自宅発掘

 

自宅までの道のりは険しいというには過酷過ぎた。

 

普段なら車で10分足らずの道のり。

歩いたとしても30分程。

片道を向かうだけで1時間半かかった。

 

 

川沿いの道は平気だったが、町に出ればすでに道はなかった。

 

 

 

ふと見かけた家は大きく傾いて今にも倒れそうだったり

 

3階建ての家の2階には車が突き刺さっていたり、

 

線路の上に屋根があり。海水が溜まり、足の踏み場などなかった。

 

 

長靴を履いてても、一歩間違えればむき出しの釘や材木でけがをしそうだった。

 

積み上げられた車達には大きな赤い〇がスプレーで書かれていた。

 

 

「兄ちゃんあれなに?」

「もう中に人はいないから、撤去して大丈夫って意味だよ」

「あの津波の中、車で逃げて助かった人もいたんだね!」

「そうだな・・・。」

 

 

本当はもう人(遺体)がないという意味だ。

 

あまりにも純粋に答えられて真実を伝えるのを迷ってしまった。

 

車だけでなく、残った家屋などにも〇が書かれてあったりもした。

 

 

実際は

 

確認済、撤去可=〇

倒壊危険あり=×

という意味でつかわれることが多いらしい。

 

 

 

足場もままならない中やっとの思いで自宅跡地に到着することができた。

 

 

改めて感じる被害は現実なんだと。

 

僕らが見届けた自宅は津波に耐えたが、火事によって崩れ落ちてしまった。

 

幸いなことに倒れることなくその場にすべて落ちたため、掘り当てる場所は限られていた。

 

「ほんとにこれ掘るの?」

「掘るぞー。金庫発掘大作戦スタートだ!」

「さあ、頑張るわよー。」

 

積み上げられた自宅の瓦礫はゆうに7mは積もっており、

その中からたかだか金庫1つを掘り当てるのは容易ではない。

 

不安になる僕と弟の質問に対し、

長兄と母は空元気を絞り出しているようにも見えたが

弟はみんなでする共同作業にワクワクしているようだった。

 

頭にタオル巻き付け日差しが照り付ける中、発掘作業が始まった。

 

 

自宅の構造は3階建てで

 

1階がダイニングキッチン、父の書斎、キッチン、バスルーム

2階がリビング、祖母の部屋

3階が寝室、僕の部屋、弟の部屋。

屋根裏が本の部屋

 

となっていて

まず自分の部屋のあったであろう場所から掘り進めた。

金庫はないであろうが、少しでも何か出てくれば持ち帰りたいと思ったのだ。

 

積みあがった泥と、灰と、土砂、そして材木たち。

鎮火しているのに焦げ臭いにおいが立ち上がる。

 

まず大きな木材が出てきた。

ベッドフレームだろうか。それとも柱だろうか地に落ちた状態では

もはや何かわからないので悲しみようがなかった。

 

カツン!

 

固いものに当たった。

丸一日燃え続け、なおかつ僕の部屋は浸水もしなかったので

期待はしてなかったが、なにやら手ごたえが。

 

かき分け取り出すとメダルであったであろう物が出てきた。

水泳を頑張っていた僕の証でもあったメダルたち。溶けて固まってしまっていたが

首にかける部分に名残があったため認識することができた。泥だらけで錆も多少あった。

改めて自分の部屋がなくなったことを確認し、悲しくなった。

 

PS3

MDコンポ

テレビ

 

など金属で耐火性の強いものしか見つけることはできなかった。

 

 

1時間ほど掘り進めて行くと

2階であったであろう部分にたどり着いた。

 

2階のリビングは父が録画していたDVDコレクションが300本ほどあったり

思い出のアルバム等が保存されていた場所だった。

津波に浸かり、燃えにくくなってはいて3階のものに比べれば割と形を成していた。

 

アルバムに関しては外側が焼けてしまっていたが

思いのほか残存し持ち帰ることが決まった。

 

真っ黒の本を1ページ1ページ

溶けてくっついた写真を破かないように丁寧に

開いていったのはよく覚えている。

 

結局その日は2階までの発掘作業で日が暮れ始めてしまった。

しかしアルバムを持ち帰ることができたのは大きな収穫だったと満足気だった。

 

 

居候先に着くとアルバムたちを水洗いし、干した。

重油の臭いと焦げた臭いがとれなかった。

見たいが、嗅ぎたくない。変な感じだった。