記憶整理中。
今日のこと、一つ一つ思い出す。
思い出せる限りを。
今日は楽しかったからね、気分が乗って簡単だ。
すると、ふいに思い出す記憶がある。
同時に、何処かで消えていく記憶を感じる。
きっと、それが正常な忘却。
バイバイしよう。
君が、死んでいく・・・
別れた日から少しづつ。
残留する思慕が、涙に溶けていく。
それは、カタルシス。
長く生きれば人は汚れるものだ。
幼い頃、人を見て泣くことなんて無かった。
稀に、わざと汚れてみることもある。
存在の確認。
空に手を伸ばして、遠く届かないことを確かめる。
そうやって、綺麗になれる、綺麗だと感じたいのだろう。
PVと、曲が良い。
PVは岩井俊二、AKBの桜の栞のPVも同じく彼が監督。
曲は高野健一で、「さくら」っていう曲がまた泣きそうになるもの。
この二つが合わさると、もう悲しくて
羨望、期待、孤独、そしてそれすら失うことにも不安を抱いて、
どこへ行けばいいのか、ただ感じ続ける浮遊感。
「ふわふわ」というタイトルはそういうことかどうかは知らないけど、間違いなく好きな一曲。
人は、常に孤独だ。
けれど、その日常の孤独を、人は忘れてしまう。
忘れようとしたのか、それとも鈍くなって感じなくなるのか。
孤独に気づきたくないのか・・・。
恋をすれば、楽しいのかもしれない。
そう思うのも、そこに自分はいないからだ。
本当は、誰もいない。
日常は終わる。
それが現実だ。
ずっと感じていられたら、いいな。
そう願えば、自分はそこから消えなくちゃ。
日常は夢に、夢で続く。
依存してしまう君。
可哀想に。
どうか、僕の夢で安らかに。
そして、誰もいなくなる。
どうして、人は人を間違うのだろう
思い通りになると思ってるからだ
人は思い通りにならない・・・
命を与えられ、生を与えられ、
”母”に包まれ育った記憶にいつまでも、しがみついていたい。
君を僕に見せて。
そして、僕の夢の中でおやすみ。
さようなら、可愛らしい人。
さようなら、君と僕。
忘れたくない恋
永久の孤独
夢の中でずっと
巡り、
変わり、
温かく、
呼吸があって、
それは一体・・・
若者の文章能力の低下が問題とされている
果たして本当にそんな問題あるだろうか
ブログやメールが幅広く普及し、特定の相手とのコミュニケーションを目的とした会話に近い文章が用いられ、
それを他者が読んで理解できないなんて当たり前じゃないだろうか?
若者同士はそれで通じ合っているんだ
会話が音声ではなく文字で行われるようになっただけ
ちなみに会話における言葉使いは、親の影響だ
もし文章能力の低下を言うなら会話に使われる言葉がそのまま使用されることが多いので、
親の、つまり問題視する大人の言葉使いが原因だ
数年前、若者が読書をせず活字離れしているって言われたけど、
それだってメールやブログが普及している今、過去に比べ文字に触れる機会は非常に多いだろう
本当に活字離れしてるとは思えない
読書をさせたい大人のせいで小学校、中学校と朝の読書を無理やりさせられてね、
ますます読書が大嫌いになった。好きなものも読めないし
もう愚かな行為だと気づいたらしく、母校では撤廃されたけど
大人は変化を恐れる、適応できなくなる(=バカ)
新しく普及するものを恐れるのだ
長く生きると、多くの人がどうしてもそうなるようだ
そして、最近の若者は・・・と言って、若者をダメだと思いたいだけ
そうすれば自らの時代を正しいと信じられるようだ
こんなこと考えていると、幾らでも言いたいことはある
決め付け、過剰な干渉、まったく不満だらけだ
・・・って、書こうと思ってたことと違うものになってしまった
果たして本当にそんな問題あるだろうか
ブログやメールが幅広く普及し、特定の相手とのコミュニケーションを目的とした会話に近い文章が用いられ、
それを他者が読んで理解できないなんて当たり前じゃないだろうか?
