【ごちそうさん】というNHKの朝ドラは、多くの日本人が忘れがちだった『食べ物を頂くありがたさ』を思い出させてくれたドラマでしたね。

現在、国をあげて『食育』に取り組んでいるのは、『味覚』はおおよそ3歳くらいで一定の基盤が出来上がる…という事実に基づき、幼少時の食生活に力をいれてきたわけですが、

その一方で、好きなものだけを食べる『個食』
独りでいつも食べる『孤食』
虐待のひとつであるネグレクト(子育て放棄)による、家庭で食事にありつけない子→(彼らの飢えは給食によって補われています)
など、

家族全員でテーブルを囲む習慣が少なくなってきたからこそ、

『いただきます』も『ごちそうさま』も、マナーのひとつでしかないような状況をうみだしているし、

このままでいいのだろうか?という危惧を、大人が持ちはじめているからなのかもしれません。

しかし、一方でこんな声も聞こえてきます。

『嫌がっている物を、無理に食べさせる必要は無いじゃないか!』
『大人になったら、食べられるようになるんだから!』
『嫌いなものがあっても別に困らないじゃないか!』

そうなんです。今の日本では、子どもに無理じいして食べさせるのは、まかりまちがうと虐待のひとつになってしまう可能性があるんです。

しかし、難民や開発途上国では、『食べられない』子どもがたくさんいるのを承知の上で、

『無理やり食べさせないで欲しい!』

という要望が多い事実を省みますと、正直な話、『う~ん』と、悩むこともしばしばです。

もちろん『食事は楽しく!』が、大原則ですから、食べることを嫌がるような働きかけは、『生きる力』『生きる意欲』を低下させることにもなりかねません。

しかし、それと同じくらい色々な食材を食べる喜びを体験してほしいという気持ちも、もっているのです。

ですから、あまり急がず、ゆっくり進めていくのもひとつの方法なのかもしれませんね。

はじめはスプーンを口に持っていく→しかし固く閉じている唇は開きません。

それでも、大好きな大人に「食べてみようね」と笑顔で言われると、ある日、苦手な食べ物を口に入れてみる気持ちになるかもしれません。

しかし、ここで安心したらダメですよ(笑)。多分、おそらく、間違いなく、口から「べ~っ!」と吐き出されるに違いありませんから!

けれど、実は、それでいいんです。「今度はべーっとださないでね」と繰り返し語ることで、子どもの心のすき間に刻まれていくのが大事なのですから。

どこかで、必ず、挑戦してみよう!頑張ってみよう!と「ゴックン」と飲み込む日が訪れますから、ちょっと長い目でみてあげませんか?

3歳くらいまでは、それで十分です。(幼児は知恵がつくので、時間はもっともっとかかります。でも、基本は同じなんです)

子どもはやだ!ダメ!と思っていても、大人の言葉を信じて挑戦してみようとする柔軟さがあります。

だって、笑顔で見守ってくれるから…。
だって、子どものペースに合わせて、じーっと待っていてくれるから…。

子どもはやってみようかな?と挑戦してみる気持ちになるのだろうと思います。


食卓を囲み、家族で食べる良い点は、全員で同じ食材を味わい、『おいしいね!』と喜びあうことです。

見た目が嫌で、どうしても食べる気にならなかったものを、大人が実に美味しそうに食べている姿をみて、よし!パクり!

「あれ?食べたらおいしかったよ!」ということもあったのかもしれません。


しかし現在はちょっと、事情が変わってきました。

かの有名なマリー・アントワネットが言った『パンをたべられないなら、お菓子を食べれば良いじゃない!』という言葉!

これは後に、創作であるのでは?…という意見が強いにせよ、現代の日本は、ある意味それが現実になろうとする傾向があるのかもしれません。

すべての方が、食事をないがしろにしているとはおもいませんが、

一部の皆さんの食生活が、次代の子どもたちにつながる基本になるのだとしたら、『ちよっと待ってください!』と止めたくなるのが正直な気持ちです。

『おいしかった!』『ごちそうさま!』


食事は本来大切なひとのために、心をこめて、楽しく作っていくものでした。

現代の効率を考える世の中では、時間の価値に重点をおきはじめているので、ある意味、改革がおこるのは仕方がないことなのかもしれません。

だからこそ、『ごちそうさん』のドラマは、郷愁を覚える昔話だったのかもしれませんが、私たちの心の中に、何か大切なものを残してくれたのも、まごうことなき事実なような気がしてなりません。