去の地球は緯度の高低にかかわらず温暖だった"というよく知られた事実も、上空の水蒸気層の存在を示しています。今は氷に閉ざされている南極大陸にも、「延々と続く石炭層」が発見されています。石炭は、植物の死骸でできたものです。ですから石炭層の存在は、今は極寒の両極地方もかつては植物が生い茂っていた温暖の地だったことを、雄弁に物語っているわけです。”

 

南極大陸に石炭層があったのは事実だが、これは太古の昔南極大陸がまだ一つの大陸(超大陸ゴンドワナ)から分離していないころ、まだ熱帯或いは温暖な地域であって植物が繁茂していた時代があったからこそだ。

 

当然南極大陸が分離し、極地方に移動してしまった現在では、氷に覆われたという結果があるにすぎない。

 

これは必ずしもノアが生きていた当時の地球全体が温暖だったという証拠にはならないはず

だ。

 

だがそれに対して創造論を信奉している人らは次のような反論を試みる。

 

”進化論者はしばしば、両極地方が昔暖かかった理由として、今は極地となっている地方も昔は大陸移動によって別の所にあったからではないか、等と言います。しかし、こうした考えだけでは、証拠の数々をよく説明できません。なぜなら、たとえば「古生代」とされている木には、ほとんど年輪がないのです。”

 

ではそれが本当かどうかを確かめてみよう。

 

次のワードで検索すれば良いだけだ。

 

⇒ 古生代の植物 年輪

 

結論としては当時の古生代の植物はシダ植物が大半であり、その特徴として今の時代の木とは違い年輪がないのである。

 

だがすべての古生代の植物がまったく年輪がないということではなさそうだ。

参照 ⇒ 古生代の樹木クラドキシロンは非常にユニークな成長をしていた

 

つまり、ノアの時代は全地球規模で温暖な時代であったという創造論者の主張する根拠はいとも簡単に崩れ去るのである。

 

”当時、夏と冬の気温の変化は少なかったのである。グリーンランドの北緯七〇度地帯でイチジクの木が発掘され、シベリヤでシュロの木が掘り出されている」(『生物界の進歩』一二~一三頁)。当時の地球は、冬と夏の寒暖の差があまりなかっただけでなく、緯度の高低にかかわらず一様に温暖で、湿潤な気候下にあったのです。”

 

これについても先と同様な理由で説明できてしまう・・。

 

”これらの事実は、単なる大陸移動の考えで説明できるものではありません。すなわち、かつて植物は全世界に繁茂していました。両極地方でさえ暖かく、植物が所狭しと生い茂っていたのです。進化論者は、これがなぜなのかを説明できません。”

 

いや、説明できないことはない、その大半は既存の知識(大陸移動説など)で説明できるということは明らかだ。

 

大陸移動説に関しての参照

⇒ シミュレーションで大陸移動の再現に成功!

 

次に、大洪水以前に虹はなかったの項目には以下のようにある。

 

”大洪水以前の大気圧は今日の二倍ほどあり、そのために当時、大気と水滴の密度の差は今日ほどは大きくありませんでした。したがって虹を生じさせるような光の屈折が起こらず、虹は見られなかったでしょう。”

 

これらが本当かどうかを検証してみよう。

 

なお、検証にあたってはこちらを参考にさせて頂いた。

⇒ 長さ標準:レーザー測長における真空および大気の影響

 

上記より引用

「大気の屈折率は,おおむね気圧1hPaで0.27ppm,温度1℃で-1ppm,湿度10%で-0.07 ppm,二酸化炭素濃度100ppmで0.015ppm変化する」

 

空気の屈折率と電磁波の伝搬特性

 

上記によれば空気の屈折率は気圧よりも温度による影響が大きく作用するとあった。

 

さて、ノアの大洪水が起きる前、虹の屈折は見られなかったというのが本当ならば、当時の地球環境では大気の屈折率と水の屈折率がほぼ等しかったというのが前提でなければなるまい。

 

さて、水の屈折率1.3334(20℃)であるから、当時の大気の屈折率はこれとほぼ同等だったということになるはずだ。

 

今現在の大気(空気)の屈折率は1.000292(0℃、1気圧)である。

 

