「あなたがたがわたしを見るとき、長い過去からの友を、
以前にも度々あなたがたに教えたことのある者を認知するだろう。
多くの者がこれに気づき、わたしを認知し、
彼らの生活の中にわたしを受け入れるであろう。
この宣誓を持ちかえりなさい-
わたしは神の法を復活させる。
わたしは神の愛を携えてくる。
わたしは世界にいのちの水を放つ。
この貴重な流れの中で、あなたがたの生得の権利に向かって成長していきなさい。」
マイトレーヤからのメッセージ 第138信より抜粋
・・・タンザニアで、私が会ったロガティーという男の子は、六歳でした。
ふつうなら、もう小学校という年なのに、体がうんと小さく、立つことも、歩くことも、しゃべることもできないで、ただ、冷たい地面を這っているだけでした。
これが飢えというものなのです。
ちゃんとした栄養が与えられないと、体もそうですが、何よりも脳が育たないのです。
脳が育たないと、人間は、こんなふうになってしまうのです。
(飢えとはこんなに恐ろしいものなのか、知らなかった。)
私は強いショックを受けました。-
「黒柳さん、これだけは、おぼえて帰ってください。
大人は死ぬときに、苦しいとか、痛いとか、いろいろいいますが、子どもは何もいいません。
大人を信頼し、黙って、バナナの葉っぱの下で、死んでいくのです。」
名もない小さな村の村長さんがいった、この言葉も胸に刺さっていました。-
私の手が土で汚れたので、お洗いください、と親切な女の人が小さなアルミのお鍋に水を入れて持ってきてくれました。
でも、その水は、手を入れると手が見えなくなるくらいの、ミルクコーヒー色の濁った水でした。
「このお水、どこから汲んでいらしたんですか。」と私は聞きました。
「裏の井戸です。」
私は家の裏にまわってみました。井戸はありませんでした。
「五キロ先です。」
私は、本当にびっくりしてしまいました。
私がびっくりしていると、私を案内してくださっていた女性国会議員の方が、強い声でいいました。
「五キロ先なんて近いほうなんですよ。
遠い人は、十五キロも水を汲みに行きます。
それでも、水があるから生きていけるんです!」
水汲みも子どもの仕事です。
子どもたちは本当に、よく働きます。
水を汲み、薪をひろい、弟や妹の世話をします。
ですから小学校は義務教育といっても、家の手伝いが忙しくて学校に行けない子どもたちが、たくさんいるのです。-
子どもたちは、手慣れた手つきで表面のほこりや、ごみをアルミのボウルでしゃくって捨てて、水を汲みました。
それでも半分は泥でした。
そのとき驚いたのは、子どもたちが、小さな子どもから順番に飲んだことです。
こんな、ひどい状況の中でも、小さな子から、という、やさしさに、胸がいっぱいになりました。・・・
『トットちゃんとトットちゃんたち』(黒柳徹子著 講談社)より抜粋
1984年 アフリカ大陸東部のタンザニア連合共和国をユニセフ親善大使黒柳徹子さんが訪問。
タンザニアは世界の最貧国で、極度の貧困下、恒常的に食料と清潔な水が不足し、妊産婦や乳幼児の死亡率が高い国の一つです。
今もなお国民の約半数が1日1.9米ドル未満で生活することを余儀なくされている為、多くの子どもたちが家事労働や市場労働に駆り出されて就学の機会を奪われ、貴重な労働力として搾取されています。
・・・タヌー県の手前まで来たとき、砂漠の中で、やっと見つけた小さな水溜まりの水を、遊牧民の子どもたちが、三十頭ぐらいのヤギや羊などに飲ませていました。
茶色の泥水でした。
それでも、動物たちは、おいしそうに飲んでいました。
そして小学生くらいの男の子1人、女の子2人が、水筒に、その泥水を一生懸命つめているのです。
もちろん、飲むためにです。
それを見たときに、とてもたまらない気持ちになりました。-
タヌー県の避難民キャンプには、いつも六千人いるのに、きょうは五千人しかいないというのです。
「どうしたんですか。」と聞いたら、「自分たちがいた、北のほうの村に雨が降ったということを聞いて、千人が種まきに砂漠を走って帰ったから。」という答えでした。
いつまでも避難民キャンプにいないで、自分のいた村に戻りたいと、この暑さの中を小さな子どもの手を引いて、裸足で、五十キロ、百キロという距離を走って帰っていったのです。
本当に胸が痛む思いでした。
でも、せっかく種をまいても、次の日に雨が降らなかったら、砂あらしなどで種が吹き飛ばされてしまいます。
そうすると、仕方なく、またキャンプに戻ってくるのです。-
県知事さんがおっしゃいました。
「黒柳さん、日本では、種は、ふつう1回まけば収穫することができるでしょう。
この人たちは、十回も二十回も同じことを繰り返さなければならないんです。
ですから、アフリカの人が怠けていると思わないで下さい。
努力が形になって現れないんです。
でも、希望は捨てていないですからね!
