どうも~。
三國志って知ってるかな?
女性の方はあまりよく知らない人が多いようだけどね。
そこで、三國志ってなにかわかるかな?
そう、三國志は2つ意味があり、
1.三國志とい晋の国の陳寿が書いた歴史書
2.三國志演義という元末期~宋初期の羅貫中が書いた小説
そこで、歴史書の三國志は全く持っておもしろくない。
読んだ人は分かると思うけど、歴史書なので、つまらない。
それに対して、三國志演義の小説はストーリがあるのでおもしろい。
そこで、三國志と三國志演義の中身は時代が晋と宋の違いがあり、かなり食い違うところがある。
そして、三國志は魏の国を主としているため、蜀や呉は敵。
それに対して、三國志演義では蜀が主であるため、曹操は悪者扱いされている。
しかし、曹操は人間味のある偉大な人物。
そうでないと、あれだけの大国になれるわけがない。
‥
三國志の登場人物は数千人というもので、その中でもとろにゃんがお気に入りの人物を数回に分けて書いていこうと思う!
さて、登場人物ってみなさん、だれがいるかな?
曹操
劉備
諸葛亮
関羽
張飛
孫権
ってところかな?
うふふ。
まぁこれだけの大物なら分かると思うけど、他は?
そう、なかなかわかんないねぇ。
そこでとろにゃんは大物以外の人物をピックアップしてお気に入り人物を紹介しようと思う!
ぐふふ。
いいねぇ。
そこで今日は呉の「陸遜(りくそん)」を紹介する。
とろにゃんの好きな登場人物はこの陸遜のほかに魏の荀彧(じゅんいく)、そして蜀の超雲(ちょううん)、魏の賈詡(かく)、魏の郭嘉(かくか)といった感じ。
特にこの5人は超が付くくらいすごい人物たち。
それぞれ、それらの人物を今後書いていこうかな。
このところ、よくKoeiの三國志4をやって遊んでいるのだけど、それをもとに人物の顔だちやパラメータを見てどういった人物なのか判断してもらいたいねぇ。
さて陸遜。
顔は三國志によると、真ん丸で美玉みたいな肌とも書いてあったと思う。
呉の孫権の兄、孫策が早世。
その後、孫策の義兄弟の周瑜が軍師であったが、諸葛亮が現れる前はすばらしい智謀の持ち主でやることすべてうまく行っていたのだが、その諸葛亮の登場(207年~)以来、ことごとく負かされ、210年36歳にして矢傷が裂け、憤死。
その後任に魯粛(ろしゅく)を推挙。
207年ごろの様子。
紫が曹操
赤が孫権
緑が劉備
つまり、赤壁の戦い前である。
孫権が多数の智謀の人材を登用した中の一人がこの陸遜。
また陸遜は孫権の兄である孫策の娘を妻にしている。
207年ごろのこの状況では陸遜はただの山賊退治をしている頃。
なので、前線にいることはない。
また、周瑜も健在で、周瑜の死後は魯粛、諸葛瑾(しょかつきん=諸葛亮の兄である)が後を引き継いでいるため、まだまだ脇役の中の脇役でしかない。
また、頼りない魯粛は外交でもお人よしで、諸葛亮にうまく丸め込まれるかわいそうな人物。
では陸遜が表に出てくるのはいつか?
赤壁の戦い(208年)からずいぶん後になる。
呂蒙が荊州を奪おうとするも、関羽が立ちふさがっており、なかなかうまくいかない呉はまだ若い陸遜を用いて関羽に油断させる手段に出る。
呂蒙が仮病で陸遜にその任に当たらせ、関羽は「孫権もバカなやつだ。陸遜のような若造を大将にするとはw」とバカにする。
呂蒙は商人に化け、のろし台(通信網ともいうべきもの)を占拠し、魏の徐晃も関羽を攻めたて、ついに関羽は呂蒙の策により捕まり処刑。
その一件からしばらく名前が出てこなくなる。
陸遜もいよいよ呉の大黒柱へ
闞沢(かんたく)という孫堅(そんけん、孫策と孫権の父)の時代からの古参武将が一族の命をかけて、陸遜を推挙する。
呉の国では孫堅時代からの古巣の武将たちが陸遜の言うことを聞かないかもということで、「全武将、文官たちの前で、任命してもらいたい」と願いあげ、孫権は陸遜に大都督、右護軍、鎮西将軍に任命し、宝剣(陸遜の命令を聞かないならその将を斬ってもいいという剣)を与え、これにて陸遜は正式に呉の大将軍になった。
<221年頃の三国>
時代は曹操→曹丕へ移る。
まぁ、ここからは話が長くなるので割愛するけど、魏と蜀とをうまく切り抜け、異民族対策も万全にしたという、凄腕でかつ智謀を発揮したのである。
その中で唯一負けたのが諸葛亮が策を授けた大石の罠。
陸遜はその大石を怪しむ中でも罠にかかるのだが、そのストーリが実におかしい。
烈風が起こって砂石が飛んできて石がそそり立ち、陸遜らの部隊に迫っていくっていう話なのだが、現実にはありえないわけで、面白おかしく書いたようにしか思えないエピソードになる。
まあ、これは三國志演義での語りのため、正式にはどうかと思うのだけど、やはり蜀の国を主体にしているため、負けない陸遜を懲らしめようとしたようにしか思えない。
軍師としてまた将軍として、217年?~250年?くらいまで陸遜が活躍することになる。
対魏に対しても負けることがなく、また対蜀の孔明(諸葛亮)の意図も看破することもあり、司馬懿など「陸遜がいる限り呉を滅ぼすことは不可能」とまで言われていた。
陸遜の死は三國志と三國志演義では語られず、これは陸遜伝で書かれており、孫権の跡継ぎ(後継者)争いに巻き込まれ、それで敗れてしまい、悶死してしまうのである。
陸遜の後継は諸葛亮孔明の実の兄である諸葛瑾の子、諸葛恪(しょかつかく)が実権を握り、その時すでに孫権は死亡している(251年)。
また陸遜の子、陸抗(りくこう)も今後活躍していくことになる。
う~、なんだか書くのが面倒になってきた。
こんなことでこの先つづくのだろうか。
心配だなぁ。
では次回は荀彧だ!
(この記事だけでいったい何日かかったことか‥)








