張り切りすぎてちょっと風邪気味な7番目です。
昨日は我が家で雷が落ちました。
といっても落としたんはこの7番目。
うちの息子、
大の勉強好きなんですね(不思議くん?)。
で、算数は得意で国語はちょっと苦手。
国語の勉強は苦手な分、丁寧にします。
算数は得意な分、凄いスピードでします。
で、
半年前は算数も丁寧にやっていたんですが、
昨日見てみると、
な、なんじゃこらぁ~(@ ̄Д ̄@;)
と言うぐらい汚い字。
というか、
ちゃっ、ちゃっ、とやっちゃうので、
ぱっ、ぱっ、ぱっ、て書いちゃう。
そのおかげで大きさもまちまち、
斜めに向いている,
あちこちに…
これはいけないと思ったので、
雷様登場(`Δ´)
“ごろごろごろごろぉぉぉぉ”~、
「なんぼ、はよできても、よめへんかったら、できてへんのとおんなじやぁっ」、
“ばりばりばりばりぃぃぃぃ~”、
「あとはおまえがかんがえろぉっ」、
と、落ちましたとさヾ(。`Д´。)ノ
嫁は笑ってました。
息子は…
どうしよう、大魔人がぁぁあ~((>д<))性格がビビリの調子乗りといった7番目を継承しているのでね。
その後は確認してません。
それからは彼が考えることです。
確認したいとこですが、そこは我慢です。
何から何までずっと僕が付いているわけではないですからね。
先日テレビか何かで、
「子供と友達のようにつき合う」
ってことが言われていました。
それを聞いた7番目は、
違和感というか気持ち悪さを感じました。
まぁ、病気をするまではそういう気持ちだったんですがね…
自分が癌を宣告され、
(今考えるとすぐに死ぬってことはないんですが…)
自分の人生と周りを考えたときに一番息子のことを考えました。
一生懸命考えました。
そして今に行き着いています。
そういうことで、そのように感じたんでしょうか?
というのも、
「友達のように接する」ってこと自体、
親が子供を下に見てる感じがしたんですよね。
何が友達かわからへん。
親も子供も一人の人間。
ただ、親が早く生まれ、そこから子供が産まれただけ。
生物的にはそういうこと。
ただ、
人社会では、大人になるまで子供を育てるのは親の役割(一般的にね)。
そう思うと、
親は親の役割を果たし、子供は子供の役割を果たす。
それだけ。
なのでそんな偉そうなことを親も言えない。
親も人間、大人なようで、子供でもある。
子も人間、子供のようで、大人でもある。
だって、何が子供で何が大人かは社会の制度が決めているだけ。
そんな風に思いました。
『ちゃんと自分で生きてもらう』
結局行き着いたのはそれでした。
親が偉そうになんかを言うよりも、
子供は、
自分で感じ取って、
自分で考えて、
自分でどうするかを決めて、
自分がする。
その為に、
親は恥ずかしくないよう、そして楽しそうに生きる、
それだけかなって。
そしてそれを見てもらう。
かっこええとこも、かっちょわるいとこも。
だって、
自分自身がそんなに偉そうな人間でもないのに偉そうなことは言えへんし。
だから、友達同士のようにはならない。
だって、何でも話せる親子って変とちゃうかなぁ?
親も子供にゆえへんことがあって、子供も親にゆえへんことがある。
それが当然やと思うし。
子供が親の顔色をみる(機嫌がいいか?)、
子供が自分だけの世界の秘密を持つ、
そんなん普通にしてたもん。
そうやって成長してたし。
それは当然。
自分も何でも親に話せへんし、話したくないし。
親を友達とも思わへんし。
ただ、
子供が聞いて欲しいときにはちゃんと人として向き合って聞く。
頭ごなしに自分のことを押しつけない。
子供がもがいている間はちゃんと見守る。
結局は自分が決めなあかんにゃし。
それだけは頑張ってやろうと思ってます。
これってしんどいけどね…
なんでもかんでもやっちゃう方が楽やねんけど、我慢しなあかん。
そういうことで雷後はちゃんと見守っていようと我慢してます。
その後ママに抱きついて、
終わった後自分の部屋まで走ってたし、
もうどうもないかな?
雷のち雨のち晴かなぁ
とりあえず、
今は一緒に遊んでます。
でも、将来は子供の世界を作って、それで生きていって欲しいです。
たまには同じ趣味でもあれば遊ぶのも良いかもしれません。
でも、彼は彼、僕は僕。
そうあって欲しいモンです。
寂しいけど、嬉しいかなぁ。
勝手な7番目の考えです。
ちなみに、
しばらくは、
今だけの息子との日々のアホアホは同じ男として、同士のコミュニケーション。
それだけはやめられへんかなぁ…
(・ω・)b