こんにちは!
サポプロ7事務局です。
お待たせしました。
第2回「七ヶ浜の養殖技術が日本をリードする」
【海苔養殖技術の進歩】
養殖技術の改良がすすみ、様々な養殖法が生まれましたが、
いずれの方法でも波穏やかな内湾でしか使用できませんでした。
そこで代ヶ崎浜漁協の青年部が立ち上げた「浅海増殖研究会」が
より波に強く、深い海でも対応できる「浮き流し式養殖法」を
昭和29年、全国で初めて開発しました。
なんと七ヶ浜で生まれた「浮き流し式養殖法」が
いまでも日本中で活用されているのです!
浮き流し式養殖法とは、
網篊(あみひび)を貼った筏(いかだ)を海に浮かべ、いかりで固定したもの。
研究会は他の養殖地の見学や研究を重ね、この方法にたどりつきました。
さらに昭和35年には海苔人工採苗センターが完成。
それまで海苔の種苗は福島県相馬市の松川浦から仕入れていましたが、
これによって町内での種苗の生産もできるようになりました。
昭和36年にはこれまでの内湾側に加え
菖蒲田浜地区、松ヶ浜地区の外洋側でも養殖が行われるようになり、
七ヶ浜の周囲の全海域で海苔養殖が可能であることが分かりました。
【手作業の海苔養殖】
海苔養殖はかつて、すべて人の手によって行われていました。
毎日小舟をこぎ出し、篊に取りついた海苔を素手で摘み取り、
採取した海苔はその日のうちに細かく刻まれ、
簀(す)の上に紙状に広げて乾燥させます。
海苔の手摘み作業(昭和30年頃)
山の斜面にある畑地は冬には海苔の乾場として利用され、
海苔を干すための海苔枠がたくさん立てかけられていました。
冬の光を浴びた海苔枠が冬木立の合間に立ち並ぶ乾場の風景は
七ヶ浜の冬の風物詩の一つでもありました。
【海苔は黒い札束!?】
昭和40年代以降には、作業のほとんどを
機械に任せることができるようになっていました。
しかし、機械を一揃え購入するには数千万円もかかります。
昭和47年、七ヶ浜の海苔養殖を行う漁家は804軒もありましたが、
全ての漁家が設備を持っていたわけではありませんでした。
このため、資材の共同購入や製品の共同販売、
金融の信用賃貸などが組合の大きな仕事となったのです。
このころ、海苔ひと束(100枚)の値段が5,000円になったこともあるといいます。
さらに機械化によって生産効率が上がり、
次々に機械から送りだされる海苔の束は「黒い札束」とまで言われました。
その”札束”についてこんな逸話もあります。
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羽振りが良かった七ヶ浜の海苔生産者が
お隣の塩釜の飲み屋さんで飲食代を支払おうとして
懐から財布を取り出すのではなく
懐から財布を取り出すのではなく
カバンから海苔の束をつかみ出してカウンターにポンと置きました。
海苔の束はあたかも紙幣の束のように扱われ、
店の主人もこの海苔の束での支払いを大いに歓迎したそうな…。
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現在では考えられない話ですが、
それほど海苔は貴重な品物として扱われていたんですね。
(七ヶ浜町誌より)
第3回(最終回)へ続く