これが創造論者が言う温暖な環境であったとすると、気温20℃で2気圧の時ではどれくらい変化があるのかを上記の資料にある計算式で確認してみた所、1.000547と、ほとんど変わらず、屈折率に目立った変化は見られないのだ。

 

ではもし屈折率が限りなく1.3334に近づいた場合の大気圧はどうなるかと言うと、およそ7,712気圧となり、これは今現在の大気圧とは雲泥の差である・・

 

これでは当然ながら人間は生きていられない。

 

ではさらに気圧は今のまま1気圧とした場合、屈折率が1.3334に近づくためには温度がどれくらい変化する必要があるかというと・・

 

なんと0℃以下(マイナス何百度の世界)という計算結果になってしまうのだ・・。

 

つまり、大気と水の屈折率は今も昔もほとんど同じであり、虹が見えない環境にはなかったと言える。

 

よってノアの大洪水以前でも虹は見えたはずなのだ。

 

さて次に好適な環境は生物の巨大化に貢献したの項目について。

 

”大洪水以前の世界には、各種の恐竜たちも生息していたのです。恐竜には、草食恐竜と肉食恐竜がいます。草食恐竜は、体が大きくても性質が比較的おとなしいため、人間が危害を受けることはあまりありません。また肉食恐竜はどう猛ですが、大洪水以前の世界の人口はまだあまり多くはなかったので、人々は肉食恐竜たちの生息地を避けて住んでいたでしょう。”

 

さも当然であるかのように言うが、創造論者はそもそも創世記が一言一句事実に基づいていると言うのならば、この肉食恐竜がいたというのはおかしいとの主張になぜならないのか(そもそも恐竜と人間が一緒に存在していたとする考えが創造論の大前提であるからか?)が不思議である。

 

実は、創世記にはノアの大洪水に至るまでの間に肉食動物がいた或いは創造されたとは書かれておらず、その代わりすべての動物は草食であったと記されているのだ。

 

 

見よ、わたしは、お前たちの食べ物として、全地の種のあるすべての草と、種のある実を結ぶすべての木を与える。そして地のあらゆる獣、空の鳥、地を這うあらゆるもので、およそ命のあるものには、それぞれの食べ物として青草を与える(創世記1・29)

 

 

神によって創造された動物は草食動物しかいなかったにも関わらず、こういった部分はスルーしているのだろう。

 

だが、ここでもし肉食動物もノアの時代にはすでにいたのだという主張をするのなら、当然草食動物から肉食動物に進化したのだとする考えを取り入れる必要が出てくるだろう。

 

そうなると、創造論者の考えによれば陸上動物が創造されたのは天地創造の六日目であり、この時人間アダムが創造されたのであるが、ノアの大洪水までどれくらいの年数が経過したのかというと、それは実に1,656年となる(参照 ⇒ アダム暦による聖書人物の年齢について)。

 

この1,656年という期間で草食動物が肉食動物に進化していたというのは、常識からすれば現実的ではなく甚だ疑問なのであるが、創造論者なら信じてしまいそうな話かもしれない。

 

なお参考までに、この件に関して過去記事(なぜ人は肉食になったのか?ノアの大洪水を引き起こした原因は生きた人の肉を食べ堕落したことにある。)でも触れたとおり、草食動物が肉食動物になってしまったことが、神がノアの大洪水を引き起こした裁きの原因の一つにもなっていると聖書からは導ける、ということを示しておいた。

 

そういった意味でも、神が肉食動物を創造したというのは、どこか筋が通らなくなるのだ

 

なお神が草食にこだわる理由、それは人間や動物が草食で生きるよう定めたのは肉食では寿命を縮める、など理解していたからではないかということが過去の考察により見出され、また草食こそが永遠に生きる術だと考えている節があるようなのだ。

 

過去記事参照1 ⇒ 神は我々と同じ肉体を持った地球外知的生命体である可能性大。草食が温暖化問題を解決する。

過去記事参照2 ⇒ 善悪を知る木の実を食べるとなぜ必ず死ぬと神は言っているのか?その実と命の木の実は実在するのか?