若者同士はそれで通じ合っているんだ
会話が音声ではなく文字で行われるようになっただけ
ちなみに会話における言葉使いは、親の影響だ
もし文章能力の低下を言うなら会話に使われる言葉がそのまま使用されることが多いので、
親の、つまり問題視する大人の言葉使いが原因だ
数年前、若者が読書をせず活字離れしているって言われたけど、
それだってメールやブログが普及している今、過去に比べ文字に触れる機会は非常に多いだろう
本当に活字離れしてるとは思えない
読書をさせたい大人のせいで小学校、中学校と朝の読書を無理やりさせられてね、
ますます読書が大嫌いになった。好きなものも読めないし
もう愚かな行為だと気づいたらしく、母校では撤廃されたけど
大人は変化を恐れる、適応できなくなる(=バカ)
新しく普及するものを恐れるのだ
長く生きると、多くの人がどうしてもそうなるようだ
そして、最近の若者は・・・と言って、若者をダメだと思いたいだけ
そうすれば自らの時代を正しいと信じられるようだ
こんなこと考えていると、幾らでも言いたいことはある
決め付け、過剰な干渉、まったく不満だらけだ
・・・って、書こうと思ってたことと違うものになってしまった
選択肢が少ないなんて、
選択肢を増やせないなんて、とても可哀想なことだ。
神を望み自己を憐れむ人を、神は憐れと思うのか。
いっそこの手で殺してあげようかと思えば、それは慈愛。
選べないのなら、選びを求めるなら、この手で殺してあげたい。
特に見せられるものも無く、見せたいものも無い。
このブログは何だろうと考える為だけに、書く。
意味は無く、価値は読み手任せ。
けれど読まれることを想像せず、ただエネルギーを無駄にする。
エコを強要させられる時代なのにね。
今、社会の流れは進歩か退化か。
ところで、神様はいるのかな?
いるとしたら、どんな時、何処に、どんなカタチで現れるのだろう。
幾ら科学的に証明しようと、
哲学的に説こうと、それに価値が有るのだろうか。
それに気づくことにこそ価値があると思う。
でも、気づいたところで、生き方が変わるかな?
「死ぬ為だけに生きているんじゃない」
そう言い、いづれ死んでしまうから生きている間に何か感じよう、とする意思。
「死ななくていいよ」
そう神様に告げられたら、どうする?
死ぬ必要が無くなれば、生きる必要も無くなる。
じゃあ、何の為に存在する?
そう人はきっと問うだろうけど、
それには、死ぬから生きていられるような印象を受ける。
愛される術を人は探す。
異質な形に成ろうとも、それは純粋な欲動。
どうか、愛してあげてほしい、彼らを。
そして彼らを愛する貴方達をも、みなを。
私が選ばなかった道を行く者に、どうか祝福を。
選択肢を増やせないなんて、とても可哀想なことだ。
神を望み自己を憐れむ人を、神は憐れと思うのか。
いっそこの手で殺してあげようかと思えば、それは慈愛。
選べないのなら、選びを求めるなら、この手で殺してあげたい。
特に見せられるものも無く、見せたいものも無い。
このブログは何だろうと考える為だけに、書く。
意味は無く、価値は読み手任せ。
けれど読まれることを想像せず、ただエネルギーを無駄にする。
エコを強要させられる時代なのにね。
今、社会の流れは進歩か退化か。
ところで、神様はいるのかな?
いるとしたら、どんな時、何処に、どんなカタチで現れるのだろう。
幾ら科学的に証明しようと、
哲学的に説こうと、それに価値が有るのだろうか。
それに気づくことにこそ価値があると思う。
でも、気づいたところで、生き方が変わるかな?
「死ぬ為だけに生きているんじゃない」
そう言い、いづれ死んでしまうから生きている間に何か感じよう、とする意思。
「死ななくていいよ」
そう神様に告げられたら、どうする?
死ぬ必要が無くなれば、生きる必要も無くなる。
じゃあ、何の為に存在する?
そう人はきっと問うだろうけど、
それには、死ぬから生きていられるような印象を受ける。
愛される術を人は探す。
異質な形に成ろうとも、それは純粋な欲動。
どうか、愛してあげてほしい、彼らを。
そして彼らを愛する貴方達をも、みなを。
私が選ばなかった道を行く者に、どうか祝福を。
今、ネットでよく外国と日本の関係に関して問題提起されている。
法律、メディアにおいて是非が問われている。
何故?
自己を社会に、国に置いている限り、そういった問題は常に起こる。
けれど、中心に身を置かないし、働きかけようとしない。
こうあればいい、と主張し、同調を求め、同一の形を他者に依存した中で描く。
周りに人間がいなければ、
意見の違いに腹を立てずに済むし、そこまで不自由な状況というのが無い。
失われることが恐い?
社会の一員として社会の正しさを感じていたい?
