赦す心
「赦す心」というお話です。
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中嶋真澄氏の心に響く言葉より…
写真家のK氏はある写真雑誌の編集者から、その雑誌の特集記事に掲載するための写真を数点貸してほしいと依頼を受けました。
掲載されれば、もちろんK氏の名前も出るし、ギャランティも支払われます。
快くフィルムを預けたK氏のもとに、やがて掲載誌が送られてきたころ、「じつは…」と担当編集者から電話がかかってきました。
「どうお詫びすればよいのかわからないのですが、お預かりした貴重なフィルムを紛失してしまいました」というのです。
編集者は返送用の封筒に入れたフィルムをかばんのなかにしまい、そのかばんごと電車の中に置き忘れたらしいのです。
「なんて無責任なんだ」K氏は激怒し、電話口でひたすら平謝りの担当編集者を責めました。
「預けた写真はもう一度同じものを撮ろうと思っても、二度と取れるものではないんだ。
きみも写真雑誌の編集者なら、それぐらいのことはわかるだろう」、そして追い討ちをかけるように「それ相応の謝罪と賠償をしてもらわなくては困る」と言ったのです。
すると、担当編集者は切り出しました。
「そのことですが、編集長とも相談の結果、こちらの雑誌で連載というかたちで当分の間、先生のお写真を毎回掲載させていただき、そこに上乗せする形で今回の償いをさせていただけないかということなのですが…」
それは必ずしも悪い条件ではなかったのですが、K氏は「そんな口約束が守れるとは思えない。だいたいきみが担当をはずれればそれで終わりだろう。冗談じゃない。きちんと責任をとって、賠償金を支払ってほしいね」
K氏が腹立ちまぎれもあり相当な金額を提示したので、担当編集者は困り果て、「もう一度、編集長に相談します」と言って、打ちひしがれた声音で電話を切りました。
それから、数日後のこと。
K氏のもとに、晴れ晴れとした声で担当編集者から電話がかかってきました。
「フィルム、見つかりました。がばんを届けてくれた人がいたみたいで、駅から電話があって… かなり日にちががっているのに不思議です…」
K氏のもとには無事、フィルムが戻ってきて一件落着。
しかし、K氏が平謝りの担当編集者を責めたてた事実は残り、その後、その雑誌社からの写真掲載の依頼は一切なくなってしまいました。
そして、数年後、K氏はあまり自分の写真が売れなくなり、どこか売り込むところはないかと苦労していたとき、そのときの担当者があの雑誌の編集長になっているのを知ったのでした。
もし、あのとき寛容に編集者を許していたら…
『成功する人はみんなやっているのに誰も気づいていない人間関係99の法則』徳間書店
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「もう、許せない!」と、相手の過ちを攻め立てることは、誰でもできるし、ほとんどの人は、そういう感情を抑えることができない。
しかし、過ちを攻め立てたところで、自分も、相手も、幸せな気持ちになることは、決して、ない。
「赦す心」を持つことしか、この問題を解決する方法はないと思う。
たとえ、その過ちが、自分の最愛の人を殺したという場合であっても、である。
ある事件で殺された人の遺族が、極刑を望むシーンが報道されることがあるが、恨み辛みを煽る報道側にも問題があるし、そのことで、誰一人として、幸せになれないことを理解する努力が必要だと、いつも感じている。
自分がその遺族の立場になっていないから、そういう、冷静な気持ちになれるのだろう、という方もおられる。
事件の直後は、確かに、そのとおりかもしれない。
でも、遺族の幸せは、最愛の人の死を無駄にしないでほしいと願うことはあっても、犯人への憎しみを持ち続けることではないと思う。
私のこの考えに、賛同できない方がかなり多いことは理解しているが、上記のお話のように「赦す心」を持つことができないことで、自分自身が不利益を被る恐れがあるということは、理解頂けると思う。
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中嶋真澄氏の心に響く言葉より…
写真家のK氏はある写真雑誌の編集者から、その雑誌の特集記事に掲載するための写真を数点貸してほしいと依頼を受けました。
掲載されれば、もちろんK氏の名前も出るし、ギャランティも支払われます。
快くフィルムを預けたK氏のもとに、やがて掲載誌が送られてきたころ、「じつは…」と担当編集者から電話がかかってきました。
「どうお詫びすればよいのかわからないのですが、お預かりした貴重なフィルムを紛失してしまいました」というのです。
編集者は返送用の封筒に入れたフィルムをかばんのなかにしまい、そのかばんごと電車の中に置き忘れたらしいのです。
「なんて無責任なんだ」K氏は激怒し、電話口でひたすら平謝りの担当編集者を責めました。
「預けた写真はもう一度同じものを撮ろうと思っても、二度と取れるものではないんだ。
きみも写真雑誌の編集者なら、それぐらいのことはわかるだろう」、そして追い討ちをかけるように「それ相応の謝罪と賠償をしてもらわなくては困る」と言ったのです。
すると、担当編集者は切り出しました。
「そのことですが、編集長とも相談の結果、こちらの雑誌で連載というかたちで当分の間、先生のお写真を毎回掲載させていただき、そこに上乗せする形で今回の償いをさせていただけないかということなのですが…」
それは必ずしも悪い条件ではなかったのですが、K氏は「そんな口約束が守れるとは思えない。だいたいきみが担当をはずれればそれで終わりだろう。冗談じゃない。きちんと責任をとって、賠償金を支払ってほしいね」
K氏が腹立ちまぎれもあり相当な金額を提示したので、担当編集者は困り果て、「もう一度、編集長に相談します」と言って、打ちひしがれた声音で電話を切りました。
それから、数日後のこと。
K氏のもとに、晴れ晴れとした声で担当編集者から電話がかかってきました。
「フィルム、見つかりました。がばんを届けてくれた人がいたみたいで、駅から電話があって… かなり日にちががっているのに不思議です…」
K氏のもとには無事、フィルムが戻ってきて一件落着。
しかし、K氏が平謝りの担当編集者を責めたてた事実は残り、その後、その雑誌社からの写真掲載の依頼は一切なくなってしまいました。
そして、数年後、K氏はあまり自分の写真が売れなくなり、どこか売り込むところはないかと苦労していたとき、そのときの担当者があの雑誌の編集長になっているのを知ったのでした。
もし、あのとき寛容に編集者を許していたら…
『成功する人はみんなやっているのに誰も気づいていない人間関係99の法則』徳間書店
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「もう、許せない!」と、相手の過ちを攻め立てることは、誰でもできるし、ほとんどの人は、そういう感情を抑えることができない。
しかし、過ちを攻め立てたところで、自分も、相手も、幸せな気持ちになることは、決して、ない。
「赦す心」を持つことしか、この問題を解決する方法はないと思う。
たとえ、その過ちが、自分の最愛の人を殺したという場合であっても、である。
ある事件で殺された人の遺族が、極刑を望むシーンが報道されることがあるが、恨み辛みを煽る報道側にも問題があるし、そのことで、誰一人として、幸せになれないことを理解する努力が必要だと、いつも感じている。
自分がその遺族の立場になっていないから、そういう、冷静な気持ちになれるのだろう、という方もおられる。
事件の直後は、確かに、そのとおりかもしれない。
でも、遺族の幸せは、最愛の人の死を無駄にしないでほしいと願うことはあっても、犯人への憎しみを持ち続けることではないと思う。
私のこの考えに、賛同できない方がかなり多いことは理解しているが、上記のお話のように「赦す心」を持つことができないことで、自分自身が不利益を被る恐れがあるということは、理解頂けると思う。