 

またもし創造論者の考えにやや同調すれば、この短い期間で肉食動物へ進化したのではなく、実は遺伝子操作によって人間が草食動物の一部を肉食動物へと造り変えた(歴史的事実かどうかはともかく想像の域を出ない話だ)との考えを編み出すこともできるが・・。

 

それよりも可能性としては堕落しきった人間が動物に肉の味を覚えさせた、その結果動物も堕落したのだとするほうがむしろ自然な考えに思えるし、わざわざノアの時代にはすでに遺伝子工学が存在し、高度な文明であったなどと仮定する必要もなく、現実的に考えればありえなくもない話だろう。

 

そして肉食となった結果、人間も動物も暴虐性が増し、人間が人間を殺しあい、動物も見境なく動物や人間を殺し、その肉を貪り合う世界になり果てたのを見て、神は大洪水の裁きを下したのではないだろうか。

 

なお神が大洪水を起こした詳しい理由については過去記事の考察を参照。

⇒ なぜ人は肉食になったのか?ノアの大洪水を引き起こした原因は生きた人の肉を食べ堕落したことにある。

 

次に大洪水以前、人は長寿だったの項目では、以下のようにある。

 

”大洪水以前は、現在の大気の上にさらに水蒸気層が厚く存在していたので、当時地表に到達する放射線は、現在よりはるかに低いレベルにありました。放射線のない環境が、長寿への重大な役割を果たすことは、最近の医学的研究で実証されています。また上空の水蒸気層は、地球外からの宇宙線だけでなく、紫外線、エックス線などの有害光線の影響からも人々を守り、生命にとって極めて好適な環境をつくり出していました。そのため、当時の人々の寿命は、たいへん長かったのです。”

 

すでに創造論者の言うような大量の水蒸気層の存在を示す証拠は見当たらないと、前回と今回示した通りであるから、ノアの大洪水前後における放射線量は今現在とさして変わらない程度の量であったはずとなり、この放射線のない環境であったがために長寿であったとの考えも誤りの可能性が非常に高いとなる。

 

この件についても過去記事(「LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界」から得た気付き。旧約聖書時代の長寿の謎。)で触れているが、人が長寿だったのはノアの大洪水が起きるまでであるが、それは主に草食だったからであると示唆される根拠をあげておいた。

 

今回は以上である。

今回は創造論という考え方について検証していきたい。

 

日本では聖書解説家の久保有政氏が唱えている。

 

さてまずは地球の誕生から。

 

その中の、地球は「水の惑星」になった、の項目には次のようにある。

 

”すなわち、現在は海洋として地表に存在している水は、もとはと言えば、原始地球においては「水蒸気大気」であったことがわかります。原始地球は、膨大な量の水蒸気を主成分とする大気におおわれていました。そして、この水蒸気大気の大半は、後に冷えてその水蒸気成分が地上に降り注ぎ、広大な海洋を形成したのです。すなわち、まず水蒸気大気が存在し、それが後に分離して、(窒素やアルゴン等からなる)大気と、その下の海洋とになったのです。このことは、聖書の記述によく一致しています。聖書によれば、地球はでき始めの頃に、「大いなる水」におおわれていました。「初めに、神が天と地を創造した。(別訳『神が天と地を創造し始めたとき』、)地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり・・・・」(創世一・一~二)。原始地球をおおったこの「大いなる水」こそ、「水蒸気大気」に違いありません。”

 

では早速この聖書解釈が正しいかどうかを分析していこう。

 

 

地はむなしく何もなかった。闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を覆うように舞っていた。(創世記1・2)

 

 

この”地はむなしく何もなかった”をどのように解釈するべきだろうか?

 

※なお私の手元にある聖書は二つあるのだが、その一方の解説によれば、ヘブライ語では、何もない所、空白な所を指しているとあった。

 

地そのものは初め存在したけれども、その上には何も形あるものが存在しなかったと解釈するべきなのか、それともただ単純に地全体が水に覆われていて見えなかったと判断すべきなのか、或いは地そのものが存在しないと受け取るべきなのか、果たしてどうなのだろうか?

