アメニモマケズ カゼニモマケナイ My Life
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この世の中には

「見ないで描いてみよう!!」

という面白い遊びがあるが、

東南アジア・インド亜大陸にはどう考えても

「見ないで作ってみよう!!」

というコンセプトで作られたのではないかと思われる商品が、



「そして売ってしまおう!!」

という、現地人の職人魂によって

陳列されていることがある。



そう、商品として何の犯罪意識もなく

堂々と売られているのだ。


そのキャラクター達は

言われれば・・・なんとなく気付く物から、

言われても 何がなんだか

全く わからない物まで。



既に原型を全くとどめていない

キャラクター達が この市場では

幅を利かせている。







アメニモマケズ カゼニモマケナイ My Life
ネズミ男・・・のような ドラえもん・・・(泣)




いくらなんでも

こんなドラえもんを売っていいのだろうか!?


子供に夢を与える、

藤子不二雄先生の最高傑作がぁぁぁ・・・


このあり様・・・・・・・・・・・。


ベロがぴろろろ~~~ん・・・・・。ってね(泣)




本物のドラえもん ベロ出してなかった

ですよね・・・・・・??確か・・・・・・。

と、自分でも 本物の姿が思い出せなく

なってしまう程のインパクトの強さ。


そして ドラえもん である以上、

彼の最高の見せ場といえば

「 ジャンジャジャ~ン♪ 」 と言いながら、

弱者にお助け道具を

差し出すあの場面のはずなのだが、


それにしては この偽ドラえもん

強調すべき そのポケット・・・・



いくらなんでも

小さすぎやしませんか・・・?



役立つ道具が全く出てきそうに

ないのですが・・・・(号泣)




そして・・・・

次に出逢った ドラえもん。

こりゃ また酷い出来栄え・・・・・・。


「 藤子不二雄 号泣 」 的な

ドラえもんに仕上がっておりました。





アメニモマケズ カゼニモマケナイ My Life

ブルーシートが似合いそうな オッサン風ドラえもん・・・・。





オジさーん~~

鈴~ 曲がってますよ~~(汗)

髭~よれよれですよ~~(汗)


あれ・・・・・それ以前に 顔のデザイン?

どこか おかしくないでしょうか・・・?(泣)


なんか「アルプス工業」 的な・・・香りが・・・。



「子供に夢と希望を!」

そんな思いで作られた ドラえもんが・・・・・・

なぜか、自己破産してしまった

ドラえもんにしか見えないのは

私だけでしょうか・・・・。


住所不定・・・・ドラえもん(号泣)


ポケットの中の道具は全て

差し押さえられ

競売にかれられました。

おわり。


というストーリーしか想像がつかない

出来栄えになってしまいました。



のびた連帯保証人・・・・・・(泣)





究極だったのは、

カトマンズで見つけた

「デッドベア」 のワッペンだ。



アメニモマケズ カゼニモマケナイ My Life
   

 これが本物



既に熊ではない・・・・・・。


耳が羽のようあり、

下半身はデザイン以前に

デッサンが狂っている。


そして手には枯れ枝らしき

物を持っている・・・・。


これが、「デッドベア」だと売られていても

誰も気づきはしないだろう・・・。



コピー撲滅運動なんてものを

している機関があるようだが、

ここまで似ても似つかないレベルに

達しているなら仕方がないのではないか。


職人魂によって

原画自体が撲滅されてしまっているから(泣)


また東南アジア・亜大陸で

偽物を探す旅にでよう・・・・。



           おわり。





≪おまけ≫



アメニモマケズ カゼニモマケナイ My Life

初めてミッキーの身長を知りました・・・・(号泣)






























東南アジアに住みついて居た頃

某ボランディアNPO団体にいた。


活動内容としては

「親に捨てられた ストリートチルドレン」

(路上生活をする子供) の保護や

児童買春の廃止活動。


最初は 興味本位で覗いたのですが、

知れば知るほど 私は

活動に夢中になっていました。


自分が現地でお金がない事なんて

全く小さな悩みに感じて。

むしろ悩んでもいなかったかも

しれないな。


そんなことよりも もっともっと

大変な事態に直面していたので。

笑っていられることだけに

満足できていた時期があった。


話を戻します。


売られた子供たちは

給料なしで死ぬまで売春宿で

働かされます。


全く給料なしで。

だって 親が売り、宿が買った

子供は商品なのですから。


売春宿で廃人になっている子供を

救えた感動は、なんというか

なかなか日本では

味わえないですね。




今 私は ものすごく迷っています。


数年前に日本に戻り

日本人として普通の生活が始まり・・・

平和で のんびり

楽しく暮らしている今。


今度はカンボジアへ・・・・??


