実は くも膜下出血で倒れ助かっても 植物人間になるだろうと言われて居た母が 奇跡的な回復をして 家事など出来る様になり 言語障害が残る程度で 障害者の3級に迄 回復したから 私も自分の生活があるので 母の介護を辞めて 何年も自分の生活に戻って居たのですが...
その母が白血病で 倒れ 自分の生活を維持し 定期的に母の所に行ったり 別に住んでいる 障害者2級の父の所にも顔を出したりして居たのでblogの休みが長くなったのですが...

前のblogに 書きましたが 私には 障害者の1級の妹も居ます。
最近になり やっと生活が落ち着いてきていたので 妹の保護者の役割も再開しなくてはと思い 再開し始めていて...

その妹は 施設にお世話になっており 現在は 話す事もできなくなり寝たきり状態で 飲食は お腹に直接栄養を補給して 生命を維持しています。
家庭環境が 複雑な為 みんな遠くにバラバラに住んで居ます。
私が 親と暮らしたのは 小学2年生迄で 妹とは 私が社会人になる迄で その後 妹は 施設に入り私が社会人として落ち着いてからは 妹の保護者として帰省の度 迎えに行き周りの協力を得て保護者の役割を果たして居ました。
私が 妹の保護者の役割を果たさなくなったのは 妹が 動けなくなり帰省が 出来なくなり それまでは 私がやらなきゃ頑張らなきゃと気が張って居たのですが...
妹が帰省出来なくなり 肩の荷が降りてしまい 妹に会いに行く足が遠のいてしまったんです。
そしてスグ母がくも膜下で倒れ 私は 母の介護に...

そして 母の介護から妹に近い場所に 戻った私でしたが 今度は 自分の生活が イロイロ大変で 一杯一杯で...
バツイチで子供も居ましたし...

だけど 正直 出来ない言い訳だと自分で 反省して居ます。
逃げだよなぁ...って...情けないですよね...

甘えが 出でしまったんですよ!
妹は ずっと私を待っていたはずなのに...
私が 来ない理由も理解出来ず ただ私が来てくれるのを ずっと待っていたのに...

出来なかった事を 悔やんでも仕方ないけど この情けなく 歯痒く思った気持ちだけは 忘れてはならないと思うし...

反省しなきゃならないと思います。

そして 母も父も 妹も多分長くはないと思います。

みんなバラバラで 住まいが遠く 会いに行くのも正直大変だし私の体は 一つしか無いけど バラバラの家族を繋げられるのは 私だけだから...

気合いを入れ治さないとイケないなぁっと思って居ます。

空のblogで 始めましたが blogの方向が変わりそうだし blogから少しとうのいてしまいそうです。...すみません!
その 報告で 今回blogを書きました。

また 当分 blogの更新の 間が 空きそうですが こんな私のブログですが 読んで貰えたら 嬉しいです。

あと 妹の施設のイベントに行った時に 気付いた事ですが...

施設に入っているこの子達は 色んな大切な事を教えてくれているんだって思いました。

そして 私が今まで やってこられたのは 妹のお陰だったのかもと...
私は 我の強い子でしたが 泣き虫で 我が強い割に そんなに強い人間ではなかったけど 今まで 色んな事を乗り越えてこれたのは 妹が居てくれたからではないのかと...
そう思うんです。

妹は 広い温泉に行く事 そして食べる事だけが 楽しみ見たいだったのに...
私が会いに行かなくなってしまっている間に 飲食する事も出来なくなり動く事も 話す事も出来なくなってしまいました。
今は 何を考え 何を思い 何が楽しみなんだろうと...
妹の寝ている顔を見つめ思い 涙が止まりませんでした。
そして 私が妹で 妹が私だったら どう変わっていたんだろうと...
きっともっとチャントして居たんだろうなぁっと思ったり...
もし逆だったらは 子供の頃から いつも考えて居ましたが どんな人生だったのだろうと...

そして 母が くも膜下の時 奇跡的な回復ができたのも妹のお陰何です。

私が 妹の時の反省を生かせる介護ができたから...
勿論 母の頑張りがあっての事ですが...
いくら私が妹の反省を生かした介護をしても 本人が頑張らなきゃ意味ないですから!
次回 更新の時に 奇跡と医師に言わせた母の頑張りと 妹の反省を生かした介護のサポートを 描こうとおもいます。

もし介護されている方や 母と同じ様な状態になっている方が 読んでくれて 何かのヒントになったら 嬉しいので...
ただ 人により症状も様々だと思うし 私と母のやり方が 合わない人もいるはずなので その所は こう言うやり方も在ると言うレベルで 読んで貰えたらと思います。