【『二次的障害』をさけるために!】
自己肯定感の低い大人と子どもの存在が増えている…と、前回のブログで少し記載した。
その辺りについての本や論評は多数あるので、気にかけている方も多いかもしれない。
幸福度というのも、一種の肯定感のひとつであるのだから、生きていく上で、とても重要なものである。
さて、就学前の子どもたちの集団生活では、障害を抱えていたり、障害ではないのだが、より細やかな対応を必要とする子どもが必ずいる。
気持ちが不安定だったり、友だち(人間)関係がうまくいかなかったり、
全員に向けての声がけを、自分が言われているとは思わずに、気に止めない子などには、配慮が必要である。
…そういう子どもたちは、抽象的概念が苦手だったり、友だちとの距離を測れない子が意外と多い。
個別に『~しよう』と誘うこともあれば、周りの子どもが今、どんな事をしているかを気付かせ、『やろうね』と、働きかけることもある。
トラブルになった時、自分の気持ちは主張できるが、相手がいま、どんな気持ちをしているかが全く分からない子もいる。
そんな時は、大人は仲介していきながら、両方の気持ちを聞き、相手がどんな気持ちでいるかを知らせていく。
彼らは『目で見る能力』はとても優れているので、見て→理解して→行動する…という図式になるように、繰り返し援助をする。
相手の気持ちがわからなければ、『泣いているよ』『嫌な気持ちだったんだって!』と、分かりやすい言葉を添えてあげながら、まずは『あれ?』という気持ちをもたせていく。
自分は悔しかったし、凄く嫌な気持ちだからおこったけれど…あれ?
泣いているの?嫌な気持ちだったの?
…そんな経験を、たくさんさせて、少しずつ学習させていくのである。
しかし、4~5歳になると集団的な行動が増えてくる。言葉による指示も多くなるため、個人差も出やすい。
言葉によってすぐに理解出来るのは、抽象的概念が育っている証拠だから、これはその子の環境によっても左右される場合もあるだろう。
また、言葉では理解しても、気持ちが追い付かない子だっている。
たとえば『鬼ごっこ』。逃げるのは好きだが、鬼になると怒ってやめてしまう子がいる…これはルールを理解していても、ルールを守らないとみんなが楽しく遊べない…ということは理解できず、自分の『嫌!』という気持ちを全面に出している典型的な状態である。
このような場合は『自分をコントロールする力』や『鬼をやめたことで、他の子が嫌な思いをしている』という状態にきづかせていくのが、必要である。
ところで、学校は、言葉の指示にによる学習が中心になるので、
ちゃんと『聞いて』『見て』、『理解』して『自分のものにしていく力』が大切になってくる。
言われていることが分からないから、『嫌だから立つ』というわけにはいかないだろうし、一人が立つとつられる子もいるから、学級崩壊になりかねない。
そんな子どもには案外『見せて』『触れさせて』『嗅いで』『味わったりする』という五感の凄さを利用して、授業に生かすのも(低学年)ではありなのかもしれないが、現状では難しいだろうか?
小さい子は、『見る力』がとても優れている。これは乳児にも言える事だから、
小さい子は想像以上に、大人の表情には敏感だ。だから、むしろ関わる大人は役者のようにハッキリした表情を、見せてあげた方が良いと、私は思っている。
怒っている顔、優しく笑っている顔、声を出して笑っている顔、泣いている(ふりをしている)顔。
…それが、子どもの喜怒哀楽の感情を育てていく。
小さな子を育てている時は、ある程度の演技力も必要ではないかと思うのだが、今のお母さんはクール美人さんも多く、ポーカーフェイスだったりするのである。
さて、だんだん話が拡がりすぎているので、そろそろ話を集約していこう。
『見る力』『抽象的概念』『二次的障害』『自己肯定感』が、どう関わっていくかは、上記を参考にして頂きたいが、とりあえず、まとめ。
『二次的障害』とは、周りの評価が作り出してしまう『強い劣等感』である。
『強い劣等感』を自分の実力と思ってしまい、周りも自分も、『出来ない奴』というレッテルが貼られる。
何故か?
子どもは大人よりオールマイティーを求められているので、出来ないことは白い目で見られる。それが、現在、『二次的障害』が起こりやすい環境なのではないかと考えられている。
だから、出来ない部分を援助しながら、得意の事を伸ばしていければ、本来ならベストである。
得意な事があれば、自信にもつながる。劣等感をもちそうになっても、『これがあるから自分は、頑張れる!』という、気持ちが育つと子どもは変わる。
『できないこともある』『だけど、これは出来る・がんばれる!』という子どもに判断力がつけば、しめたものだ。
問題は、それを受け入れて伸ばしていけるかが、『大人の役目』なのだが、実は難しい場合も多い。
『どうせ、自分は…』とか『出来ないよ。無理だよ』という気持ちより、『出来る事が嬉しい!』『頑張れば出来る!』という気持ちが育つのは、やはり周りの環境しだいであろう。
これは、本人の思いが一番大事とはいえ、大人の応援があってこそ、気持ちが伸びていく。それが成長だからだ。
願わくは、そんな子どもがたくさん増えてほしい。
そして、その時点…もしくは思春期で挫折を感じてしまった大人の方も、自分が本当に好きだった事を思い出してほしい。
『好きこそ物の上手なれ!』
継続していくことが、必ず自信へとつながっていくだろうと信じて、前を向いて欲しいと思う。
何でもいいではないか!
自分に好きなものがある!
自分には出来ることがある!
…という気持ちが自己肯定感を作っていく。
自己肯定感が育まれると、『二次的障害』…外野による評価に左右されない人間になるだろう!