そして、いい水を子どもにあげる、ということは、命(いのち)をあげるのと同じだ、ということも、忘れないでくださいね。」・・・
『トットちゃんとトットちゃんたち』(黒柳徹子著 講談社)より抜粋
1985年 アフリカ大陸中央部のニジェール共和国ザンデール州タヌー県をユニセフ親善大使黒柳徹子さんが訪問。
ニジェール共和国もまた世界の最貧国の一つで、度重なる大干ばつと大規模洪水、国土の砂漠化という厳しく激しい気象条件から危機的な食料不足と水不足に度々見舞われており、今もなお国民の多くが飢えと渇きに苦しめられています。
・・・ハイチの売春している人の七十二%は、
HIVに感染している、と聞いたので、
十二才の売春している女の子に質問した。
「エイズ、怖くないの?」
まだ、あどけない少女は答えた。
「怖いけど、エイズになっても何年かは、
生きていかれるでしょう?
私の家族は、明日、
食べる物が、ないんですもの。」
一回の売春料は六グールド。
日本のお金にして四十二円。
この四十二円で、少女の家は、
なんとか明日は飢えないで、
生きていかれる。・・・
『トットちゃんとトットちゃんたち』(黒柳徹子著 講談社)より抜粋
1995年 美しいカリブ海に面したハイチ共和国をユニセフ親善大使黒柳徹子さんが訪問。
ハイチ共和国はスペイン、フランスの植民地でしたが、世界初の黒人国家として独立を果たします。
独立後は長期にわたって強権を揮ってきた軍事独裁政権の恐怖政治がようやく倒され、初めて民主的な選挙で選出された大統領が就任し民主国家として歩み始めましたが、その後も政治の混乱が続いて治安が悪化、激甚災害にも度々襲われ、経済は壊滅状態で国民の殆どが絶対的な貧困下、劣悪な環境で飢えに瀕し、今もなお世界の最貧国から脱却出来ずにいます。
1988年6月11日、アフリカ大陸東部のケニア共和国首都ナイロビの貧困地区で、治療家メアリー・アカサさんが定例となっていた治療集会を開催していました。
その日の集会も非常に多くの人-数千人-が参加していました。
集会では参加者全員が一緒に祈りを捧げた後、アカサさんが聖書を持って患者に近づき、少しの間聖書をかざします。
アカサさんによって聖書をかざされた患者は病を癒されるのです。
アカサさんはケニア共和国全土で知られている有名な治療家で、これまでに非常に多くの患者を癒してきた実績がありました。
アカサさんの集会はこれまで何度も開催されていましたが、この日の集会はいつもの彼女の集会とは違い、全人類にとって記念碑的な集会となりました。
アカサさんが参加者たちに「これから非常に重要な人物の訪問を受けることになります」と告げた瞬間、突然、光が輝き、アカサさんの隣に白い衣を纏った、非常に背が高くてほっそりとした男が忽然と姿を現したのです。
Maitreya in Nairobi (©Share International)
集会には様々な人種、様々な宗教の帰依者たちが参加しており、ヒンズー教徒のアジア人、シーク教徒のアジア人の他、多くのキリスト教徒のアフリカ人がいましたが、謎の男を目にした参加者たちが口々に「イエスだ」「クリシュナ、クリシュナ」と呟き始めました。
アカサさんが立つ場所からそれほど遠くない場所に座っていたケニア・タイムズ紙のジョブ・ムツンギ記者は、この突然現れた謎の男が群衆の中を歩いた時、男の足のかかとから閃光が発しているのを目撃しました。
Maitreya in Nairobi (©Share International)
謎の男は約15分間、流暢なスワヒリ語で群衆に語りかけました。
彼は人々に「祈りを続けるように」と言い、「各自が自分自身の伝統に従うべきである」と言いました。
彼は更に、「メアリー・アカサさんは多種多様な人種民族間に一体感を生み出している」と語りました。
Maitreya in Nairobi (©Share International)
ムツンギ記者によると、ほどなくして頭にターバンを巻いたシーク教徒がこの不思議な男に近づき、「車でお送りします」と申し出ました。
Maitreya in Nairobi (©Share International)
謎の男はシーク教徒の申し出を受け入れ、「すぐ近くのバス乗り場まで送ってほしい」と頼み、シーク教徒の車に乗り込みました。
その後、シーク教徒の車の中から男が出てきた時、彼はアカサさんの隣に出現した時と同じように忽然と姿を消してしまいました。
ムツンギ記者はこの衝撃的な出来事を記事にしてケニア・タイムズ紙に寄稿しました。
彼のスワヒリ語による記事を基にして2人のジャーナリストが英語で記事を起こし、英国のガーディアン紙に寄稿しました。
ケニア・タイムズ紙、英国ガーディアン紙の他、CNNでも報道され、日本では読売新聞(1988年7月5日付夕刊)がこの出来事を報じました。
