銅像日記No.2 岩槻城周辺の銅像 (太田道灌、徳川家康) | 銅像のススメ~めざせ次世代観光カルチャー~

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観光名所は二の次、「銅像」主体の紀行をテーマにしたブログです。
男の観光カルチャーであった「歴史見聞」「鉄道」も今や 「歴女」「鉄子」が出現するブームになっております。
ならば、銅像好きの女性「銅女(ドウジョ)」が生まれるようなブームを作り出しましょう

第二回目のテーマは 武蔵国 岩槻城周辺を選びました。

意図してはいなかったのですが 奇遇にも 連続して太田道灌公の登場です。



太田道灌といえば、江戸城を作った人物ということだけ歴史の教科書に載っていますが 関東各地には

計9体の銅像が建立されている関東のローカルヒーローでもあります。

ここ埼玉県さいたま市岩槻区には そのうちの2体が存在している 道灌公ゆかりの土地です。


まずは 街の名前にもなっている岩槻城址に向かいます。  城址といっても 市民憩いの公園となっており天守閣が存在していない城址です。


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岩槻城址にある  八つ橋。   風流な橋です。



それでは 銅像のあるさいたま市岩槻区役所に行きましょう。

太田道灌の銅像と言えば、鷹狩姿の像が定番です。


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定番の鷹狩姿の道灌公像がいつも市民を見守っています。

通学中の子供達も毎朝 道灌公像の前で 挨拶をするとかしないとか。

 

区役所から 岩槻駅方面に向かい 駅を通過し 住宅街を抜けたところに 芳林寺という 岩槻太田家の菩提寺があります。

「芳林寺」の入口に 太田道灌の騎馬武者像が凛々しく建っております。

太田道灌の銅像と言えば、関東にある9体中8体が鷹狩姿のため鎧武者姿は実に珍しいのです。


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建立して1,2年の銅像のため、出来たてホヤホヤ感のある騎馬像です。(2007年4月建立)

別角度からいろいろと写真に収めてしまいました!


お寺の門を入ると 太田氏資の座像と 芳林春妙尼像 がお出迎えしてくれます。

太田氏資は 道灌の玄孫。


この頃の関東はすでに 北条家覇権の戦国時代まっただ中でした。


氏資の父:太田三楽斎資正は 反北条として戦っていましたが、第二次国府合戦で 敗れ降伏。

息子の氏資は北条氏康の娘と妻としたことから 氏康の「氏」の名を貰ったとのこと。

 その後 氏康とは良好な関係であったが、実父:資正とは険悪となり 父を追放したとのこと・・・・。


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この寺は氏資の母:芳林春妙尼が開基となって創建された曹洞宗の寺。

もともと 地蔵堂という名前であったものを 氏資が 母の名を取って「芳林寺」に変えたと言われています。


父は追放したが母には優しさを見せた氏資公。 冷酷なのか親孝行なのか・・・・。

家系を絶やさないための苦渋の選択だったのでしょうか?




そして 岩槻銘菓に やはり太田道灌の名を冠した 和菓子がありました。


「道灌桜」

最中です。こしあん、つぶあん 2種類ありました。


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岩槻から 埼玉名物?の Jリーグ 浦和レッズの本拠地 さいたまスタジアム方向に流れる 元荒川に沿った 道を辿っていくことにしました。

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浄山寺という 越谷市の曹洞宗の寺に 鷹狩姿の徳川家康公像があります。


ここは家康公をはじめ歴代将軍の寺領朱印状11通が残されているなど徳川家ゆかりの寺とのこと。

家康公もお忍びで鷹狩に来ていたとの伝説も残っています。

だから鷹狩姿なんですね! 
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うーん、一瞬、太田道灌公の銅像にしか見えませんでしたが、胸に輝く 黄金の 葵の御紋 が家康公ということを示しております。
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鷹狩姿が定番の道灌公とは逆で 家康公は鷹狩姿が実に新鮮です。


意外な場所で 徳川家康公の銅像を発見して満足でした。



撮影:2008年5月3日