 

 

神は仰せになった、「光あれ」。すると、光があった。(創世記1・3)

 

 

これを読むと、この前の時点では光は存在せず、何も見えなかったと判断できるものの、光がない状態でも水の存在についてははっきりと書かれてあることから、光の有無はどうやら関係ないようだ。

 

 

次に、神は仰せになった、「水の中に大空あれ。そして水と水とを分けよ」。すると、そのとおりになった。神は大空を造り、その下の水と上の水とを分けられた。(創世記1・6、7)

 

 

これを素直に読むと、水が分かれて海と上空の水、すなわち雲を形作れるだけの水=水蒸気ができたとも解釈できる内容だ。

 

※なお手元にある二つの聖書を見ると、一方はこの大空に相当する言葉は「屋根」となっており、これは古代の宇宙観を表す「かたくて丸いもの」の意味が含まれているとのことだ。そしてこの屋根の上には「上の水」があり、下には雨や雲になる「下の水」があって、それぞれ異質のものだと考えられていたそうである。もう一方では大空の直訳が、「打ち延ばされた(金属)板」とあり、古代セム人は大空を「上に水を蓄えた堅い天井」と考え、その穴から大雨が降ると思っていたそうだ。

 

次に、神は仰せになった、「天の下の水は一か所に集まれ。そして乾いた所が現れよ」。すると、そのとおりになった。神は乾いた所を「地」と名づけ、水の集まった所を「海」と名づけられた。(創世記1・9)

 

 

この時点で地はようやく認識できる存在になった、つまり水に覆われたままでは、地など初めから何もない状態に等しかった、やはり地は水の内部に実質存在していても見えない状態であったと判断するのが正しいようだ。

 

ではここで要点をまとめよう。

 

まず地は水に覆われていて見えない状態であった。

 

その後に水が蒸発し雲ができるだけの水、つまり水蒸気が上空に溜まっていくことで大空ができたということになり、さらにその後で下の水、つまり海が一か所に集まり、初めて大地が姿を現したということになる。

 

さて、思っていたよりも早く結論を導き出せてしまいそうだ。

 

実に、最初にあったはずの深淵という名の大量の水は、初めから久保氏が言うような透明なはずの水蒸気ではなかったと判断できる。

 

なぜなら水蒸気は透明なのだから、最初から地は見えていたはずだろう・・

 

もしその深淵であるところの大いなる水が透明な水蒸気であるのなら、”地はむなしく何もなかった”との表現とも矛盾することになってしまう。

 

実際の原初地球の誕生の経緯によれば、微惑星が衝突してある程度のサイズになった時、脱ガスによって水蒸気大気ができあがり、それが冷えて海となったのだろうが、それとは違うことが聖書には書かれてあるということになる。

 

創世記はまず水ありきで始まっており、しかもその水は透明な水蒸気ではなく、分厚い液体の水であったと読み取れるのだ。

 

いや、もしそれが透明な水蒸気ではなく不透明な雲の状態であった可能性もあるのでは?と思うかもしれないが、それなら同じ創世記内で「雲」と言う表現が使われている箇所もある(創世記9・16)ことから、いささか無理が生じてしまう。

 

創世記の著者(一般にはモーセとされるが)は雲と水の区別もせずに書いていたとでも言うのだろうか?

 

よって聖書の天地創造の記述はおそらく事実に基づいているというよりは、それが書かれた当時の人々の概念が反映されている可能性が高い、と見るべきではないか。

 

さて、この大いなる水=深淵が本当に水蒸気だったのか否かについては、他の点からも指摘しなければなるまい。

 

今度はノアの大洪水についての久保氏の見解だ。

 

ノアの大洪水の項目では、以下のようにある。

 

”じつは、この「水蒸気層」の考えは、これから述べる「創造論」の柱ともなる重要な概念です。”

 

なるほど、ならばその考えがもし間違っていたなら、創造論の柱は崩れ去るのだろう・・。

 

この水蒸気層の提唱者はヘンリー・モリスという人物だとあるが、どうも科学的な事実を捻じ曲げて自分に都合の良いような解釈をしたりと、信頼のおけそうな人物ではなさそうで、結論から言ってそれらの考えはやはりというか現実的ではない。

