自らを成長させる聖域
「自らを成長させる聖域」というお話です。
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吉永賢一です。
今日は「勉強部屋の環境」について書いていきたいと思います。
これはもちろんあなたが集中するための
「仕事部屋の環境」と言い換えても良いかと思います。
まず、とってもとっても大切なこと。
それは・・・
ひとりになれる空間と時間を作る
ということです。
私たちの日常生活は、
「お前の注意を奪ってやる!」
というさまざまな刺激源にさらされています。
これは、10年前よりも、はるかに顕著になっています。
もはや、TV、マンガだけではありません。
インターネット、電子メール、Skype、 SNS、ネットゲーム、携帯電話・・・
いったい、いつ「割り込み」が来るかもわからないし、
自分の注意が誘惑されるかもわからない。
私たちはそんな状況の中にいるのです。
落ち着いて何かを考えようとしても、
別のことが頭の中で動いている。
そういう状態に、なりやすいんですね。
そして、その多くは「売り手」というか、
「宣伝側」の都合でそうなっているわけです。
しかも、人っていうのは頭の中をどうでもいいような
小さいことで多数占拠すると、思考能力が下がって、
判断能力が下がってしまうわけです。
これはおそらく、心のエネルギーが
その“小さな興味たち”に分散されてしまうからだと思います。
つまり、私たちの“メインの思考能力”に
まわされるエネルギーが減ってしまう。
でもこれは、判断能力を低下させて、
何かを売りたい側には、好都合なわけですね。
大量の情報を与えたり(動きの激しい動画、色の刺激など)、
頻繁にさまざまな不安をかきたてたり(地理的なポイントを増やすことで、
思考能力のキャパを超えさせたり)と、さまざまなやり方があります。
そういうことを自覚することが大事です。
それで、“小さな興味”や、“処理しきれない情報”を
与えられがちな現代人の私たちは、そもそも
「勉強向き」ではない環境に投げ込まれていると言えます。
そんな中、自分を守るための、自分の思考力を回復させるための、
自分が必要とする知識を学ぶための“聖域”とも言える場所が、
「勉強部屋」であるわけです。
この意味の「勉強部屋」というのは、
文字通りの“部屋”だけである必要はありません。
それは、どこかの喫茶店かもしれませんし、
川沿いのベンチかもしれません。
公園かもしれないし、
電車の中かもしれません。
要は、「“小さな興味たち”に心をかきまわされない」状況の中に入って、
「このこと以外は考えない」ように意志の力で自分を守ることで、
そこには「勉強部屋」が登場します。
これを「ひとりになれる空間と時間」ということで表現したわけです。
メールなんかも、到着したときに音や光や振動が出るようにしておけば、
いつ介入されるかわからないわけですが、
「一緒に住んでいる人の声」もいつ介入されるかわからない
刺激源になることが多いです。
しかも、これは本当に重要なことですが、
関係性によっては、あえてあなたの注意を奪い、
あなたの思考を混乱させるようなコミュニケーションがなされます。
興味深いのは、「勉強しなさい」という言語表現で、
それがなされることもあるということです
(その介入自体が、集中を奪っているというのに)。
そういう環境とも、何かしらの意味で
“和解”していかなければなりません。
そして、“和解”するには、
これも何かしらの意味で“強く”ならねばなりません。
そして、和解のプランを立てるのにも、
それに必要な知識を得るためにも「ひとりの時間と空間」というのは
とてもとても大切です。
「ひとり」と言っても、
よきコミュニケーションをしてくれる存在はOKです。
良い書籍がそうでしょうし、大自然もそうです。
人間の場合も、あなたが勉強していて、
そこに非介入でただ優しく存在してくれている人は、
あなたのエネルギーを助けてくれます。
注意を奪われすぎて、自我のエネルギーが低下していたり、
あるいは自我が環境に対して攻撃的になりすぎている人は、
まずひとりの時間を確保して、自分を回復させましょう。
そして、あなたの時間で、あなたのペースで学べる“書籍”というのは、
本当に素晴らしい学習の手段、対話の手段です。
その“書籍”すら「速読」にとりつかれてしまっている人は、
もはや“ひとりの時間の友”とすることができないのです。
現代社会は
「自分で考えさせず、判断力を低下させて、コントロールしようとする」
試みに満ち満ちていると思います。
受験勉強も、その多くの実態は“勉強”ではなくなっているものです。
本来、“考える契機”になるはずのコンテンツを、
そうでないプロセスに連想付けさせてしまう。
勉強というのは、あなたが周囲と対話していくことだと思います。
あなたが疑問を投げかけ、
そして向こうからあなたに疑問が投げかけられる。
