休みの日の楽しみのひとつ、映画鑑賞。
といっても、専らCS放送のそれ。
でも、自分では選ばないもの、選びきれないもの、見たいと思いながら忘れてたもの、知らないもの、そんなものにありつけて重宝する。
ここ数日に見たもの。
「スイートリトルヘイズ」
「夏の終わり」
「きょうのできごと」
「妻の恋人」←これ、映画なのかしら?
「スーパーノヴァ」
「ストロベリーナイト」
「ユダ」(二度目)
内、3つも不倫ものとは。
昼顔特集とかいうのを放送していたので、仕方ない。
不倫ものは嫌いじゃい。
けど、面白いと感じるものは多分、恋愛価値観や性的趣向やその主人公である「女」そのものが、自分の中に在るか無いかなんだろうな。
物語として傑作であったり優美であったりする前に。
3作品とも、私的には感情移入の類いは難しかった。
理解は出来ても、単に自分がその女を好きではないのだと、見進めているうちに気づいた。
それは自分に無い部分だからではなく、きっと存在し得てとても好きにはなれない部分なのだろうと思う。
だから「面白くない」のではなく、「好きではない」という感想が生まれた。
ただ、とてもリアルに感じられる劇中に漂う息遣いというのか、そういう言葉で語られることはない静かな空気はとても好きだった。
特に、「夏の終わり」の主人公、染色家を演じる満.島ひか.りの染色作業のシーンは、美しい静けさの中にとても芯の強さが描かれていて、職人気質のそれもつぶさに感じられて、好きだった。
ただやっぱり、女としてのあの主人公はあまり好きにはなれない。
瀬戸内寂聴氏の自伝的小説が原作だから、若き日の寂聴氏が描かれていたに違いなく、これは原作を読んでみないといけない。(さて、いつになるか)
それにしても「カケラ」でも「川の底からこんにちは」でも、満.島ひか.りの演じる主人公は、女としてあまり好きにはなれなかったなぁ。
でも、「ストロベリーナイト」の竹.内結.子が大.沢た.か.おと関係してしまうのは、なぜかスンナリ受け入れられる。
「春の雪」でも、妻.夫.木.聡と何度も逢瀬を重ねる竹.内結.子は難なく受け入れられた。
なんだか、面白い。
やっぱり自分の中に在るんだろうな。そういう部分が。
どなたかの映画批評で、『物語や登場人物に共感や陶酔できるかで面白さは決まる』というようなことをおっしゃっていた。
映画に限らず、小説でも漫画でもドラマでも、物語にはそれが付き物なのだろうと思う。
「夏の終わり」で、染色家が自身の作品にわざと染料をブチまけ、見るも無残にしてしまうシーンがある。
私は遠い昔、絵を描いていたことがあった。
どれだけ上手く描けなくても、最後まで、もしくは最後に近い程度まで仕上げものを、自分で台無しにするようなことは出来なかった。
今でも無理だ。
才能がないと生み出すものに限りがあると思うから、例えそれが素晴らしくはなくても、愛着が湧いたり、縋り付いたりする。
その違いを見た気がした。
これも、一つの才能なんだろうと。