 

まず、我々の常識では水蒸気は大気中のどこに存在しているかと言えば、それは対流圏内の地上から9km、或いは17kmの範囲内である(⇒ 他参照:地球の大気)。

 

それより高い層になると水蒸気はほとんど存在できず、対流圏上層部においては断熱膨張により雲へと形を変えるしかなく、その高さには限界がある(⇒ 参照)。

 

原初の地球においては上空に高温高圧の水蒸気があったはずだが、それでも対流圏内に収まっていたはずだ。

 

久保氏は大空の上に分けられたはずの膨大な量の水蒸気が、その後ノアの大洪水の元となったと言うのだが、それは対流圏よりも上の成層圏にあったと考えているようだ。

 

水蒸気層はなぜ大雨と化したか、の項目では次のように書かれてある。

 

”ノアの日まで上空で安定して存在していた水蒸気層が、なぜ突如としてその安定性を崩し、大雨となって落下してきたのでしょうか。(中略)要素として一つ考えられるのは、彗星や小惑星が地球に落下してきた場合です。(中略)さらに衝突地点付近から、膨大な量のチリが一気に空高く吹き上げられます。それは成層圏の上空にまで達し、広がって全世界の大気を漂うでしょう。(中略)大気上空に吹き上げられた膨大な量のチリは、上空の水蒸気層にまで達し、太陽光線をさえぎって水蒸気層を冷やし、それを大雨と化すきっかけとなったことは疑い得ません。”

 

確かにフィリピンで起きたピナトゥボ山の噴火で発生した噴煙による大気エアロゾル粒子が成層圏にまで達したという事実はある。

 

だがそもそも成層圏内にはオゾン層もあるため、その高度では水蒸気は紫外線により分解されオゾンに変わってしまったり、それよりももっと高い層にあっては原子や電子レベルに分解されてしまうからなおさら存在不可能である。

 

それに成層圏にまでそれらチリが達すると太陽光線を遮り、水蒸気層を冷やし云々というのは、つまりその水蒸気層は成層圏の下部、対流圏に存在していたと考えざるを得なくなるではないか。

 

ということは、その大空の上の水とは普通に今現在我々が認識している対流圏内に存在する水蒸気である、と考えるのがまっとうであると思う。

 

つまり、その程度の水蒸気しか存在しないとなり、大量の雨の出どころはやはり対流圏に浮かぶ雲によってもたらされたと考えるしかない。

 

それを踏まえた上で仮説を導く必要がある。

 

 

ちょうどその日に大きな深淵の源がことごとく破れ、天の水門が開かれた。(創世記7・11)

 

 

この”深淵の源”とは、微惑星が集まってできた地球の大地から水蒸気の大気、すなわち、深淵=大いなる水ができあがったとする考えからは、まさに”地球の大地そのもの”だと解釈できる。

 

つまり大地がことごとく裂けたということを表現しているとすれば、それは地震により実際に大地が裂けて地下に大量にあった熱水(⇒ 参照)が噴出したのかと、まず思い当たる。

 

そこからさらに火山噴火による水蒸気と噴煙に含まれるチリが継続的に大量発生して大雨の原因となった、といった現象が引き起こされた可能性があげられよう。

 

隕石の衝突によってノアの大洪水は引き起こされたのだ、なぜなら当時の地層に大量のイリジウムが含まれていたからだと、さも当然かのように言うが(地球は微惑星時代の隕石衝突によって大量のイリジウムを含んでいたはずで、当然火山の噴煙にもイリジウムは含まれている)、その挙句、人間と一緒に存在していた恐竜も滅んだと言うのだから、話が飛躍し過ぎている。

 

そもそも恐竜が絶滅したほどの隕石ならば、当然人間も生き残れなかったと想定しなければならないはずだ。

 

聖書にあるように、ノアたちは神が箱船から出るように言われたとはいえ、水が引いた大地に特に問題なく降りている事を考えると、恐竜が絶滅する規模の隕石が衝突した後だとは、とても考えられそうにない。

 

参照⇒ 巨大小惑星の衝突 「人類滅亡の日 世界が終わる10のシナリオ」 1/4

 