キリスト・マイトレーヤの御顔を実際に見たことのあるジャーナリスト、パトリシア・ピッチョンさんが、集会に偶然居合わせたカメラマンによって撮影されたこの不思議な男の写真をナイロビから取り寄せ、「この不思議な訪問者は間違いなくマイトレーヤである」と確認しました(ピッチョンさんが実際にマイトレーヤと出会った体験は過去記事『スワミ(サイババ)とマイトレーヤ』に詳述しています)。
不思議なことは更に続きます。
ベンジャミン・クレームさんの師である某覚者がクレームさんを通して
「マイトレーヤは、ご自身の姿を現して人々に語りかける全ての場所において、その周辺の水を活性化させるだろう」
と伝えてこられましたが、某覚者が言われた通り、ナイロビにマイトレーヤが出現した後、その周辺で「癒しの水」が発見されたのです。
1988年6月11日、マイトレーヤがケニア共和国ナイロビに出現してから3年後の1991年9月29日、その翌年1992年1月26日、マイトレーヤはメキシコ合衆国の首都メキシコシティに姿を現しました。
その直後、「並外れた治癒力を持つ水がメキシコのトラコテ村で発見された」というニュースが上述のピッチョンさんの耳に入りました。
トラコテ村はメキシコシティから北へ300キロほどの地域にある貧しい小さな村です。
治癒力を持つ水が発見されたいきさつは、この小さな村にある牧場の井戸の湧水を、事故で負傷し苦しんでいた犬が飲んだことから始まりました。
犬が元気に回復したことに牧場主ヘスス・チャヒンさんが気づき、やがて、その水を飲んだ人々から「病気が治癒した」という報告が相次いで寄せられるようになったのです。
その水に本当に治癒力があるのか、検証実験も行われました。
マラリアに罹患し医療機関で治療を受けている兵士たちにその水を投与し検証を行なったところ、非常に有望な結果が出ました。
トラコテの水のことが世界中に知れ渡るにつれ、世界各国から「癒しの水」を求めて、人々がメキシコの小さな貧しい村に殺到し始めました。
世界中から訪れる人がお金を落としてくれることを期待して、村の主要な道沿いには多くの屋台や露店が軒を連ね、村の経済も活性化しました。
今ではチャヒンさんのオフィスの棚に、様々な病気が癒えた多くの人々の詳細な記録のファイルが、天井から床まで所狭しと並んでいます。
「癒しの水」を求めて並ぶ人々 トラコテ村 (©SIGNS & MIRACLES)
メキシコ政府がトラコテの水を試験したところ、極めて純度の高い水で通常の水よりも分子が軽いという特性が発見されました。
このような特性を持った「癒しの水」がメキシコのトラコテ村に続いて、ドイツのノルデナウ、インド北部デリー近郊のナーダナでも相次いで発見されました。
「癒しの水」が発見されたことについて、インドのナーダナの人々は「シヴァ神からの祝福」と感じています。
ナイロビでは多くの人がメアリー・アカサさんの治療集会に忽然と現れた不思議な人物のことを「キリスト」と認識しており、「癒しの水」が発見されたのは「キリストのおかげである」と考えられています。
マイトレーヤは何故、ご自身が出現する地域周辺の水を活性化し、水に治癒力を与えているのでしょうか?
大変切実な理由があります。
マイトレーヤは、絶対的貧困下に生き、非常に貧しいが為に医療の恩恵を受けられない人たちが、「癒しの水」を飲むことによって健康を改善出来るように助けているのです。
そして貧困の中で生きる人々に、励ましと、希望と、苦しみからの解放をもたらしているのです。
クレームさんによると、マイトレーヤは全世界至るところ、合計777ヶ所の水源を活性化することを約束しました(777という数字に関連した過去記事『7のシンクロニシティ』も参照することをお勧めします)。
興味深いことに、マイトレーヤによって活性化された水が発見される順序は、必ずしもマイトレーヤが出現した順序とは一致しません。
「癒しの水」が発見される順序は私たちには計り知ることが出来ないマイトレーヤの意志が働いており、「癒しの水」は厳密に、マイトレーヤが意図した順番に発見されるようになっているのです。
発見される時は誰かが水を発見するように印象づけられたり、負傷した犬がたまたま水を飲んで癒されたりなど、”偶然”を装って、マイトレーヤの意志を反映した順序で発見されるようになっているのです。
『マイトレーヤの使命 第3巻』にはマイトレーヤが全世界の各地域に出現したリスト(1988~2002)が掲載されています。
マイトレーヤは日本の各地域にも出現しています。
(1988年~2002年までに出現した地域については上記書籍に明記されています)
各地域でマイトレーヤは約15分前後、人々に語りかけました。
マイトレーヤが出現した日本の各地域の周辺でこれまで「癒しの水」が発見されたかどうか、拙ブログ主は知りません。
いずれにしても、それらはマイトレーヤの御意志によって、必要に応じて発見されるでしょう。
マイトレーヤは2002年以降も世界各地の村や町、都市で人々の前に現れ続けており、ベンジャミン・クレームさんがご存命の頃は毎月発行される国際月刊誌シェア・インターナショナル誌上で公表されていました。
