やりかけで、違うこと始めちゃう。
勘違い完璧主義だったころは、「マルチタスクです!」って言い張ってた。
机の上は、寝る前までに片付ける。
Chromeのタブも興味のあることは開きまくる。
本当に興味があるならまた次があるさと寝る前には全部のタブを閉じる。
そんなやり方でいいと思えるし、一種のゲームとして楽しんでる。
これを言うと夫はいい顔をしなかったが、
「死ぬときまでに完璧にすべて終わらせるなんてできるの?」
そんなニュアンスのことを発言したことがあって。
小さい頃から大人になっても感じていたものすごい苦しさがあった。
なので、小学生あたりで『死』にとりつかれる通過儀礼がなかったのかな。
どれだけ苦しんで死ぬかという概念が恐怖と感じなかったのは、ちょっと早すぎた中二病だったのかもしれないが。
鬱っ気満載な幼少期。
むしろ、死んで楽になることにちょっと憧れみたいな感情を抱いていた。
ハイペリオンかその続きのエンディミオンの中の一文で、捕まってこれから拷問なんだけどやけに待たされるというシーンで思う、
「退屈に殺されるとは思ってもいなかった」って。
私にはそれがいつでも現実だった。
物語にすらならない日々を数年過ごしてわかること。
一日は長く、一年は短い。
そんな世間で言われていることが当たり前になってとても嬉しい。
効率化とか、もう考えなくてもいい。
夫は「好きなようにしたらいいよ」と私のやり方にはなにも文句を吐かない。
否定され続ける生活からの脱却。
イケてる側の人間たちは幼少期からこういう教育を受けているに違いない・・・。
今はどっち側へも自由自在、むしろ自分がどこなのか気にすらしなくていい。
完璧な中途半端
と
中途半端な完璧
どっちにするも自分次第ってことか。
