⑬
来るまでは必死で気づかなかったが、
内陸や川沿いには家屋の残骸や木材が打ち上げられていた。
道路はいたるところが泥だらけで異臭が漂っていた。
「被害がひどいの沿岸部だけじゃなかったんだね」
自分たちが見えてない部分の被害も改めて確認する時間だった。
沿岸部は住居が燃えたり、流されたりと目に見えた被害が主だったが
内陸部はまともに家が建っているように見えていても、1階まで水が浸かり
ヘドロが家の中に侵入しているのがほとんどだった。
そういった家はたとえ泥を掻き出したとしても、家電類は当然使えない上に
ライフラインの復旧はしばらく見込めない。
住むとしても木材や家具にしみてしまった油やヘドロの臭いがなかなか取れず
今まで通りの暮らしは到底できないものだった。
「ひどいな・・。」
景色に目を取られているうちに避難所に着いた。
僕らは一目散に祖母のもとへ走った。
避難所は相変わらず人であふれていたが午後になり
朝よりもみんなが疲れているように見える。
ざわざわと会話は飛び交うが、活気ではなく焦燥感、不安などによるものだったと思う。
祖母を見つけた。
「ばあちゃん!!迎えに来たよ!車で!」
「あんれー。誰が乗っけてけだのさ~。」
「お母さんたちが書置きしてくれた住所の鈴木先生って人!」
「誰だべ~。いい人もいだもんだな~。」
「ほんとにいい人だよ。さ!早ぐ行くべ!」
「わがった。ちょっと待ってなあ」
重い腰をゆっくり上げ祖母は荷物をまとめ始めた。
「りん!ばあちゃんは任せた。俺父さんたち探して来る!」
弟に祖母を任せ、僕は父たちを探しに向かった。
避難所を走り回ったが見つからない。
無事なのは知っているが、朝に父と別れたのが凄く前に感じた。
中学校、小学校と回ったが見つからない。
この近くにはいないのか・・・。
給水車が来ている市民会館を訪れようと思いつき学校を後にした。
朝と変わらず行列を成している。
長蛇の道の後ろから肩を担がれている人がいる。
大柄の人だな。怪我でもしてるのかな。
「ん?あれって・・・。父さん!??」
父は兄に肩を借り歩いていた。
隣には母もいる。
「おおーい!!!」
声を張り上げて三人を呼んだ。
「おお!しん!大丈夫か!」
「大丈夫!それより父さんどうしたの?」
「一昨日逃げたときに足を切ってたらしくて・・」
父は11日、燃える自宅から避難してきた際に足を切っていた。
それでも子供らを不安にさせまいと我慢していたのである。
「気付かなかった・・。じゃあ早くいって休まないと!」
「行くってどこにさ。」
「鈴木先生って人の家!」
「真平お前あそこ行けたのか!?」
「友人のお母さんが車で乗っけてくれたおかげで行けた!」
「すげえな。伝言書いたの朝だったのに。」
「そうなの!?でもよがった!
あ!そんでね!無理言って迎えに来てもらった。
中学校の近くの道路で待っててくれてるからそこまで行こう!」
足を引きずる父を手伝いながら、待ち合わせの場所まであるくと
弟と祖母がそこにはいた。
良かった。気仙沼にいる家族全員と会えた。
その気持ちで胸がいっぱいになった。
でもこれからどうなるんだろう。
再会できた喜びをかき消すかのように明日への不安が募る。
しかし、それは明日にならないとわからないと考えるのをやめた。
待ち合わせ場所で奥様が迎えに来てくれた。
立派な車に父は思わず口が開いていた。
かしこまった挨拶を経て車に乗り込む。
車の中では地震直後の行動や、今日にいたるまでの経緯をたくさん話した。
車、自宅、事務所、会社。失ったものは数えきれないほどあったが
家族という自分にとって何よりも大事なものが無事だったことを心から安堵した。
家に着き、妹と合流し
家族全員無事だということを確認することができた。
以上長くなりましたが、僕の震災の記憶です。
誤字脱字などのご指摘もありながらなんとか合流まで書くことができました
この後は鈴木家に居候させていただく生活が始まります。
助かったのちの葛藤、出会い、日々の過ごし方。
気になることがありましたらコメントに書いて頂けると嬉しいです。