水と云うものは自然からの恵みであり、誰かが独占したり、所有したりするものではありません。
天は、富める者の上にも貧しき者の上にも雨を降らせます。
大地は地下に豊かな水脈を持ち、山々は降り注ぐ雨水を蓄えて、ろ過しながら様々なミネラルを水に与えて下界に湧出させます。
誰の所有でも無い、大自然からの恵みであり、命(いのち)を支え存えさせてくれる水に治癒力を与えることで、マイトレーヤは上述の通り、極度の貧困の為に医療の恩恵も受けられず、生きる希望を断たれた人々に癒しと希望を与えようとしているのです。
奇跡の治癒をもたらす水としてあまりにも有名なフランスの「ルルドの泉」は、かつて聖母マリアであった覚者が出現させました。
拙ブログで幾度もご紹介しているコルベ神父様は、フランスのルルドの泉に感銘を受けてこれに倣い、日本の長崎にルルドの泉をお創りになりました。
拙ブログでは日本のルルドの泉に起こった奇跡の治癒を過去記事でご紹介していました。
過去記事『神の御名に備わる力』から抜粋し再掲します。
以下抜粋------------------------------------------------------
~コルベ神父様がお創りになった長崎本河内のルルドの泉の水は、長崎に投下された原爆で被曝し昏睡状態に陥り、生死の境をさまよった永井隆博士を被爆直後の死地から救い、その後1951年まで生き永らえさせた奇蹟の聖水として知られています。
永井隆博士は長崎に原爆が投下された1945年8月9日、長崎医科大学物理的療法科教室にいて被曝し、右半身に多数の硝子片切創を負いました。
特に右耳前部の切創は深く、右頸動脈が切断されて鮮血が噴出しました。
このような重傷を負いながらも応急処置をして止血し、博士自ら多数の負傷者を救護し続けます。
この過程で博士の容態は悪化し、9月10日頃から原子病の症状を発症、40度の発熱が続き、創が壊疽を起こし始めます。
9月18日、右耳前部の肉芽組織が壊死し脱落、動脈から再出血し、原子病も重篤な状態に陥ります。
昼夜を問わず看護師や医師が交互に指で創口を押さえて止血し続けますが、血は止まらず博士は貧血を発症、9月20日朝、危篤状態になります。
眼も殆ど見えなくなり、博士は自身の死期が近いことを悟ります。
「私(=永井隆博士)は生きたい、という気が起こった。
しかしまた一方、天主に直接お目に掛かりたいという望みも強かった。
唇に冷たいものが触れ”本河内のルルドのお水だよ”と老母の囁くのが聞こえた。
瞼にあのルルドの薔薇の花まとい咲く岩が映り、すがすがしい聖母のお姿が鮮やかに見えた。
そうしてどうしたわけであったか、マキシミリアン・コルベ神父様の御取次を願えという声が聞こえたようであった。
私の心は従順にそれに従った。
その時全く幼児のような単純な心であった。
私は”思召しのままに委せ奉る”と祈って口を開いた。
水車から水がこぼれるような滑らかな感覚で、ルルドのお水が、私の死につつある身体に流れ入るのを知った。
そしてそのまま私は、またも深い昏睡に陥ってしまった。
”あら、血が止まっているよ” 森田看護婦が叫んだ。
”あら、不思議” 富田医師が呟いた。
正に血はぴたりと止まったのであった。
二人の医師と、本人の私を加えて三名の医師が、専門家の智恵の限りを尽くしても止めることが出来ず、まさに臨終の迫っていた時にルルドのお水を頂くことによって、ぴたりと出血が止まったのである。
そうしてそのまま何の手当もしないのに、血は出ず創がどんどん治ってしまって、瘢痕も殆どわからぬ位の小さなものを残したに過ぎない。
罪深い私は尊き奇跡の起こる程の潔き身体をもっていない。
しかしこの奇怪な現象は私の智恵をもってしては解釈出来ないのである。
私は聖母の光栄のために、これが奇跡であろうと信じるものである。」
(「聖母の騎士」1946年12月号より抜粋)
(永井隆博士 博士自身、敬虔なクリスチャンでした ©Wikipedia)
--------------------------------------------------抜粋終わり
かつて聖母マリアであった覚者は、イエスの母マリアとしての人生においては魂の進化段階2段階のイニシエートでした。
イエスが磔にされて刑死した後、マリアはイエスの12弟子のうち”愛された弟子”ヨハネの世話を受け、エジプトで亡くなり埋葬されました。
その後、マリアであった魂は幾つかの転生を経て現在は魂の進化段階6段階の覚者となられています。
聖母マリアであった覚者はマイトレーヤのように目に視える御体を持たれていませんが、ルルドの泉による奇跡的な癒しや、コルベ神父様を初めとするご自身の高弟たちを通して私たち人類を善導することに心を砕き、そして、世界中の人々の前に聖母マリアとしての御姿を現す奇跡を起こしていらっしゃいます。