他にもプテラノドンは水蒸気層の存在を示すの項目では、大型恐竜のプテラノドンは大気圧が現在の2倍であったから空を飛べたのだとある。

 

気圧が今の2倍となると、人間の体に異常をきたしてしまうのではないか。

 

実際の話としてこのような話がある。

参照 ⇒ 高気圧が心身を快調にするワケ(決して2倍もの大気圧が体に良いという意味ではない)

 

ようするに快適な気圧というものが存在し、それは普通に快晴の日の気圧程度となるそうだ。

 

もし2倍もの大気圧となると、とても人間が健康的な生活を送れるとは思えない。

 

そのようなわけでノアが生きていた当時の大気圧が2倍であったというのも、疑わしいものとなる(1)。

 

ノアの時代は本当に今の2倍の大気圧だったのかどうかについては、また次回検証する。

 

まだまだ他にも指摘すればきりがないほど空想に満ちた解説がなされているが、先が思いやられてしまう・・ひとまず今回はここまでにしよう。

 

※(1):大気圧がもし現在の2倍であった場合でも、死ぬわけではない。人間は何気圧まで耐えられるのかはこちらを参照。なお気圧が下がると気象病の症状を引き起こす場合がある。

 

さて天地創造の内容について触れていく。

 

まずそれらを普通に読むと、我々の常識ではどのように解釈できるのか?

 

様々な説があっても良いのだが、納得できるものとそうでない部分が出てくるだろう。

 

創世期の記述は現代人が持つに至った化学的或いは天文学的な知見と合致するという考えもあるため、それを考慮して解説していこう。

 

まず一日目。

 

 

地はむなしく何もなかった。闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を覆うように舞っていた。(創世記1・2)

 

神は仰せになった、「光あれ」。すると、光があった。(創世記1・3)

 

 

これはウィキペディアによれば”天地創造物語は信仰書であり、信じている内容を記述している”という認識であるそうで、つまり、実際の事実とは必ずしも一致していないだろうというのが定説であるということだ。

 

だが、ここではもしそれが事実を元に書かれてあるのならどのように解釈できるかという視点で読み解いていくが、もちろん他の可能性にも言及していく。

 

この一日目の内容は以降の三日目まで整合性が取れるように解読する必要がある。

 

”地はむなしく”とあり、その後に”何もなかった”とあるのは、文字どおりに解釈すべきだろう。

 

そして”闇が深淵の上にあり”の深淵とは注釈によれば”古代の世界開闢説の中の「原始の海」という語に相当する”とあるので、それに従えば、水=海となり、

 

「地は水に覆われて見えなかった。闇が水の上にあり・・」と解せる。

 

そして次の”光”とは何かということだが、これは順序的に我々の知る太陽ではないとされてきた。

 

なぜなら太陽は四日目に造られたとなっているからだ。

 

しかし、これは聖書解説家の久保有政氏も指摘しているが原始太陽とすればつじつまが合うらしい。(参照先:聖書は矛盾していない

 

ただこれだと地球の原型が先にあって、太陽の原型である原始太陽は後にできているようにも読み取れるが、現時点ではそこをあまり突っついても意味がないようにも思う。

 

次に二日目。

 

 

次に、神は仰せになった、「水の中に大空あれ。そして水と水とを分けよ」。すると、そのとおりになった。神は大空を造り、その下の水と上の水とを分けられた。(創世記1・6、7)

 

 

問題はこれである。

 

大空の下にある水が今で言う海となろうが、大空の上の水とは一体何か?

 

一部の説で、大空の上の水は分厚い天蓋とされる水蒸気、あるいは雲との考えがあるが、そう断言できるとは言えないまでも、一応可能性は残る。

 

またなぜわざわざ水の中に大空ができるようにと書いているのか?

 

現代人の普通の感覚なら水の上に大空(大気)ができるようにと、描写するのではないだろうか?

 

古代人の考えと現代人の感覚はずれているとでも言うのか??

