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このブログは、妊活の記録となります。
体外受精で、1人目は39歳、2人目は46歳のときに出産しました。
1人目の治療も大変でしたが、2人目は、育児・仕事を抱えての治療となり、
より大変な思いをしました。
私自身、色々な方のブログを見て、参考にさせて頂いたり、励まされたりしました。
高齢での妊活は本当に大変だったこともあり、どなたかの参考になればと思い、
記憶を辿りながら、記していけたらと思っています。
思い出したことを少しずつ書いていくため、順不同になります。
また、判定結果や、場合によっては子どもの話が出てくることもあるかと思います。
治療した病院
◇矢内原ウィメンズクリニック(大船駅)
◇京野アートクリニック(品川駅)
◇横浜HARTクリニック(横浜駅)・・セカンドオピニオンのみ
◇みなとみらい夢クリニック(みなとみらい駅)
◇田園都市レディースクリニック(あざみの駅)
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タイミングで授かればと思っていたけれど、残念ながらそれは叶わず。
次のステップである人工授精は
身体的にも費用的にも気持ち的にも、あまり抵抗なく進んでいった。
その次の段階である体外受精と比べたら、
気持ちの障壁はかなり低いものだったと思う。
とはいえ、人工授精となると、相方には採精をしてもらわなくてはいけなかったので、
スケジュールを合わせたり、体調を整えてもらったり、禁欲してもらったり・・・と
タイミングとはまた違う負担をお願いすることになる。
言い出しにくかったけど、念のため精子の検査もしたいんだよね、といっても
嫌な顔一つせずに付き合ってくれたのは本当に助かった。
あぁ、私はこの人を父親にしたいんだな、って思った。
相手が私でなければ、こんな思いをさせなくてもよかったのにな、とも。
他の人と結婚してたら、もっと簡単に父親になれたたのかな、とも。
この時点では、原因は分からず。いや、結局7年たっても原因は分からなかった。
私が原因だったのか、相方が原因だったのか。
いつも言われるのは「年齢がねぇ・・」。
それは分かってる。そんなのは百も承知だ。
それがわかってるから、自分たちじゃどうしようもないから、病院を頼っているのに。
結果としては、
人工授精も数回やってみたものの、かすりもせず・・。
体外受精を提案されるまでに
そこまで多くの時間はかからなかった。