このような奇跡を起こすことで聖母マリアであった覚者は、キリスト・マイトレーヤの再臨と新時代~宝瓶宮(アクエリアス)の時代~の到来に人々を準備させると共に、「我さえ良ければ」というエゴに満ちた生き方から全人類が人種民族や国籍、国境、宗教の壁を超えて、兄弟同胞として協力し合い、助け合う生き方にシフトするよう、私たちに改心と、実際に行動を起こすことを求めているのです。
世界的に有名なファティマの聖母マリア出現の奇跡現象は実際にこの覚者が関わっておられます。
1917年5月13日、ポルトガルのファティマという小さな村に住む3人の子ども(7歳~10歳)の前に聖母マリアが出現、10月13日を最後とする毎月13日に聖母が出現し、子どもたちは様々なヴィジョンを体験し、聖母マリアから幾つかのメッセージを託されました。
1917年という年は非常に重要な年でした。
革命家たちが、人間が生きていく上で必要不可欠なものを表現した「パン、土地、平和」というスローガンを旗印に、皇帝一家を頂点とする王侯貴族や大地主、資本家からの一方的な支配から、農奴や労働者に代表される人民の解放をめざすロシア革命を起こしました。
3年前に開戦し長期化、泥沼化していた第一次世界大戦が、翌年の1918年に終結することになるという、非常に重要な局面を迎えていました。
拙ブログの過去記事にて何度も言及しましたが、第一次世界大戦とこれに続く第二次世界大戦は、太古アトランティスの時代、地球上に大洪水をもたらし、アトランティス大陸の海没と人類の殆ど多くの人命を失うことになった戦い~人類を誤った道へ誤誘導しようとした物質性の主方(闇=悪の勢力方)と人類を正しい道へ善導しようとした霊的ハイアラキーの光の勢力方の間に起こった壮絶な戦い~の再現でした。
1914年、ヨーロッパ大陸で権勢を振るっていたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フェルディナント大公夫妻がサラエヴォで暗殺された、世に云うサラエヴォ事件が起こりました。
暗殺はオーストリア=ハンガリー帝国がオスマン帝国の革命の混乱に乗じて、ボスニアとヘルツェゴヴィナを併合したことに不満を持ったボスニア出身のセルビア人男性による犯行でしたが、帝国の皇位継承者が暗殺されたことを盾に、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に対して10項目に及ぶ要求を突きつけます。
セルビアは実に8項目を受け入れ、主権を著しく侵害するものと判断した2項目については留保の姿勢をとります。
オーストリア=ハンガリー帝国が突きつけた10の要求は無理難題ばかりで、帝国はセルビア政府がこれを拒絶することを見越していました。
10の要求は、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに侵攻し、セルビアを支配下に治める口実を作る為のものに過ぎなかったのです。
オーストリア=ハンガリー帝国の思惑通り、セルビアが10の要求のうち2項目を留保したことで、帝国はセルビアに攻め入る大義名分を手に入れ、セルビアに一方的に宣戦布告します。
ロシアはセルビア王国の為に兵を動員、オーストリア=ハンガリー帝国の同盟国であったドイツ帝国がロシアに最後通牒を突きつけ、これを拒絶したロシアに対して宣戦布告します。
こうしてオーストリア=ハンガリー帝国とドイツ帝国によって一方的に戦争が仕掛けられます。
ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国を中心とする中央同盟国に対し、ロシアと同盟を結んでいた英国とフランスがロシア側について連合国軍を結成、ここに第一次世界大戦が開戦したのです。
オーストリア=ハンガリー帝国軍は非常に弱く、同盟国であるドイツ帝国に実質的に依存しきっていました。
オーストリア=ハンガリー帝国は多民族国家で複数の民族により構成されていた為、軍内部の統率が取れず、軍備の近代化も遅延していたのです。
また、オーストリア=ハンガリー帝国の支配層はドイツ人で占められていました。
帝国内のドイツ人が占める割合は過半数にも満たず、ドイツ人によって一方的に支配されていた諸民族は不満を募らせていました。
第一次世界大戦は当初の予測よりも長期化し、1917年には遂に米国がドイツ帝国に宣戦布告します。
ドイツ軍は物資も底を突き始め、戦略が功を奏さず兵士たちの疲労は頂点に達し士気が下がる一方で、ドイツ帝国内では長引く戦争で生活に困窮し不満を募らせる労働者たちや市民たちのデモやストライキが頻発するようになります。
戦況が泥沼化し、物資も資金も潤沢な連合国に勝利することはもはや不可能とドイツ帝国もオーストリア=ハンガリー帝国も観念し、1918年11月11日、ドイツ帝国は連合国と休戦協定を締結します。
こうしてドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国を中心とする同盟国側は大敗し、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった諸民族の心は帝国から離れて自主独立の声を上げ、オーストリア=ハンガリー帝国は解体、同盟国であったドイツ帝国も革命によって崩壊することになるのです。
