敦賀駅前には、古代の鎧を着た銅像が建っています。
都怒我阿羅斯(つぬがあらしと)
福井県敦賀市 敦賀駅
建立:1978年
日本書記では崇神天皇の時代に、角の生えた人物が船でこの地を訪れたと書かれています。
その人物が「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」。
「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」が来た場所ということで、角鹿(つのが)。敦賀(つるが)の名前の由来になったという説があります。
では、この人物はどこから来たのか? 任那(みなま)国から来たと言われている。
任那は、当時の朝鮮半島での日本の出先機関や在地の豪族が日本に臣従していた地域のような位置づけで任那日本府とも呼ばれていますが、実際は、どうだったのでしょうか?
敦賀駅前から 氣比神社に至る商店街までには、看板にあるとおり「松本零士氏」の代表アニメ
の銅像が複数体設置されています。
この様子は次回 銅像日記No.86【2015/2/7更新】 にするとして、氣比神社まで進んでみました。
松本零士関連の銅像を眺めつつ、氣比神社前の交差点まで来ると、お坊さんの銅像があるのを見つけることが出来ます。
他阿真教(遊行上人2世)
場所:福井県敦賀市 気比神宮前
鎌倉時代の時宗の僧侶。時宗の開祖:一遍上人の直弟子。もとは浄土宗の僧であったが、一遍上人が
大分に教えを広めにきたときに仏門について語り合い、その教えに感銘を受けて弟子になった。
以来、一遍上人の全国の遊行に同行したとのことです。
一遍上人亡き後、その意思を継ぎ、遊行の旅をつづけ 時宗の2代目となり「遊行上人」と呼ばれました。
この銅像は「砂持ち神事の像」と名付けられています
その由来とは、遊行上人が敦賀に滞在中、氣比神社の西門の参道が、沼地になっており、参拝者が
難儀しているのを知り、敦賀湾の浜から砂を運んで道を造ろうと発案し、自ら先頭に立ち、信者と共に
砂を運んだという言い伝えがあります。
時宗の大本山・遊行寺(神奈川県藤沢市・清浄光寺)では管長が交代するときは、今でも「砂持ち」の神事
が行われているそうです。
松尾芭蕉
場所:福井県敦賀市 気比神宮
奥の細道で全国を旅した芭蕉は石川県山中温泉で体調を崩し、弟子の河合曾良と最終目的地・大垣で待ち合わせることとし一時、別行動をしていました。昔の知人に会うために、敦賀に訪れていたようです。
そのときに氣比神社にも参拝し、参道に敷かれている月夜に照らされている白い美しい砂に心惹かれました。
撮影日:2013/5/31