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このブログは、妊活の記録となります。

 

体外受精で、1人目は39歳、2人目は46歳のときに出産しました。

仕事を抱えての1人目の治療も大変でしたが、2人目は、仕事に加え、育児もしながらの治療となり

より大変な思いをしました。

 

私自身、色々な方のブログを見て、参考にさせて頂いたり、励まされたりしました。

妊活は本当に大変だったこともあり、どなたかの参考になればと思い、

記憶を辿りながら、記していけたらと思っています。

 

思い出したことを少しずつ書いていくため、順不同になります。

また、判定結果や、場合によっては子どもの話が出てくることもあるかと思います。

 

治療した病院

◇矢内原ウィメンズクリニック(大船駅)

◇京野アートクリニック(品川駅)

◇横浜HARTクリニック(横浜駅)・・セカンドオピニオンのみ

◇みなとみらい夢クリニック(みなとみらい駅)

◇田園都市レディースクリニック(あざみ野駅)

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たくさん採卵出来て喜んでいたのも束の間だった。

 

なんと体外受精をお願いした結果、一つも受精をしなかったのだ・・。

 

20数個も採れたのに?

なんで?

どうして?

どういうこと?

一つも受精をしなかった・・??

 

注射もたくさんしたし、血液検査のたびに、採血されて痛い思いもしたし、

薬もたくさん使ったし、採卵では針で何回も刺されて激痛も味わったのに・・

 

何も残らなかった・・という現実。

いや、残ったのは徒労感か。

 

やり場のない悲しみだった。

家に帰ってから相方にあたった。もしかして、精子のせい?

 

私はこんなにがんばったのに。

仕事をやりくりして病院に通って、時間もかけて、身体にこんなに負担もかけたのに。

規則正しい生活をしてよ、残業ばっかりしないでよ、採卵の前ぐらいは仕事の無理はしないでよ。

 

私自身のことは棚に上げて。

 

今考えるととても身勝手な考えだったと思う。

でもその時は相方を責めて気持ちを静めるしか私にはできなかった。

 

辛そうに、苦しそうにしている相方の顔を見て、責めるのはやめた。

 

 

話は戻って、病院で、一つも受精しなかったということをを告げられた時、しばらく放心状態だった。

 

しかも追い打ちをかけるように医者はいった。

 

「子宮が腫れているので、次回は採卵できませんね。」

 

もうガッカリとしかいいようがなかった。

 

恐らく最初の採卵の時は、年齢や血液検査の結果などを見て、

教科書的に〇〇の薬をどのぐらい、と刺激する決まっているのだと思う。

それでその薬と患者さんの反応(卵胞の育ち方、大きさ、数・・)を見る。

その薬ですごーく反応する人もいれば、そんなに反応しない人もいる。

 

きっと私にはその薬は反応しすぎたのだと思う。

 

初回なので仕方がない部分もあるのだろう。

ある意味自分の体で人体実験をしているようなものなのだ。

 

気持ちは急ぎたいのに、身体はそうはさせてくれない。

 

早く採卵できるようになってほしい、と採卵が出来るようになるまで、

時間の流れをとても遅く感じた。