オーストリア=ハンガリー帝国とドイツ帝国によって一方的に仕掛けられ、世界中が巻き込まれた第一次世界大戦は、それまでの戦争とは比較にならないほどの夥しい死傷者を出したことで世界史上類を見ず、想像を絶するほど大量の~人類は言うに及ばず、戦争に駆り出された軍用犬や軍馬などの動物たちや野生の動物たちの~血と涙が流されました。
1917年、大量の血と涙が流された第一次世界大戦が泥沼化していく局面で、聖母マリアであった覚者はファティマの3人の純粋な子どもたちに、善性を磨き、人と人とが憎しみ合うのではなく、互いに理解し合い、赦し合い、人種民族や国籍国境、宗教の壁を超えて世界が一致団結して平和への道を歩み出す必要があることを説きました。
そうでなければ人類は、再び壮絶な戦いを繰り返すことになるであろう、と説いたのです。
1918年、第一次世界大戦が終結し、2年後の1920年、ウッドロウ・ウィルソン米国大統領の尽力で、世界平和の実現に取り組む国際連盟(国際連合の前身)が人類史上初めて設立され、正式に発足しました。
その一方で、ドイツは終戦のわずか数日前、無謀な出撃命令を拒否した水兵が反乱を起こしたことがきっかけで革命が起こります(ドイツ革命)。
戦争で苦しい生活を強いられてきた労働者が水兵や兵士と連帯し、市民たちと共に「平和、パン、自由」を求めてゼネストを決行、皇帝が退位しドイツ帝国が崩壊します。
ドイツ帝国は帝国主義による皇帝政治が倒れて民主的な共和政を敷くヴァイマル共和国へと生まれ変わりますが、当時のドイツの大衆は、ドイツ帝国による帝国主義政策~皇帝が政治面や軍事面の全権を掌握して自国の領土、利益、勢力の拡大を計り、他国へ侵略し他国や他民族を支配抑圧し、強大な”帝国”の力を国内外に誇示し維持していく政策~に心も精神も浸かりきっていた為、国民1人1人が選挙に参加して、国政を担う代表者を選出する議会制民主主義の本質と価値を理解し、受け入れる素地が全く育っていませんでした。
強い一者~皇帝~に導かれていれば良いという無責任且つ怠惰な心地良さ、強大な帝国と帝国の頂点である皇帝の臣民としての誇り、強大な帝国と我が身を重ね合わせて自己の価値を見いだすという帝国に対する精神依存から脱却出来ず、共和政を拒絶する風潮が高まり、政情が不安定になり社会不安も高まっていきます。
更に、勝利した連合国側から多額の賠償金を請求され経済も低迷、ドイツは深刻な不況に陥り国内に失業者が溢れます。
敗戦の痛手と不況に苦しむドイツの大衆は、国内外に平和を確立し国を再建していこうとする前向きな機運よりも寧ろ、戦争に大敗し”帝国”が崩壊したことで自己憐憫と現実逃避に陥り、敗戦という現実と戦争を起こした責任に背を向けて、かつてのドイツ帝国に対する郷愁と憧憬を募らせていきます。
ドイツの大衆に戦争を起こした責任を受け入れて客観的検証や反省に臨もうとする気運は殆ど無く、戦争責任を背負って国を再建し、国内外に平和を実現する為に何を為すべきか?という前向きな大衆心理には、ついぞ至ることがありませんでした。
このドイツ国民の大衆心理は、やがては「我がドイツが大敗を喫したのは我々の責任ではなく、ユダヤ人が裏で暗躍し、糸を引いていたせいである」という、ユダヤ人に一方的に罪を着せて責任転嫁する、極端に偏執的且つ病的な被害妄想に駆られた1人の男~アドルフ・ヒトラー~の台頭を許すことになります。
ヒトラーはオーストリア=ハンガリー帝国出身のドイツ人で青年時代をウィーンで過ごしましたが、若年の頃よりユダヤ人に対して並々ならぬ憎悪を抱いていました。
第一次世界大戦の大敗とドイツ帝国の崩壊は、ドイツ帝国自体の失政、一方的且つ無謀な宣戦布告により世界中を戦争に巻き込み、国内外の多くの人々を苦しめ血と涙を流させたことが原因でしたが、軍の無謀な作戦に反旗を翻した水兵たちや兵士たち、戦争で苦しい生活を強いられてきた労働者たちや市民たちがストライキやゼネストを起こしたドイツ革命に、ローザ・ルクセンブルクを初めとするユダヤ人革命家が参加していたことで、ヒトラーは、ユダヤ人が扇動してドイツ帝国に大敗と崩壊をもたらしたという支離滅裂な妄執に憑りつかれ、元々持っていたユダヤ人に対する憎悪を益々たぎらせていったのです。
驚くべきことに、このような滅茶苦茶なユダヤ陰謀論を、ヒトラーだけではなく当時のドイツ人の多くが妄信していたのです。
ここで少し脱線してユダヤ陰謀論について言及します。
巷には多くの「ユダヤ陰謀論」がありますが、各陰謀論の内容は細部が微妙に異なるものの、「世界がユダヤ人によって支配され操られており、人類はユダヤ人によって搾取されている」という共通の骨子を有します。
