本を読んで感じたことを忘れないうちに


ドキュメンタリー番組にテレビ的工夫は

いらないのでしょうか?


テレビ的工夫は視聴者側にとって

すべてが悪なのでしょうか?


テレビ的工夫は

もちろん、番組を放送する際に

より多くの視聴者に見てもらうための

演出なのですが、


例えば、大物の魚を狙った旅番組で考えてみると


たいてい、そういう番組って

大物の魚は旅の最終日に釣れますよね。


でも、本当に最終日に

釣れているのでしょうか?


確かに、最終日に釣れているのもあるのかもしれないけど


旅の初日に釣れたのだが、

最終日に釣れたものとして

放送するものもあると思います。



これってテレビ的工夫ですよね。



最終日に釣れたことに

したほうが視聴者は

放送時間のすべてを

見てもらえるし、

番組の長さも

もたせることができます。



では、このテレビ的工夫に対して

怒る視聴者はいるのでしょうか?



まったくいないと言ったら

嘘になりますが

おそらく少ないのではないのでしょうか。


それは、見てる視聴者が

その番組に対して

大物の魚が旅のどの時に

釣れたのかを求めているのではなく


大物の魚が釣れるのか釣れないのかという

ドキドキ感を求めているからなのでは

ないでしょうか?



むしろこのテレビ的工夫を

期待している人もいるかもしれません。


こういうのは

釣りのドキュメンタリーが

多いのかもしれませんが、


テレビ的工夫が

視聴者に期待されることも

あるのだと思います。



参考資料

「テレビの嘘を見破る」  著者 今野 勉 

              出版 新潮新書







CGMでの管理者、利用者が今後、どんな管理を
していくべきであろうか。

今、問題となっているのが
違法ではないが有害である情報についてであると思う。


管理者が
強い権限をもち
発言や書き込みを
強く規制することは
確かに、言論の自由に反する。
しかし、ある程度の規制が
なければネット上の秩序が
壊れてしまう。


有害である情報の
難しいのは
ある人にとっては
有害であるかもしれないが
別の人にとっては
無害である
という
有害でもあり、無害でもあるというところである。

これを
管理者が
どの基準で判断するかは
とても難しいところである。

また、管理者は
すべての有害な情報に
目を向けて判断するのは
難しい。

ある程度は
利用者の
モラルに任せられるのだが


しかし、それでは
何の解決にもならなであろう。


だから、
より利用者同士で
ある情報について有害か無害か
判断し、

その結果を
管理者に通報する。


はじめに
利用者に
管理者に
利用者の利用を制限できる
規約に
同意させておけば


管理者が最終的に判断し
その情報を
流した利用者に対して
ある程度の利用の制限をする。


管理者だけが
利用者の行動を監視するのではなく
利用者同士で
行動を監視、
最終的に
管理者が判断をすればよいと考える。

今日の午後、
金賢姫元工作員が
帰国するそうです。


それにしても
もの凄い対応のしかたでしたね。

特別機できて

国内でも
ヘリでの遊覧とか
かなりのVIP待遇。


確かに、
日本にとっては
拉致問題の解決のための
重要人物。


ニュースでは、
有力な情報は得られなかったとか
言ってますが、
実際はどうなのか・・・・


ただ、日本にとっては
重要人物でも

韓国では、
大韓航空機爆破事件の実行犯であって

韓国の人からしてみれば
日本の対応には
相当な怒りを覚えるでしょう。

大量殺人テロ事件の実行犯を
日本は
ヒーローのように
扱っているのですから。

この2つの国の
温度差は・・・・・・


ともかく、

韓国国内での
反日感情が高まることは
間違いない  ですね。


参考資料

毎日.jp http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100720k0000e040045000c.html