いらっしゃいませ
ホイットニー・ヒューストンの生涯のドキュメンタリーです。
幼少期から大成功のメジャーデビュー。そして映画「ボディ・ガード」での世界的成功による頂点に。その絶頂の中でのボビー・ブラウンとの結婚からの転落。そして死。
多くの人の証言を中心に、ホイットニーの生涯を明らかにしようという作品です。
海外物の音楽ドキュメンタリーというと、インタビュー中心のような、なじみのない人々が沢山出てきて、断片的にしゃべる物が多いですが、この作品も同様です。決してドラマ仕立てになっていません。だから退屈という人や入り込めないと言う人もいるのかも知れません。
でも私は、とても悲しくて、泣けてしまいました。
ホイットニーの最後を自業自得のように思う人が多くいて、なんでこんなにも貶まれたりしなければいけないのか。こんなにもひどいことになっていたんだと。
皆の羨望を受けるほどに成功した人は、落ち目になれば、ここぞとばかりに責め立てられる。
ましてや、成功するはずがないと多くの人が思った結婚をして、その後の落ち目ぶりがこれならなおさら。
歌うことが大好きで、歌での成功を夢見ていた少女ニッピーが、努力の末に掴んだ栄光。
お金のあるところに、集まる人々。
裏切られ、傷つき、成功の代償で得たのは孤独。
求めるのは真の愛情。それと思って手に入れた愛は違っていてた。
マスコミは容赦なく責め立てる! 逃げたい!
逃げさせてくれるのは、大麻、コカイン・・・
彼女が弱いからいけないなどとは言えない。
まして貶みの対象にするなんて・・・
辛い最後です。
人の醜い一面を思い切り見せつけられる作品です。
ホイットニーは1963年8月9日ニュージャージー州ニューアークで生まれます。
当時のアメリカはまだ人種差別が激しく公民権運動の真っ只中。
ホイットニーが1歳半の頃にマルコムXが暗殺され、1967年4歳に成ろうとしているときには、黒人のタクシー運転手が白人警官に殺される事件をきっかけに各地で暴動が起き、特にニューアークでは26人の死者を出すことと成リます。翌年にはキング牧師が暗殺されるなど、黒人にとって辛い時期にホイットニーは幼少期を過ごします。
母シシーと父ジョン・ヒューストン
ホイットニーは肌が他の黒人よりもやや白かったこともあり、白人からは「黒人」、黒人からは「ライトスキン」と虐められたようです。
また母はエルビス・プレスリーやアレサ・フランクリンなどのバックコーラスをつとめるような歌手だったため、外出が多く、いろいろな家庭に預けられたりしていました。
そんな中ホイットニーは教会の聖歌隊に加わり、非凡な才能を開花させていきます。
母からの厳しいコーチングもあり、めきめき力を付けたホイットニー。ファッションモデルなどしながらバックコーラスなどで力を磨き、ついにアリスタレコードにスカウトされ、1985年にファーストアルバム「そよ風の贈りもの」でメジャーデビュー。アルバムは大ヒット。
2曲目のシングル「すべてをあなたに」から7曲連続で全米シングルチャート1位を獲得。
ビートルズの記録(6曲)を更新。
1991年にはスーパー・ボウルの国家斉唱。3拍子の国歌を4拍子にして歌い大絶賛。
翌92年にはケビン・コスナーと共演で、初の主演映画「ボディ・ガード」が世界的ヒット。
そのサウンドトラックは日本でも280万枚を売り上げる史上最高の大ヒット。
主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」は全米シングルチャート14週連続1位。自身最大のヒット曲と成った。
この年、ボビー・ブラウンと結婚。ここから転落を始める。
大麻、コカインなどを常用するようになり、体調、声ともに悪くなっていく。
金をむしり取るような輩が集まるようになり、落ち目のブラウンからはDVを受けるようになり、
ますます中毒症状に陥る。
破産寸前までになった彼女は、新しいアルバム「アイ・ルック・トゥ・ユー」を2009年に発表。いきなりビルボードトップ200に初登場1位を獲得。復活を遂げたかに見えた。
しかし、体調、声共に不調で周囲の反対を押しきって、東京を皮切りにワールドツアーを開始するが、後半息切れ。満足に唄えなくなり各地で酷評される。
そして2012年2月11日。滞在先のホテルの浴室で遺体で発見される。
体内からコカインが検出され、心臓発作によると発表された。
10代のホイットニー