カトリック、プロテスタントを問わずキリスト教が深く根を下ろし、教皇や教会が政治的にも絶大な権力を有したヨーロッパ大陸の各地では、異教であるユダヤ教を信奉し、神の子イエスを磔にして処刑したユダヤ人に対する憎悪感情が燻っていました。
ユダヤ人はユダヤ教の伝統に則った独自の文化しきたりを、どこに住もうとも大切に固持し、決してキリスト教に染まることはありませんでした。
ユダヤ教を信奉しその伝統を固持するユダヤ人はキリスト教文化、キリスト教社会とは相容れず、ヨーロッパ市民の間ではユダヤ人に対する根強い反感が高まっていったのです。
また、中世よりも以前からヨーロッパ大陸全土で、読み書き算数といった教養を身につけていたのは王侯貴族や一部の富裕層だけであったのに対し、ユダヤ人は家庭内で親が子にユダヤ教の伝統やしきたりに加えて読み書き算数を教える習慣があり、貧しい農民であっても読み書き算数が出来ました。
ヨーロッパ大陸各地の市民の間で、異教を信奉し知的優位に立つユダヤ人に対し、憎悪と劣等感がないまぜになった複雑な感情~反ユダヤ感情~が時代を経るごとに嵩じていき、ユダヤ人は後にゲットーと呼ばれることになる非常に狭い居住区に強制移住させられます(1266年、現ポーランドのヴロツワフに最初のゲットー(当時はまだゲットーという名称はありませんでした)が築かれました)。
そして伝染病の流行や戦乱など社会不安が嵩じてくると、伝染病を持ち込んだ、井戸に毒を投げ込んだ等の謂れの無い言いがかりをつけられ、しばしばユダヤ人は私刑(リンチ)や暴力行為の標的にされ、ポグロムと呼ばれる大量殺戮の犠牲になってきたのです(1298年にはドイツで10万人ものユダヤ人が虐殺され、以降もヨーロッパ大陸各地でポグロムが頻発しました)。
更にユダヤ人に対しては就業制限も課せられ、ユダヤ人は人々から忌み嫌われる賤業~代表的なものでは金貸し等の金融業~にしか従事することが許されませんでした。
金貸しという賤業に就いたユダヤ人は差別され蔑まされながらも、金回りの苦しい王侯貴族や商人に金を貸し付けることでたくましく生き延び、一族を繁栄させていったのです。
銀行等の金融業や大企業の創業者一族にユダヤ人が多く、血縁や婚姻、いわゆる閨閥でユダヤ人同士が固い結束で結ばれていったのは、こうした歴史的背景があるからなのです。
ユダヤ人を排斥し忌み嫌う憎悪感情は反ユダヤ主義となってヨーロッパ大陸全土で猛威を振るい、やがてはユダヤ人が世界の悪の根源であるとする捏造文書まで創作され、ヨーロッパ大陸の各地に広く普及していきました。
有名な『シオン賢者の議定書』はロシアの秘密警察による完全な創作であり典型的な捏造文書ですが、人々はこの文書を妄信し、ユダヤ人を排斥することの正当化に拍車をかけていったのです。
近代から現代にかけて反ユダヤ主義は最高潮に達し、ユダヤ人の絶滅を目論んだヒトラーとナチズムという怪物を、最終的に誕生させることになったのです。
ユダヤが世界を支配して操り、人類を家畜のように搾取しているというユダヤ陰謀論は、このような歴史的背景から生まれた反ユダヤ主義を基に捏造された、何の根拠も無い稚拙な暴論です。
この世の全ての不都合や悪の所在を、大昔から忌み嫌われ、排斥されてきたユダヤ人に全てなすりつけようとする、極めて身勝手で理不尽な暴論なのです。
ユダヤ陰謀論は上述のように、昔からヨーロッパ大陸全土にあった反ユダヤ主義を基にした根も葉もない幼稚な捏造であり、反ユダヤ主義が極端に嵩じて最終的にヒトラーとナチズム(ネオナチ)という怪物を誕生させたという歴史的経緯から、この暴論がユダヤ人を徹底的に憎悪し世界からユダヤ人を絶滅すべく、強制収容所やガス室という悪魔の装置を造り、ジェノサイド(大量殺戮)を遂行したナチス・ドイツの悪の所業を正当化し、ナチズム(ネオナチ)の肯定に直結することは当然の帰結であり、見まごうことなき論理的必然です。
ユダヤ陰謀論の提唱者や支持者には、そこまで考えが及ばない浅はかな人が実に多くいますが、ユダヤ陰謀論とナチズム(ネオナチ)は表裏一体であることを、陰謀論者はよくよく考えられたほうが良いと思います。
話を戻します。
ヒトラーは、優秀なアーリア人(注:ヒトラーが言うアーリア人とは即ち遺伝性疾患や身体障がい、精神障がいが無く、体躯に恵まれた金髪碧眼、長身のドイツ人のみを意味します)によって世界は支配されるべきであり、アーリア人のみが世界で唯一価値のある民族であって、アーリア人以外の他人種、他民族はアーリア人に組み敷かれるべき劣等人種、劣等民族であり、ユダヤ人に至っては一人残らず駆逐すべきであるという狂気の沙汰を、声高に主張します。
この男を党首に据えたナチス党は当初、少数派でしかありませんでしたが、やがて多くのドイツ国民がヒトラーを、ナチス党を熱狂的に支持し、受け入れるようになっていきます。
ヒトラーの、熱に浮かされたような激しい演説に、第一次世界大戦の大敗と戦後の政情不安、社会不安、大不況に打ちのめされていたドイツ国民の多くが酔いしれ、「我が強大な大ドイツ」という、失われたものへの郷愁と憧憬に浸り、正常な判断力を失っていきます。
