本を読んで感じたことを忘れないうちに


ドキュメンタリー番組にテレビ的工夫は

いらないのでしょうか?


テレビ的工夫は視聴者側にとって

すべてが悪なのでしょうか?


テレビ的工夫は

もちろん、番組を放送する際に

より多くの視聴者に見てもらうための

演出なのですが、


例えば、大物の魚を狙った旅番組で考えてみると


たいてい、そういう番組って

大物の魚は旅の最終日に釣れますよね。


でも、本当に最終日に

釣れているのでしょうか?


確かに、最終日に釣れているのもあるのかもしれないけど


旅の初日に釣れたのだが、

最終日に釣れたものとして

放送するものもあると思います。



これってテレビ的工夫ですよね。



最終日に釣れたことに

したほうが視聴者は

放送時間のすべてを

見てもらえるし、

番組の長さも

もたせることができます。



では、このテレビ的工夫に対して

怒る視聴者はいるのでしょうか?



まったくいないと言ったら

嘘になりますが

おそらく少ないのではないのでしょうか。


それは、見てる視聴者が

その番組に対して

大物の魚が旅のどの時に

釣れたのかを求めているのではなく


大物の魚が釣れるのか釣れないのかという

ドキドキ感を求めているからなのでは

ないでしょうか?



むしろこのテレビ的工夫を

期待している人もいるかもしれません。


こういうのは

釣りのドキュメンタリーが

多いのかもしれませんが、


テレビ的工夫が

視聴者に期待されることも

あるのだと思います。



参考資料

「テレビの嘘を見破る」  著者 今野 勉 

              出版 新潮新書