私は今 一番 日本を満喫しています。

最近は新しい出会いもあり

毎日 楽しく過ごせているから。


このタイミングで

カンボジア・・・・??


昨日、今日、

悩んでも なかなか答えが出ず

時間だけが流れています。

まだ時間はあるけど・・・・。



人の幸せも大切。

自分の幸せも大切。

人の幸せが自分の幸せ。

ああよく わかんない・・・・。


数年前なら既に答えは

決まっていたはずなのに。


私にとって何が一番

私らしい生き方なのか。


誰かの為に生きたいと思う気持ちは

常にあるのだけれど・・・・。















今回は私が

現在に至るまでを 回想シーンを含め

テキトーに説明します。

真剣に読まないでください・・・。

相変わらず あまり細かく覚えていないのと、

実年齢を軽くごまかしたい事もあり

間違っても

西暦をなど逆算しないように お願いします(泣)。






昭和後半:名古屋市 南区で平社員と天然舞踊家の

長女として生まれる。

        


小中高大とテキトーに楽しみながら過ごす。

特に大学時代は、バイトをしながら学校の休みに入る度

海外に消えていくような生活をみっちり4年間繰り返す・・・。

        ↓


1999年春

私は荷造りを始めていた。今度はインドネシアに行くのです。

なぜインドネシアかって?

そうですインドネシアってのは南国なんですよ。


南国=魚がたくさんいる

南国=バナナがある

南国=パイナップルがある

南国=パパイヤがいる・・・いない!ある。

南国=ヤシの実がある






南国=自給自足を横取りできる最高の場所!



どうですか! この腹黒い考え!

生きていくには横取りも必要なのだよー!

わかるかい君たち!ハッハッハッ(悪)

思い知ったかっ!




てなわけで・・・

「自給自足 横取り作戦」 という 

人間の道徳に反した思いを胸に

天国に一番近い島に旅立ったのです。

       


1999年夏

「自給自足 横取り作戦」に偉大な成功を遂げ、

余裕の生活を続けていたのだが・・・

ついに 帰国当日になってしまう。


出発は午前零時発のガルーダインドネシア。


出発の2時間前・・・・

私は村の腐った屋台で 

チケットを手にモヤモヤしていた。

今 すぐこの場を出ないと このチケットの

飛行機に乗れなくなるのだ。


もやもやもやもやもやもや・・・・・


そして・・・・・


もやもやもやもーやだもーやだもーやだ・・・




捨てたーっ!!

こんなもん くしゃくしゃポイだーっ!

いらねっ。



こんなペラペラな紙切れ1枚に

私の人生 左右されてたまるかっ!

ふんっ!

全員 飛行機に乗せて うまく帰国させよう

ったって、そ~うまくいかないんだよ!

わたくし だだ今ドダキャンしましたから~。

ハッハッハッハッ~。





勝った!勝ったんだー!

ガルーダインドネシアの策略に

私は今 勝ったんだーっ!

ざまーねーぜ~え~!!(笑)

ハッハッハッハッ~~




≪2時間後・・・・・・・≫





ヤバイ・・・・・飛行機いっちゃったよ~~!(泣)

どうすんの・・・私・・・。お金ないし・・・

誰か~助けて~~!