自分で決めればいいのに。
人は、自分の存在や価値観、理念を社会に託す癖がある。
同一を求め、永遠を望み、変化を恐れる。
何故?
枯れぬ花、
移ろわぬ草木に生命は無い。
流れの無い水は、腐る。
循環こそ生と死、生命の基。
その流れに則り、
子孫を残し、一つの生命が新しい身体へ繋がり往く。
それが生命。
新しい身体へ繋がれた今も、生き続けるモノは何なんだろう。
繋がれたものを生かす為、更に先へと繋ぐ為、生まれたかのような社会。
死ぬ為に子を。
生かす為に社会を。
それが全体の意志。
生き続けるモノは、生命の残骸。
それが受け入れられないから、個つまりアイデンティティを求めるようになったのか。
生きる意味を、他に求めたい?
自分は何故、生きるんだろう。
楽しいから生きる・・・
楽しさによって、ギリギリ生きている。
子供さえ持てば、すぐにでも死んでもいいのではないか・・・とそんな想像をする。
ほんの少し、子供に必要なものを残し。
みんな必死に生きている様だけど、理解できない。
必要なものは明確で、その為に生きるのは簡単だ。
生きているのに、生きていることに満足しない。他に何か特別なものを求めている。
趣味、価値、意味、
そんな自己を感じる時に必要になるものを、それが特別に感じられるものを、求めている。
生きることは、素晴らしいと思っているから?
生きていることが素晴らしい?
自殺は悪で、生きることが善?
何故死んではいけないの?
どうしてそんな考えが存在するんだろう。
誰かの為に生きることが素晴らしいというのは、
一周して辿り着いた回答なのかも知れない。
個を捨て、生に尽くせば、それは楽な人生。
自然な流れだからだろう。
愛している、や、ありがとう、
何度も何度も確かめていないと不安?
一つの事柄でしか感動は得られない?
他では強い情動は生まれない?
正しいと思える何かがあるようだ。
それが愛や感謝で強く感じられる。
それを感じて、自己を実感し、安心するのはどういう心理?
終わり。
法律、メディアにおいて是非が問われている。
何故?
自己を社会に、国に置いている限り、そういった問題は常に起こる。
けれど、中心に身を置かないし、働きかけようとしない。
こうあればいい、と主張し、同調を求め、同一の形を他者に依存した中で描く。
周りに人間がいなければ、
意見の違いに腹を立てずに済むし、そこまで不自由な状況というのが無い。
失われることが恐い?
社会の一員として社会の正しさを感じていたい?
自分で決めればいいのに。
人は、自分の存在や価値観、理念を社会に託す癖がある。
同一を求め、永遠を望み、変化を恐れる。
何故?
枯れぬ花、
移ろわぬ草木に生命は無い。
流れの無い水は、腐る。
循環こそ生と死、生命の基。
その流れに則り、
子孫を残し、一つの生命が新しい身体へ繋がり往く。
それが生命。
新しい身体へ繋がれた今も、生き続けるモノは何なんだろう。
繋がれたものを生かす為、更に先へと繋ぐ為、生まれたかのような社会。
死ぬ為に子を。
生かす為に社会を。
それが全体の意志。
生き続けるモノは、生命の残骸。
それが受け入れられないから、個つまりアイデンティティを求めるようになったのか。
生きる意味を、他に求めたい?
自分は何故、生きるんだろう。
楽しいから生きる・・・
楽しさによって、ギリギリ生きている。
子供さえ持てば、すぐにでも死んでもいいのではないか・・・とそんな想像をする。
ほんの少し、子供に必要なものを残し。
みんな必死に生きている様だけど、理解できない。
必要なものは明確で、その為に生きるのは簡単だ。
生きているのに、生きていることに満足しない。他に何か特別なものを求めている。
趣味、価値、意味、
そんな自己を感じる時に必要になるものを、それが特別に感じられるものを、求めている。
生きることは、素晴らしいと思っているから?
生きていることが素晴らしい?
自殺は悪で、生きることが善?
何故死んではいけないの?
どうしてそんな考えが存在するんだろう。
誰かの為に生きることが素晴らしいというのは、
一周して辿り着いた回答なのかも知れない。
個を捨て、生に尽くせば、それは楽な人生。
自然な流れだからだろう。
愛している、や、ありがとう、
何度も何度も確かめていないと不安?
一つの事柄でしか感動は得られない?
他では強い情動は生まれない?
正しいと思える何かがあるようだ。
それが愛や感謝で強く感じられる。
それを感じて、自己を実感し、安心するのはどういう心理?
終わり。