ドイツの大衆は「強大なドイツと強くて優秀なドイツ人」という甘い夢を見せてくれるヒトラーに夢中になっていったのです。
大衆がヒトラーに心酔していく中、ナチ党員やナチス親衛隊(SS)、秘密国家警察(ゲシュタポ)が闊歩して国内の隅々まで目を光らせるようになり、ヒトラーとナチス党の危険性を洞察する冷静さと正常な判断力を持った少数の人々がヒトラーとナチス党の危険性を声高に主張できる言論の自由は、瞬く間に奪われていったのです。
こうして、第一次世界大戦から建設的且つ健全な学びを何一つ成し得なかったドイツは、物質性の主方(闇=悪の勢力方)の手に再び墜ちていきます。
第一次世界大戦の辛酸を体験していない多くの若者を中心とするドイツの大衆は、先の大戦で大敗した屈辱を晴らそうと、「我が大ドイツに勝利の栄光を!」「大ドイツの領土を再びこの手に取り戻せ!」と、ヒトラーの思惑通りに開戦への気運を一気に高めていきます。
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻、こうしてナチス・ドイツによって一方的に開戦の火ぶたが再び切られ、世界は否応なしに第二次世界大戦の渦に引きずり込まれていき、再び多くの人々の血と涙が流されることになったのです。
平和の実現に向けて世界が一致団結するのか、それとも、再び開戦の火ぶたを切ることになるのか、善か悪か、光か闇か、人類1人1人が選択を迫られる時期に先んじて、聖母マリアであった覚者はあと1年で第一次世界大戦が終わろうとする1917年、ファティマの純粋な子どもたちの前に聖母マリアの姿を纏って出現し、人々に世界平和へと舵を切るよう訴えかけたのです。
聖母マリアが最後に出現した10月13日には、太陽が灼熱の熱を放出しながら急降下や回転を繰り返して乱舞する奇跡現象を聖母マリアであった覚者が起こします。
この「太陽の奇跡」を現地に駆けつけた約7万人の人々が目撃しました。
1917年10月13日 ファティマで「太陽の奇跡」に見入る人々(©Wikipedia)
聖母マリアの出現後、ファティマに建設された聖堂(©travelalut.com)
ファティマの聖堂の聖母マリア像(©travelalut.com)
世界各地で今も度々報告されている、”血や涙を流す聖母マリア像”という奇跡現象も、聖母マリアであった覚者が起こしておられます。
涙を流す聖母マリア像 カトリック在俗修道会:聖体奉仕会 秋田県秋田市(©不思議ドットコム )
聖母マリア像が流す血や涙は、私たちの争いや心ない差別、排斥行為によって虐げられ、殺戮され、或いは無慈悲な無関心によって世界から打ち捨てられ、貧困や病苦に苛まれ、生きる希望を奪われた人々の絶望と哀しみを表しているのだと思います。
兄弟同胞である他人種他民族を差別し排斥する生き方、
信教の自由を認めず他宗教の信奉者たちを一方的に排除する生き方や、他宗徒、無宗教者に己の信奉する宗教を強制する生き方、
弱肉強食の生き方を肯定して「我さえ良ければ」と、食料や資源、生産品の他者の取り分さえも奪って、他者が飢えて渇き餓死しても知らぬふりで飽食の限りを尽くす生き方をやめようとしない私たち1人1人に、猛省と改心を、聖母マリアであった覚者、マイトレーヤ、霊的ハイアラキーの覚者方、アバター(神の化身)方、そして神は、求めておられるのだと思います。
私たちの本質(真我)は唯一の神から派生した煌めき(モナド)であり、モナドを完全に体現している魂です。
本当の私たちは、髪や瞳や肌の色がそれぞれ異なるこの肉体ではなく、魂なのです。
そして魂は、唯一の神から派生した個々の煌めき(モナド)という点で唯一無二の個性を有しながら、全ての魂が唯一の神をルーツとすることから、自己と他者を区別し分離し差別する意識は全く持ちえず、自己を愛するが如く他者を愛し、他者に奉仕し他者の幸と安寧を我がことのように喜ぶことしか知りません。
この紛れも無い真実をもって、私たちの誰もが~人種差別主義者も宗教の原理主義者も、拝金主義者も市場原理主義者も、軍国主義者も国粋主義者も、極右も極左も例外なく~心の奥底の魂のレベルでは、人種民族、国籍国境や宗教の壁を超えて、互いの肌の色や伝統文化、信教を尊重し合い、全員で食料や資源を分かち合い、皆で助け合い、協力し合い、互いが互いを生かし合う生き方を求めているのだと、拙ブログ主は確信しています。
-米国で再び民主主義が勝利の声を上げた日に-
引用参考文献
『トットちゃんとトットちゃんたち』黒柳徹子著(講談社)
『原子野録音』永井隆著(聖母の騎士社)
『マイトレーヤを探して』パトリシア・ピッチョン著(アルテ)
『マイトレーヤからのメッセージ いのちの水を運ぶ者』ベンジャミン・クレーム伝(シェア・ジャパン出版)
『マイトレーヤの使命 第3巻』ベンジャミン・クレーム著(シェア・ジャパン出版)
『大いなる接近』ベンジャミン・クレーム著(シェア・ジャパン出版)