それが一番大事な事だ。
自己肯定感の低い大人と子どもの存在が増えている…と、前回のブログで少し記載した。
その辺りについての本や論評は多数あるので、気にかけている方も多いかもしれない。
幸福度というのも、一種の肯定感のひとつであるのだから、生きていく上で、とても重要なものである。
さて、就学前の子どもたちの集団生活では、障害を抱えていたり、障害ではないのだが、より細やかな対応を必要とする子どもが必ずいる。
気持ちが不安定だったり、友だち(人間)関係がうまくいかなかったり、
全員に向けての声がけを、自分が言われているとは思わずに、気に止めない子などには、配慮が必要である。
…そういう子どもたちは、抽象的概念が苦手だったり、友だちとの距離を測れない子が意外と多い。
個別に『~しよう』と誘うこともあれば、周りの子どもが今、どんな事をしているかを気付かせ、『やろうね』と、働きかけることもある。
トラブルになった時、自分の気持ちは主張できるが、相手がいま、どんな気持ちをしているかが全く分からない子もいる。
そんな時は、大人は仲介していきながら、両方の気持ちを聞き、相手がどんな気持ちでいるかを知らせていく。
彼らは『目で見る能力』はとても優れているので、見て→理解して→行動する…という図式になるように、繰り返し援助をする。
相手の気持ちがわからなければ、『泣いているよ』『嫌な気持ちだったんだって!』と、分かりやすい言葉を添えてあげながら、まずは『あれ?』という気持ちをもたせていく。
自分は悔しかったし、凄く嫌な気持ちだからおこったけれど…あれ?
泣いているの?嫌な気持ちだったの?
…そんな経験を、たくさんさせて、少しずつ学習させていくのである。
しかし、4~5歳になると集団的な行動が増えてくる。言葉による指示も多くなるため、個人差も出やすい。
言葉によってすぐに理解出来るのは、抽象的概念が育っている証拠だから、これはその子の環境によっても左右される場合もあるだろう。
また、言葉では理解しても、気持ちが追い付かない子だっている。
たとえば『鬼ごっこ』。逃げるのは好きだが、鬼になると怒ってやめてしまう子がいる…これはルールを理解していても、ルールを守らないとみんなが楽しく遊べない…ということは理解できず、自分の『嫌!』という気持ちを全面に出している典型的な状態である。
このような場合は『自分をコントロールする力』や『鬼をやめたことで、他の子が嫌な思いをしている』という状態にきづかせていくのが、必要である。
ところで、学校は、言葉の指示にによる学習が中心になるので、
ちゃんと『聞いて』『見て』、『理解』して『自分のものにしていく力』が大切になってくる。
言われていることが分からないから、『嫌だから立つ』というわけにはいかないだろうし、一人が立つとつられる子もいるから、学級崩壊になりかねない。
そんな子どもには案外『見せて』『触れさせて』『嗅いで』『味わったりする』という五感の凄さを利用して、授業に生かすのも(低学年)ではありなのかもしれないが、現状では難しいだろうか?
小さい子は、『見る力』がとても優れている。これは乳児にも言える事だから、
小さい子は想像以上に、大人の表情には敏感だ。だから、むしろ関わる大人は役者のようにハッキリした表情を、見せてあげた方が良いと、私は思っている。
怒っている顔、優しく笑っている顔、声を出して笑っている顔、泣いている(ふりをしている)顔。
…それが、子どもの喜怒哀楽の感情を育てていく。
小さな子を育てている時は、ある程度の演技力も必要ではないかと思うのだが、今のお母さんはクール美人さんも多く、ポーカーフェイスだったりするのである。
さて、だんだん話が拡がりすぎているので、そろそろ話を集約していこう。
『見る力』『抽象的概念』『二次的障害』『自己肯定感』が、どう関わっていくかは、上記を参考にして頂きたいが、とりあえず、まとめ。
『二次的障害』とは、周りの評価が作り出してしまう『強い劣等感』である。
『強い劣等感』を自分の実力と思ってしまい、周りも自分も、『出来ない奴』というレッテルが貼られる。
何故か?
子どもは大人よりオールマイティーを求められているので、出来ないことは白い目で見られる。それが、現在、『二次的障害』が起こりやすい環境なのではないかと考えられている。
だから、出来ない部分を援助しながら、得意の事を伸ばしていければ、本来ならベストである。
得意な事があれば、自信にもつながる。劣等感をもちそうになっても、『これがあるから自分は、頑張れる!』という、気持ちが育つと子どもは変わる。
『できないこともある』『だけど、これは出来る・がんばれる!』という子どもに判断力がつけば、しめたものだ。
問題は、それを受け入れて伸ばしていけるかが、『大人の役目』なのだが、実は難しい場合も多い。
『どうせ、自分は…』とか『出来ないよ。無理だよ』という気持ちより、『出来る事が嬉しい!』『頑張れば出来る!』という気持ちが育つのは、やはり周りの環境しだいであろう。
これは、本人の思いが一番大事とはいえ、大人の応援があってこそ、気持ちが伸びていく。それが成長だからだ。
願わくは、そんな子どもがたくさん増えてほしい。
そして、その時点…もしくは思春期で挫折を感じてしまった大人の方も、自分が本当に好きだった事を思い出してほしい。
『好きこそ物の上手なれ!』
継続していくことが、必ず自信へとつながっていくだろうと信じて、前を向いて欲しいと思う。
何でもいいではないか!
自分に好きなものがある!
自分には出来ることがある!
…という気持ちが自己肯定感を作っていく。
自己肯定感が育まれると、『二次的障害』…外野による評価に左右されない人間になるだろう!
それが一番大事な事だ。