今回この作品を観た後、改めて「ボディ・ガード」を観てみました。
この作品、世界的なヒットとなったわけですが、サスペンス映画として観た場合、とてもB級的なというか、物足りなさを感じざるを得ない作品ですが、ラブストーリーとして観ると、大スターの美しき女性とクールでかっこいいボディガードの恋。素直に楽しめる作品です。
しかし、この作品。そんな甘い話だけで無い、日本人には判らない要因もあったのですね。
黒人の女性、それも大スター。そして白人の男。クライマックスシーン。自家用ジェットでツアーに旅立とうとするホイットニー。、出発を見守っているケビンコスナー。
別れは告げたつもりだったが、ホイットニーは飛行機を止め、ケビンに駆け寄り抱き合いキスを。カメラは2人の周りをグルグル回る。このシーンには、白人と有色人種を分離するアパルトヘイト(人種隔離政策)がまさに終了したばかりの南アフリカでは、このシーンに大喝采だったそうです。(因みに日本人は、日本が最大貿易相手国だったため、名誉白人として扱われたようですが)そして、ネルソン・マンデラ大統領直々に招聘されての南アフリカのコンサート。もはや、「歌姫」などと言う言葉を超えた存在に。
私がホイットニーの名前を知ったのは、マイケル・ジャクソンのお兄さんのジャーメイン・ジャクソンのアルバム「ダイナマイト」に「Take Care of My Heart」(やさしくマイハートという曲。ジャーメインとデュエットしている素敵な声の女性は誰なんだろうと思い、クレジットをみるとホイットニーの名前が。その後にホイットニーのデビューアルバム「そよ風の贈りもの」がでると知った時、あのホイットニーだとすぐに気づき予約したものです。そのとき店員さんもホイットニーの名前も知らず、ちょっと名前を教えるのに苦労した思い出があります。
その当時「ADLIB」というブラックコンテンポラリーやAOR、フュージョンなどを専門にする音楽雑誌がありましたが、新譜紹介のコーナーでイチオシは1ページ全部または半分。他は1ページに4枚の新譜というような構成でしたが、なんとこのハズレなしの名盤は「その他」扱いでした。
その後大ヒットし、なんと2ヶ月後に1ページ扱い。「私の勝ち!」なんて思ったりしたものです((*^▽^*)
私にとっての初のホイットニーLIVEは確か1988年の初来日「The Greatest Love Tour」
の横浜文化体育館(こんな狭いところでやったんです)。
冒頭から総立ちでの盛り上がりだったんですが、バラードに入るとき、
「みんな、立ってなくて良いのよ。座って聞いて」って笑いながら言ってくれたのが、とても印象的でした。
そういうことを言うような暖かいホイットニーだったのに・・・
余談ですが、先ほどの「やさしくマイハート」という曲ですが、ホイットニーの「そよ風の贈りもの」にも入っています。その歌詞のなかに
と言う部分があります。
この中の I love you more than I should の日本語訳。
直訳すれば「思ってた以上にあなたが好き」になるのでしょうが
ホイットニーの日本語訳は「あなたに夢中よ」ですが
男性のジャーメインのは「お前に首ったけさ」になっていて
上手いなあなんて関心しておりました(*^▽^*)
それにしても、不幸な結婚でした。
これ以上無いくらい、男ですべてを失ってしまった感が強い。
「特ダネ」でも当時小倉さんが「さっさとあんな男とはわかれろ!」と言ってました。
ボビーブラウン。サイテー!ニューエディションで「ミスター・テレフォンマン」やっているときはかわいかったのに。こんな男になるなんて!
「白人に受けるには、白人の服を着て、白人の言葉を使い、白人の歌を歌え」と母に教えられたホイットニー。
白人女優からとった名前「ホイットニー」。
成功のための考え方を白人を指向することと教えられたホイットニー。アフリカ系黒人の真っ黒な肌に比べ薄い色のため「ライトスキン」と黒人からも言われ、音楽性も黒人から「ホワイティー」とブーイングされたホイットニー。でも、
20世紀最高の歌姫。
では、ごゆっくりお過ごしください
2018年イギリス 120分 配給ポニーキャニオン、STAR CHANNEL MOVIES
監督 ケビン・マクドナルド
制作 サイモン・チン、ジョナサン・チン、リサ・アースパマー
撮影 ネルソン・ヒューム
編集 サムライス=エドワーズ
2019/1/10 Shichirigahama