いらっしゃいませ

 

2012年に亡くなられた、日本の前衛的且つ反体制、反権力的映画監督「若松孝二」と彼が設立したスモール映画制作会社「若松プロ」の1969年から1971年の濃密な時間を切り取った作品です。

 

若松孝二監督は高校中退後、上京。職を転々とした後、ヤクザ家業に足を突っ込み、チンピラ同士のいざこざに巻き込まれ半年間の拘置所暮らしを経験します。出所後再び職を変えながら映画業界に。ここに来て彼は型にはまらない自己を解放します。

その作風の斬新さから

「ピンク界の黒澤明」

と呼ばれるようにまでなります。

ただ1969年から1971年という期間は学生運動の最中。東大安田講堂攻防、赤軍派よど号ハイジャック、三島由紀夫と盾の会自決事件などがおきており、社会的にも混乱の様相。若松監督も自身の拘留経験から反体制、反権力の姿勢を姿勢を終生貫くようになる。またタイトルからは想像がつかないような前衛的、芸術的作

品も作っていました。

しかし決して運営状況は楽でなく、背に腹は代えられないということで不本意な作品をつくって、次の作品の資金に充てたりしているようでした。故に、若松監督の本来の作品にあこがれて入ってきた者の中には失望する者もいたようです。

そうしたことを乗り越えながら、監督としての地位を確立し、1968年には「壁の中の秘事」でベルリン国際映画祭では大手制作会社の作品を差し置いて正式上映作品に選ばれ、一般にも名を知られるようになります。2007年には「連合赤軍 浅間山荘への道程」はベルリン国際映画祭では最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞を受賞。2010年「キャタピラー」では主演の寺島しのぶが同じくベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞。

その後も三島由紀夫を題材にした「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」など問題作を制作。

東日本大震災後は原発で東電の闇を暴くと構想を練っていながら

交通事故にて死去。まだまだ、創作意欲にあふれる中、道半ばにて亡くなられてしまいました。

若松監督を演じる井浦新と吉積めぐみを演じる門脇麦

 

物語は1969年の吉積めぐみが助監督として若松プロに入るところから1971年の若松監督の「赤軍ーPLFP世界戦争宣言」までが描かれます。

めぐみは高校生の頃から若松監督の作品を観、「映画ってここまでやって良いんだ」と感動し志願して若松プロに入社します。今のように「パワハラ」なんて言葉は存在せず、女性扱いもされず容赦なく罵倒されます。そんな男社会の中で、突っ張りながらも自分の居場所を広げていきますが、自分は何を作りたいのかということは見つからずもがきます。

 

一方若松監督はカンヌ国際映画祭監督週間で「犯された白衣」「性賊」が上映されると言うことで渡欧。その帰路の前に、レバノンに飛び、日本赤軍重信房子と接触。彼女の同行でパレスチナの現状を記録。それを映画として編集し全国での上映を目指し、バスを赤く塗り、側面に「赤軍ーPLFP世界戦争宣言」と書き殴った「赤バス」でキャラバンをすることに決定。脚本の足立正生らが出発。

本来は同行する予定だっためぐみはその18日前睡眠薬の飲み過ぎにより死亡。

入社時、「3年たったら監督にしてやる」という若松監督の言葉が叶う前に旅立ってしまう。

とにかく俳優陣すべてが素晴らしい。

かれらのほとんどはこの時代に生まれていない。

にもかかわらずこの世界観を出せたのは(それが現実がそのような空気感があったのかどうかは私にも判りませんが)、疑似であっても彼らの力でしょう。

 

井浦新演じる若松監督は「集中して仕事しろ!」「俺の視界から消えろ!」とスタッフを罵倒します。言葉はきれいでなく、粗野な印象です。「監督はインテリがなるものと思っていた。あの人を観ていると自分も出来る気がしてくる」と劇中で荒井晴彦(藤原季節)が言うほどです。

しかし、世話になったパレスチナ(監督は劇中パレッチナという)の仲間が、自分たちを突然追い出すように山を下ろした翌日、空爆で死亡したことを語りながら涙する。めぐみの死の知らせを聞き、現場に駆けつけ暴れるところに人情あふれる人柄が見せています。

 

映画についても「くそったれ映画界のすべてをぶっ壊す!」

「客に刃(やいば)を突きつけるような作品を作りたい」と自作品への判断基準を持っています。

その「熱」に人々はついて行ったのでしょう。

 

門脇の演じためぐみ。男女雇用均等法など言葉すら存在せず、女子の四年生大学進学率もわずか5.8%しかなかった時代。

男の世界で男同様に生きていくことの息苦しさ。自分の内面を閉じ込めて生きていくことの張り裂けそうな息苦しさ。

ぐちゃぐちゃな日々を熱演しています。表情が素晴らしい。

 

山本浩司演じる脚本家の足立正生はこの監督にしてこの相棒ありの人物。状況判断に優れ、監督の意向を把握できる人物。

めぐみのさりげない誘いのような言葉をサラリとかわし、めぐみが身に纏っている鎧を突き刺すような台詞を言います。

 

すべての登場人物が生き生きとしています。

だから引き込まれます。

一見するとある制作会社の昔話を切り取っただけの作品に見えるかも知れません。

しかし、めぐみの視点から描いたことで、普遍的な若者のもどかしさがテーマとして付帯され、また若松監督を神格化していないこととシンクロし、単なる追悼映画にさせなかったことが、この映画を際立たせていると思います。

 

音楽はサニーディサービス、曽我部恵一バンドの曽我部恵一が担当。主題歌「なんだっけ?」はフォークソングフレーバーの曲で時代的です、というより、ジャック・ジョンソン風かな。

私としては、めぐみが30分の作品を任されたときの帰路。そこでのギターの入り方にしびれました。めぐみの表情の変化に合います。

 

そして音楽ではありませんが、「赤バス」を送り出した後、事務所に戻ろうとする若松監督の頭上に響く飛行機の音。

後で足し込んだと思うのですが、監督の新たな仕事への希望とめぐみを失った空虚感を音楽以上に表現していたと思います。

私がこの作品を観たいと思ったのは、1969年の作品。めぐみが最初に助監督をした「処女ゲバゲバ」で主演をつとめられた谷川俊之さんとお仕事でご一緒することが何度かあり、若松監督のお話をお聞きすることがあったから。

谷川さんは仕事場にも「演劇論」などというような本をお持ちになり、合間に読んでおられました。劇中しばしば演技や映画界について飲みながら激論を交わすシーンがありますが、この時代の方々は勉強家ですね。「持論」というものを持っておられる。

若い頃の向上心を老いて尚持っておられると思いました。

この日テアトル新宿では上映後、未だお元気な当時の方々が登壇しトークショーがありました。ここでもメンバー間で不穏な空気になるほどの舌戦(笑)健在です。

時間オーバーになったところで、客席からなんと主演の井浦新が質問で登場。

 

 

ばらけ気味になっていたトークを締めていただきました。

 

この日の発売パンフは若松レジェンドのサイン入り

 

では、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ

 

2018年 日本 119分 配給 若松プロダクション、スコーレ

 

監督 白石和彌

制作 尾崎宗子

プロデューサー 大日向敦史、大友麻子

脚本 井上淳一

音楽 曽我部恵一

撮影 辻智彦

照明 大久保礼司

編集 加藤ひとみ

 

2018/12/29 Shichirigahama