「自給自足 横取り作戦」 継続かよぉぉ・・・(号泣)





今思えば・・・あれが今の私の全ての

始まりだったのです(泣)

      ↓


1999年 冬

いい加減 「 自給自足 横取り作戦 」に

限界を感じた私は、

インドネシア語の達人になる為に

日本語の塾に通い始めた・・・。



だって日本語の塾しかなかったんだもん・・・・。


もちろん生徒は全員インドネシア人。

先生もインドネシア人。

私だけ 日本人・・・・。はぁぁ・・・。


みんなが コソコソ陰口を叩くんです。



「あの日本人・・・日本語できないんだね~」

「日本人で日本語できない人なんているんだね~」

「お金なくて 日本に帰れないみたいよ~」




で・き・ま・すっ!!!私!!!

日本語できまーーーーす!!!

漢字 書けまーーーす!←(ちょっと自信がない・・・)


帰れなくなったのは、あってます・・・(泣)



おら~!くそガキども~!みんなしてぇ~~!!!

よし!実力テストで仕返しだーっ!!!

日本人なんだから!私は!

日本語ぐらいできるんだから !

オラ~母国語をなめるなよっ!!!





ほらねっ♪ 100点~~♪





え・・・まぢ?80点・・・(号泣)

      ↓


2000年 春

お金が尽きたところで 

観光客を騙し始める。



あ・・・・・

いや・・・・そんな人聞きの悪い事など

しませんよ~ハッハッハッ・・・(悪)


ただホテルを紹介しただけです~

ハッハッハッ・・・(悪)


ただツアーを紹介した

だけですよ~ハッハッハッ・・・(悪)


だたタクシーに遠回りさせた

だけですよ~ハッハッハッ・・・(悪)



その後

本気で自給自足を始める決心をするが

日本から届いた救援物資は

「 しその種 」 (怒)

         


2000年 夏

日本語教育資格を取得し

インドネシアの私立高校で日本語の授業を

受け持つ。


インドネシアの学校ってのは

早朝から始まります。


いくらなんでも こんな朝っぱらから・・・・

ってぐらいの朝。めんどくさっ。

正直3日で辞めようと思ったが、

仕方なくテキトーに続けた。

わたくし夜型なのです・・・・

ニワトリと起床を共に

したくはないのです(号泣)

      ↓


2001年 春

そろそろ生活に飽きてきたので 

インドネシアで大学を受験してみる。



あれ? 受かった・・・なんで?

替え玉使おうとしてたのに・・・。

まあ いいや・・・・。


大学生活ってのは

日本でも海外でも いいものだ~。

      


2003年 春

なんとなく 勢いで自分の店を

作ってみた。ペットショップ。

      ↓


2004年 春

一時 日本に帰国し

3ヶ月後 インドネシアに戻ると・・・・




私の店があああああ~

自転車屋になってるううう・・・


だだだだ・・・

騙されたああああ・・・(号泣)

      

店売られたあああ・・・(号泣)


店長飛んだあああ・・・

     ↓


2004年 夏

そこ頃、数か月にわたり

日本の某出版社のサイトで

「誰か金くれ!貧乏旅行日記」

というのを現地から毎日アップさせていた。


ある日 編集部から

「3000HIT ですよ~」 と連絡がある。


3000HIT?????



デイリー3000HIT継続・・・・

まぢか・・・・これ・・・・。うえっ・・。←吐き気



だ★か★ら・・・・み★な★さ★ん・・・


プレッシャーかけないでええ(泣)


プレッシャーに弱いんです・・・(泣)

期待されると逃げますよ・・・(泣)

明日には トンズラです・・・(泣)


と毎回 毎回 注意事項に書く日々が

続いたのです。

 

※期間限定だったので今は見れません。

 よかった・・・。


しかし・・・実家に戻ると

親が連載を冊子にしてました・・・。

しかも 親戚中に配ってる・・・


やめてくれえええええ~。

しぬううううう~~。しぬううう~~。

      ↓ 


2005年 元旦

記念すべき 1号店が知らないうちに

自転車屋に改装されてしまったので・・・


リベンジで2号店オープン。


さて次回は 何屋になってしまうのか・・・。

       


2005年 冬

いい加減 海外放浪生活に疲れて

完全に帰国。

       ↓

現在 名古屋でテキトーに暮らし中。




嗚呼・・・・疲れた・・・・

もう書かない・・・・既に完結しました。

ぐあああああ~ えらっ・・・・。



                おわり