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このブログは、妊活の記録となります。

 

体外受精で、1人目は39歳、2人目は46歳のときに出産しました。

仕事を抱えての1人目の治療も大変でしたが、2人目は、仕事に加え、育児もしながらの治療となり

より大変な思いをしました。

 

私自身、色々な方のブログを見て、参考にさせて頂いたり、励まされたりしました。

妊活は本当に大変だったこともあり、どなたかの参考になればと思い、

記憶を辿りながら、記していけたらと思っています。

 

思い出したことを少しずつ書いていくため、順不同になります。

また、判定結果や、場合によっては子どもの話が出てくることもあるかと思います。

治療した病院

◇矢内原ウィメンズクリニック(大船駅)

◇京野アートクリニック(品川駅)

◇横浜HARTクリニック(横浜駅)・・セカンドオピニオンのみ

◇みなとみらい夢クリニック(みなとみらい駅)

◇田園都市レディースクリニック(あざみ野駅)

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タイミング、人工授精はかすりもせず、体外受精を勧められる。

他に選択肢がないのだから、体外受精にすすむしかなかった。

 

当時の矢内原ウィメンズクリニックでは、体外受精を考えている、或いは体外受精希望の夫婦は、

クリニックの診療終了時間の19時頃から、

院長自らの説明を受けることになっていた(8年以上の前の話)。

 

我々が参加した説明会では、我々も含め3組の夫婦がいた。

 

同志というか、仲間というか、

同じ目的を持っている夫婦が集まっているんだな、と感じた覚えがある。

 

他のクリニックでは、土日に大きな会場を借りて、体外受精の説明をしているけれど

矢内原ウィメンズクリニックでは、毎日毎日数組ずつ、しかも診察の後に、

説明をしているようで、先生は大変だなぁと思った。

 

体外受精の説明の時に、とても印象に残っていることが二つ。

・人工授精と体外受精の字の違い

  「じゅせい」の「じゅ」の感じが違う。

  気づきもしなかったが、確かに違う。授かるものと、受けるものと。

・人工授精と体外受精の違い

  人工授精が自転車だとしたら、体外受精はスポーツカーぐらい違うのだ、と。

  比喩は違ったかもしれないが、人工授精と体外受精では大きな差があることを

  説明された。

 

体外受精の説明を受け、我々に迷いはなかった。

体外受精に進むことに。

 

・・・ただ、体外受精に進むことに恐怖心がなかった、といえばウソになる。

 

タイミングも人工授精も上手くいかないとなると、体外受精は最後の砦。

これで授からなければ、この先の治療はもうない。

 

とはいえ、体外受精で授かれる保証はどこにもない。

多額の費用をかけても、結果は保証されない。

原因もわからず、「年齢」の一言で片づけられてしまう状況で、

選べる選択肢が結果として体外受精だけになってしまった。

 

それでも、人工授精に留まることも、タイミングにステップダウンすることも

選択肢にはなかった。

 

当時37歳。

 

同じ場所に留まっている時間はなかった。