 

しかしそれは、先の久保有政氏の言う現代人が得た物理化学的或いは宇宙レベルの観測事実と聖書の記述とが一致しているとの考えにのっとれば、どこか違和感を覚えるものの、そのような現象を完全否定するのも難しい所だ・・。

 

だからひとまずここは大地の周りを覆っていた大量の水の塊の中に巨大な空間ができ、それがそのまま大空となったとし、分け隔てられた水は大空の上と大空の下、双方に分かれたと素直に解しておこう。

 

それにこの上空に漂う水というのは後の時代に起こるノアの大洪水の元になったと一応考えることもできる。

 

 

ちょうどその日に大きな深淵の源がことごとく破れ、天の水門が開かれた。(創世記7・11)

 

 

この”天の水門”というのが”大空の上の水”を囲っている水門という意味になるだろうか。

 

※このノアの大洪水は世界規模ではなく一部の地域限定で起こった災害であるとの考えもある(参照 ⇒ 聖書から見たノアの大洪水)。それについて現実的な考えから検証しているので興味深い。この分析も次回以降する予定である。

 

もしこれが比喩的な表現なら、その後の大洪水の規模からすればそのような表現になっていても別におかしくはない。

 

尋常ではない水流と水かさをみれば、あたかも地中に溜まっていた水が一気に流出したかのように思えたとしても不思議ではないからだ。

 

それに長い期間に大量の雨が降り注げば、まるで天の上に大量の水があったのかと思うほどの規模であったという意味を込めたのかもしれないだろう。

 

だが事実に則しているのなら、実際大量に天空に漂っていた水の塊か或いは分厚い雲により一気に雨として降り注ぐ、という状況を想像すればいいだけの話だ。

 

またこの深淵の源というのは、海の源、つまり地球内部から湧き出た水または熱水とするのがよいだろうか・・どうもすっきりしない。

 

或いはひょっとしたらこれは地球空洞説をベースにすれば興味深い可能性が導かれてしまいそうではないか?と脳裏をよぎった。

 

その場合、地球内部の空洞が大空であり、その大空の下の水が、内部地球の水で覆われた大地となるのだが・・。

 

次は三日目。

 

 

次に、神は仰せになった、「天の下の水は一か所に集まれ。そして乾いた所が現れよ」。すると、そのとおりになった。(創世記1・9)

 

また神は仰せになった、「地は草木で青くなれ。種をもつ草と、種をもち実を結ぶあらゆる種類の木で地の面は青くなれ」。すると、そのとおりになった。(創世記1・11)

 

 

我々が認識している地球像と矛盾はない記述だが、地球空洞説を取った場合にも、ここまでは矛盾はなさそうだ。

 

さてこれからわかるのは、水が一か所に集まる前には、大地はまだその姿を現していないということだ。

 

そこで水が一か所に集まるという現象はどうやって起こったのだろうか? 考えられる可能性をあげよう。

 

一つ目は地球が膨張して水が一か所に追いやられることで大地が表に出てきた。

二つ目は大地がある程度の水を吸収した。

三つめはある程度の水が蒸発した。

 

この一つ目の可能性は現状、根拠に乏しいようだ。

参照 ⇒ 地球膨張説

 

ならば二つ目と三つ目が同時に起こったと考えるべきか。

 

では四日目。

 

 

次に、神は仰せになった、「天の大空に光るものあれ。昼と夜とを分け、季節と日と年とを定める徴となれ。また天の大空にあって、地を照らす光となれ」。すると、そのとおりになった。神は二つの大きな光るものを造り、そのうちの大きなものに昼を治めさせ、小さなものに夜を治めさせ、また星も造られた。神はそれらのものを天の大空に置かれた。(創世記1・14~17)

 

 

ここにきて地球空洞説の考えではかなり無理がある記述になり、可能性から排除せざるをえないが、その反面、現代人の常識と矛盾する内容にはなっていない。

 

これを読んで太陽と月と宇宙の星々のことだと容易に理解できる。

 

五日目と六日目はそれぞれ動物と人間を造ったとあるので、これは特に説明は不要であろう。

 

七日目には創造を終えて神は休んだとあるが、ここまでの内容でどこか疑問が残る記述があるとすれば、それは二日目の創造の記述(創世記1・6、7)だろう。

 

それ以外は我々の常識と大幅に矛盾するところは見当たらないように思う。