土佐の8人の志士が立ち並ぶ群像は 梼原にあります。
「維新の門」と題された銅像群です。
高知県 梼原市 維新の門 (和田城址)
平成建立の銅像の中では 傑作でしょう。
昼頃の到着でタイミングよく見聞客がいなかったので一体ずつ じっくり見ることができました。
掛橋和泉
銅像群の中央に位置する掛橋和泉は、名前の通り維新の掛橋となるべく、土佐脱藩浪士を援助した人物。
正面から見て 左翼の4志士の銅像
「天誅組の変」や「禁門の変」で挙兵をした過激な活動をした志士が集まっています。
先頭の那須信吾は 那須俊平の養子となり、土佐藩の実力者:吉田東洋を斬り脱藩。その後天誅組で活躍。
後ろの前田繁馬は那須俊平に剣術を学ぶ。京都で吉村寅太郎、那須信吾と勤王の志を固め天誅組に加担。
最下段で斬りかかる中平龍之助は長州に渡り、中岡慎太郎と共に忠勇隊に所属。禁門の変にも参加している。
最後尾で指揮を取る吉村寅太郎は、天誅組を結成。明治維新の火蓋を切った立役者です。
吉村虎太郎像 中平龍之助像
今にも斬りかかりそうな鬼気迫る躍動感溢れる銅像。
維新の火蓋を切ったと評価されている「天誅組の変」に相応しい「動」のイメージです。
右翼に配置されている 3志士の銅像
先頭で維新の道を指さす那須俊平は 土佐一の槍の達人。 土佐藩の実力者:吉田東洋を斬って脱藩した。
中央の高台に 坂本龍馬が遠くを見つめています。
共に脱藩し、神戸操練所、亀山社中と龍馬の片腕として活躍した澤村惣之丞が後方に控えます。
坂本龍馬像
こちらは「静」のイメージですね。
今回は行きませんでしたが、後ろに写っている 和田城(模擬城)には 喫茶「和田城」があるようです。
そろそろ維新の門に見物客も増えてきたところで別の目的地へ向かいます。
維新の門からは 国道440号と国道197号 どちらかの道から愛媛県に向かうことができます。
この辺りは 「坂本龍馬脱藩の道」 として 道の行くところ看板があります。
国道197号からある場所に向かうことにしました。
197号沿いにある 鹿野川湖を 鹿野川ダム付近の大橋から渡り 川辺方面に進みました。
道順が合っていたのか間違っていたのか不明ですが、途中で対向車が来たら 危ないような峠道の連続で冷や汗を出しながら 車で走行
本当にここにあるのか?と思ったところで 見つけました
飛翔の像(沢村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平)
愛媛県大洲市 坂本龍馬脱藩之日記念館
記念館の中には入りませんでしたが、緑に囲まれた峠道に「維新の門」像と同じメンバー3人の銅像がります。
先頭を歩きだす 坂本龍馬。
指さしながら道案内をする那須俊平。
後方で周囲を見回す澤村惣之丞。
澤村惣之丞が何かを見つけて 坂本龍馬に注意を促しているようです。
「おい、龍馬。だれぞ おまんを見ている奴がおるじゃき」
龍馬は構わず前に進みます。
龍馬達もこの景色を眺めながら脱藩の道を辿ったのだろうか。
よく車で通り抜けてきたもんだ・・・・・。
どうにか 愛媛県 大洲市 内子方面の二車線の道路に出て来れました。
もうここには車では行きたくない
土佐から脱藩ルートを辿り 土佐銅像の旅は終了です。
来年また行きたいなあ
撮影日:2010/4/30