“ひまわり”さんを“みまわり”さんと称した7番目です。
みまわりさん、大変失礼しました。


m(_ _ )m


(ネタです…、しつこいって、お許し下さい)。


ひまわりさん、また寄って下さいまし(・ω・)b



さて、今日のお題は…( ̄ー☆



今までさんざん苦しめられたことに関して一端まとめ。



今まで僕は団塊の世代と呼ばれる面々との世代間闘争に明け暮れてました。まぁ、そんな毎日じゃないですが、そういう役割になってからはほぼ毎日ぐらいです

┐( ̄ヘ ̄)┌


で、今、その世代の方々(団塊くん)がどういう時を過ごしたかを分析したかったのです。どうしてそういう思考回路になるのかを知ってみたかったということですかね。もともと理系の僕は観察してみたかったんです。生物観察としての人間観察ですね。
(今ではそういう不毛な争いはしませんがね)



さて、「団塊の世代」とはこうあります。
戦後直後の第1次ベビーブームの1947~49年に生まれた世代で、作家の堺屋太一氏が76年に出版した小説のタイトルに由来するらしい。


「団塊」=もともと、「硬い塊」という意味


この団塊くん、小学生になった頃には世は高度経済成長期、10代半ばになるとグループサウンズ全盛、そして20歳には学生運動に熱中。バブル時代は30代後半から40代前半で、ある意味遊び盛りの中間管理職として時代を背負い、現在、高給をとり…そういうことで高度成長にのって、給料もボーナスも、現在ではありえない額をもらっていたはずです。
(いっぱひとからげにしているので、凄く語弊がありますが…)



さて、その団塊くん…


団塊くんが好きなもの、それは闘争と群れること。
「団塊」というのは、同一性が強いとされる集団には、まさにぴったりの表現です。その群となり闘争を繰り返します。


人を責め、自己責任論をまくしたてて、世代間闘争に持ち込む人、団塊くんにはこの種の人間が多いです。


パターンとして、
↓①自分の意見だけを述べる
↓②反論の揚げ足をとる
↓③論理自体をすり替える
↓④人にすぐレッテルを貼る
↓⑤個人攻撃に走る
↓⑥最後には権威におもねる


具体的には、
↓①「○○はこうせなあかんやろ」
↓②「そんなことはゆうてへん」
↓③「そんなことはどうでもいい」
↓④「おまえは××やから」
↓⑤「そんなことしてるから、いつまでたっても」
↓⑥「そんなことはいいから、上司の言うことを聞いてたらいいんや」
ですね。


見事なパターン化です。


社会の中の自分ではなく、自分が社会であると勘違いされています。

そして、一方的な個人主義と自己責任をとらない体質です。

社会に出て自分が努力したから、個人の力で頑張ったから何とか成功してきたと勘違いしているようで、よく「努力が足りない」、「頑張らないのが悪い」、「甘えるな」などと暴言を吐きます。

しかし、団塊くんの主張には裏付けがなく、一貫した根拠もありません。言うなら感情論です。自分たちは頑張ってきたんだからお前らもできるやろ、的な。

ですので、下に付くものを全く納得させられない。

それもつながり、一番組織としてヒトを育てないと行けない年代というか時代に人を育ててこなかったつけが今に迫っています。

(まぁ、その年代はバブルで楽しかったんでしょうね)


しかし、その団塊くん、種族間でも闘争いたします。

団塊くんを団塊くんが攻撃するのです。

ただし、上下関係がはっきりしているので、勝負は瞬時に付きます。

それ以外は団塊くんは横の関係を保とうとします。しかし、世代間闘争となるといつも優位に立とうとします。最初は下手に出ていても最後には上に立とうとする魂胆です。「ケツの穴が小さい」と下っ端からはもっぱらの評判です。


そういう感じかな?


まぁ、色々なヒトがいますから、そんな人ばっかりじゃないですが、少なくとも僕の社会生活の周りにはそういう人がいます。そういう団塊くんには大変困らせられます。


お願いですから、僕の周りに近づかないでね、団塊くん(b^-゜)


(*^o^*)/~