こんにちは!
元バンコク駐在妻のCraneです。




日本に帰国して約5ヶ月。



息子は新しい幼稚園になじみ、
友達がたくさんできました。
私はそのお母さんたちから
初めて住んでいるこの地域のことなど
たくさん教えてもらっています。





生活に必須の家電を買うところから始まり、
引っ越し荷物を受け取ったり、
各種手続きをしていた帰国直後は
帰国後第一期【バタバタの忙殺期】でした。




今はその頃より落ち着いた生活で、
第一期は過ぎたのだなぁと感じます。



新天地で新しい出会いがあり、
出会ったみなさん優しいし、
ちょっとずつ居場所ができてきた。
息子も幼稚園に楽しく通っている。






それなのに、、、
最近モヤモヤした気持ちなんですショボーン



今日はそんな私の
帰国後第二期【モヤモヤ期】のお話です。


不快に感じるかたがいたらごめんなさい。
正直な気持ちを書きます。











秋は過ぎて冬になりました。
久しぶりの寒さは結構体にこたえます。
乾燥もひどくて手がカサカサに。
寒さで体がこわばっているせいか、
体調があまり良くありません。


体調が悪いから気持ちがふさぐのか?
気持ちがふさぐから体調が悪いのか?


どちらでもあるようです。






このモヤモヤする気持ちは
なぜだろう?と考えてみたら、


本帰国した今の生活に関して、
バンコクでの日々と
常に比較している自分に気づきました。






例えば。
息子の幼稚園で、
普段の様子を見学できる参観日のこと。



好きな遊びをしましょうという
時間帯がありました。
遊ぶのは園庭でも教室内でも
どちらでも良いことになっていました。



多くのこどもは園庭へ。
息子は数人の友達と室内遊びに夢中。
先生は「なにかあったら、園庭にいるから
教えてね」と言い残して出て行きました。


担任を持っていない先生が
様子を見に来ることもありませんでした。



えーー!
誰も見ていない時があるの!?びっくり
と私はびっくり。







バンコクで通った幼稚園では、
園庭か教室内かどちらかに場所を決めて
好きな遊びをさせていたから
目の届く範囲内にこどもがいた。



クラスにはふたり先生がいて、
クラス担任のない先生も
すべてのクラスを頻繁に見回っていたし、


受け持ちの生徒かどうかに限らず、
先生たちは全員の名前を覚えていて
こどもたちはいつも
複数の目にあたたかく見守られていた。


がっつり相対してはいなくても、
どのメンバーとどのように遊んでいたか
先生たちはよく把握していたし、
時には会話の内容も報告してくれました。


靴を新しくしたら
すぐに気づいてくれるくらい
こどものことをよく見ている先生たち。



これがバンコク生活では普通だったので、
今の環境では、
先生の視界に入っていない子がいても
当たり前というやり方に違和感ショボーン


バンコクではよく目が行き届いていて
安心してお任せできていたのに・・・と
比較してしまってモヤモヤ。












今の園では、降園時に順番に並び
親子で担任の先生に挨拶をすると、
一言コメントがあります。




我が家へのコメントは、
「○○くんさようなら。明日も遊ぼうね。」
「今日もたくさん遊びました」といった
こどもの様子が伝わってこない
あっさりしたものが多く、


たまにコメントが長い時には
忘れ物をしていたこと、
こども同士のトラブル、
転んですりむいたので処置をしました
などといった内容。





他の親子はどんなことを言われているの?
と気になって耳を傾けてみると、
「○○をがんばっていて上手でした」
「今日はこんなことを話していて~」など、
こどもの様子が分かる内容だったり、
誉められていることもある。




ん?なんだか違うぞ。
息子へのコメントが短いのはたまたま?と
思いつつ様子見しています。

子供の様子が知りたいですと
一度先生に伝えたけど、大きな変化なし。



うちは誉めるところがない子なのか?
印象に残らない子なのか?
先生のいない所ばかりで遊んでいるから
コメントのしようがないのか?
先生に嫌われているの?



モヤモヤが日々つのってきました。







また別の話。
園での活動に関することで、
家でこどもとの会話のきっかけにしたくて、
現状のやり方を変えられないか
先生にお尋ねしました。



そうしたら、
「それは変えるのは難しいです」と。



こうなったらいいのにと
同じように希望している人が
クラスの半分位いることを伝えても
答えは変わりませんでした。




内容と園の主張を書くのは差し控えますが、
それって誰のためを思ってしてること?
何を一番大切にしてのことなの?
と私は思ってしまいました。










バンコクでの幼稚園のやり方が正しいとか、
それと同じでないといけないとは
思ってはいません。




でも、バンコクで通った幼稚園は
先生と親がよく状況報告しあって
信頼関係を築きながら
こどもの成長を日々見守っていた。



そして保護者同士も仲が良くて、
自分の子だけでなくて皆の成長を
見守り、喜びあい、助け合っていた。



これらのことは、
生活していくうえで
とても気持ちの支えになっていた。
おかげで安心して生活できた。









今の園に空きがあったおかげで
幼稚園難民にならずに済んだ。
他に選択肢がなかったけれど、
それでも息子に雰囲気があう幼稚園で
ラッキーだし、ご縁に感謝している。
 


先生方は、日本の保育環境で
精一杯努めてくださってるのだと思う。






でも、でも。
信頼感をうまく築くまでに至らず
前のほうが良かったと思ってしまい、
モヤモヤする気持ちがうまれてしまう。




まだバンコクにいられたら良かったのに…

卒園まであの幼稚園にいたかったのに…







日本にだけ暮らしていたり、
ひとつの幼稚園しか知らなければ、
こういうものなんだと思って
なんの疑問も持たずにいただろう。







海外駐在に帯同したという経験を通して、
違う国のことを知った。
違う生活を知った。
違う幼稚園やコミュニティのことを知った。




その知ったことが比較の基となり、
バンコクでの生活のほうが良かったと思う
心のフィルターとなり、
今はちょっとつまずいています。









バンコクでの生活は、
100%良いことや楽しいことだけ
だったのではありません。



それなのに、なぜバンコクでの
生活のほうが良かったと思うのか?






気づきました。
私、寂しいのだと。




バンコクの大好きだった幼稚園や
大切な仲間たちと
別れなければいけなかったのが寂しい。



知らない人ばかりの環境に飛び込んで
ひとつずつがんばっていって、
安心して楽しく過ごせるようになった頃に
タイを離れることになって寂しい。



自分で決められなくて、
会社が決めたタイミングに従って
変化しなくてはいけないのがつらい。
もう帰国したんだからと
受け入れたつもりでいたけど…






時々、息子がぽろっと
バンコクの友達の名前を言ったり、
バンコクに帰りたいなぁ~と言うと、
私は涙がにじんできます。


今はネットの発達で即連絡できるけど、
実際に会えなくなったのはとても寂しい。






でも、
こんなに寂しく思える人との出会いが
あったのは、とても幸せだと思うのです。


こんなふうに人との関係を築けたのだから、
今の場所でもきっと大丈夫。




比較することによって、
今ある幸せを感じられなくなるのは嫌だ。



モヤモヤした気持ちのままでは
いたくないので、
前々からやってみたいと思っていたことを
行動に移しました。

 


そのお話はまた後日。





長文かつ駄文になりました。
ここまでお読みくださり、
ありがとうございます。


Crane