銅像日記No.97 鳥取県の銅像 三朝温泉 | 銅像のススメ~めざせ次世代観光カルチャー~

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観光名所は二の次、「銅像」主体の紀行をテーマにしたブログです。
男の観光カルチャーであった「歴史見聞」「鉄道」も今や 「歴女」「鉄子」が出現するブームになっております。
ならば、銅像好きの女性「銅女(ドウジョ)」が生まれるようなブームを作り出しましょう

中国自動車道から米子自動車道「蒜山IC」を下りて、国道482号~179号線を目指しました。

鳥取県は、「三朝温泉」に行きました。
ここは世界でも屈指のラドン含有量のラジウム温泉して有名です。


県道21号線沿いの三朝温泉に向かう道の一角に等身大より少し小さめの外国人の銅像を見つけることができます。
ピエール・キュリーとマリー・キュリー(キュリー夫妻)
場所:鳥取県東伯郡 三朝町 三朝キュリー公園
建立年:2010年(平成22年)
制作者:日本原子力研究開発機構

放射能の研究で世界的に有名なキュリー夫妻です。
女性初のノーベル賞と2回受賞したことでキュリー夫人の知名度が高いですが、1903年の受賞は
キュリー夫妻との共同研究です。
1911年はキュリー夫人単独の研究結果でノーベル化学賞を受賞しています。

ラジウムの研究が現在の三朝ラジウム温泉の恩恵を受けているということで夫妻の功績を称えるために
銅像が建立されました。

三朝温泉の近くにある人形峠は、1950年代に日本でウラン鉱の探索が始まったころに、ここ鳥取・岡山両県をまたがる地域が良質でまとまった鉱量を確保できるウラン鉱床として有名となり「人形峠ウラン鉱山」と呼ばれていました。
 1970年代になり、ウランの国際的な値段が下落したため、採掘は中止、2001年にウラン濃縮工場は閉鎖されましたが、日本原子力研究開発機構による研究が続いております。
 

この銅像の台座や公園に敷き詰められた赤レンガは、この付近にある人形峠から採掘された土を原料としたレンガです。 ウランレンガとして一般にも販売されているようです。
 
日本原子力開発機構が、ウランレンガの安全性を示すために、銅像の建立と広場へのレンガを敷き詰めまたようですが、放射能を危険視し、銅像建立を批判する人達もおり、賛否両論のある銅像です。
銅像はというと夫婦仲睦まじい様子か?研究に対する議論をしている様子か?
いづれにしても、微笑ましい銅像に見えます。


さていよいよ三朝温泉の温泉街に入ります。街には「恋谷橋」があり、「縁結びのかじか蛙」とかかれた陶製のモニュメントがありました。
そばには カエルの顔をモチーフにしたアーチがあり 縁結びの絵馬をかけることもできます。
 

マリー・キュリー(キュリー夫人)
場所:鳥取県東伯郡 三朝町  「キュリー広場」(国民宿舎ブランナールみささ前)
建立年:1959年(昭和34年)
制作者:早川巍一郎
三朝町は、ラジウム発見をしたキュリー夫人の功績を称えるため1951年から毎年8月にキュリー祭を開催しているようです。
その影響でフランスとも交流深い町になっているそうです。
旅から帰って来て知ったのですが、キュリー夫人の胸像がある ブランナールみささは、フランスの城を
イメージした建築物です。



さて、旅館などが立ち並ぶ温泉街とは少し離れた住宅街の一角にある 温泉施設にも平安風の人物と犬?
の銅像がありました。



大久保左馬之祐と白狼
場所:鳥取県東伯郡三朝町 株湯
建立:1988年(昭和63年)

三朝温泉の発見にまつわる伝説をモチーフにした銅像です。
 石碑の説明文が、味のある方言で説明されていたので、そのまま掲載いたします。
『むかしむかし、大久保佐馬之祐ちゅう 源義朝の家来が主家再興を祈願をするため、三徳山にお詣りになった。 
 その途中 ごっつい くすの木の根株に年ぃとった白い狼がおるのを見つけ すぐに弓で狼を討つってしなったが、「まてよ殺生はならんならんぞ」と思いなおし、見逃してやんなっただっていな。
 そしたらその夜うさ 妙見菩薩が夢枕に立ちなって使わしのである白狼を助けてごいた礼だと言って。
「かの根株の下からは 湯が湧き出ている」と教えてごしなった。
 それからずうっと三朝の湯はこんこんと湧いて八百何十年にもなっとるちゅうこってす。』



銅像の色が青銅色のため、白い狼とは見えませんでしたが、この銅像も心温まるものでした。
大久保佐馬之祐の顔もどこか慈悲深い顔に見えます。

株湯が開店する前に到着したので足湯にも入りませんでしたが、温泉汲み場があり、近所の方が
何組も組にしていました。
 伝説通り、八百年経っても住民から愛されている温泉地だと実感できました。
 


撮影日:2013/6/19