それに、お互いに答えていく。
“答え”というのは、自然的な反応です。
そんな循環から成長が起こるのであって、
強引に機械的に“採点”したところでそこに良き成長があるか疑問です。
あなたの周囲には、あなたの無意識もあれば、
まわりの人もあれば、出来事もあれば、書籍もあるでしょう。
考え方によっては、天候なども含まれるかもしれません。
異質感が大きいほど、孤立感は高まります。
異質感は“差”を意味するわけですから、
それを統合させていく試みの中に“勉強”は位置づけられると思います。
自らを成長させる聖域。
そんな感覚で、勉強部屋を考えてみてください。
散らかっていても、それが“聖域”であれば大丈夫です。
思索の場所と時間を持ちましょう。
ー吉永賢一
----------↑
情報化社会といわれて久しいですが、あらゆる情報が身の回りにあふれていて、じっくり、自分の考えを静かな場所で、整理して考えることができなくなっているわけです。
だから、自分を成長させるための聖域(落ち着いて思索できる場所)が必要です。
自宅にそういう場所をお持ちの方は、問題ありませんが、なかなか自宅ではそういう時間と場所を作ることができないという方でも、近くの公園とか、行きつけの喫茶店など、自分でそういう場所を確保しておくことが、自分を成長させるためには必要なのですね。
私は、幸い、小さな子どもがいないので、自宅の書斎が聖域になっています。
あなたの聖域は、どこですか?
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吉永賢一です。
今日は「勉強部屋の環境」について書いていきたいと思います。
これはもちろんあなたが集中するための
「仕事部屋の環境」と言い換えても良いかと思います。
まず、とってもとっても大切なこと。
それは・・・
ひとりになれる空間と時間を作る
ということです。
私たちの日常生活は、
「お前の注意を奪ってやる!」
というさまざまな刺激源にさらされています。
これは、10年前よりも、はるかに顕著になっています。
もはや、TV、マンガだけではありません。
インターネット、電子メール、Skype、 SNS、ネットゲーム、携帯電話・・・
いったい、いつ「割り込み」が来るかもわからないし、
自分の注意が誘惑されるかもわからない。
私たちはそんな状況の中にいるのです。
落ち着いて何かを考えようとしても、
別のことが頭の中で動いている。
そういう状態に、なりやすいんですね。
そして、その多くは「売り手」というか、
「宣伝側」の都合でそうなっているわけです。
しかも、人っていうのは頭の中をどうでもいいような
小さいことで多数占拠すると、思考能力が下がって、
判断能力が下がってしまうわけです。
これはおそらく、心のエネルギーが
その“小さな興味たち”に分散されてしまうからだと思います。
つまり、私たちの“メインの思考能力”に
まわされるエネルギーが減ってしまう。
でもこれは、判断能力を低下させて、
何かを売りたい側には、好都合なわけですね。
大量の情報を与えたり(動きの激しい動画、色の刺激など)、
頻繁にさまざまな不安をかきたてたり(地理的なポイントを増やすことで、
思考能力のキャパを超えさせたり)と、さまざまなやり方があります。
そういうことを自覚することが大事です。
それで、“小さな興味”や、“処理しきれない情報”を
与えられがちな現代人の私たちは、そもそも
「勉強向き」ではない環境に投げ込まれていると言えます。
そんな中、自分を守るための、自分の思考力を回復させるための、
自分が必要とする知識を学ぶための“聖域”とも言える場所が、
「勉強部屋」であるわけです。
この意味の「勉強部屋」というのは、
文字通りの“部屋”だけである必要はありません。
それは、どこかの喫茶店かもしれませんし、
川沿いのベンチかもしれません。
公園かもしれないし、
電車の中かもしれません。
要は、「“小さな興味たち”に心をかきまわされない」状況の中に入って、
「このこと以外は考えない」ように意志の力で自分を守ることで、
そこには「勉強部屋」が登場します。
これを「ひとりになれる空間と時間」ということで表現したわけです。
メールなんかも、到着したときに音や光や振動が出るようにしておけば、
いつ介入されるかわからないわけですが、
「一緒に住んでいる人の声」もいつ介入されるかわからない
刺激源になることが多いです。
しかも、これは本当に重要なことですが、
関係性によっては、あえてあなたの注意を奪い、
あなたの思考を混乱させるようなコミュニケーションがなされます。
興味深いのは、「勉強しなさい」という言語表現で、
それがなされることもあるということです
(その介入自体が、集中を奪っているというのに)。
そういう環境とも、何かしらの意味で
“和解”していかなければなりません。
そして、“和解”するには、
これも何かしらの意味で“強く”ならねばなりません。
そして、和解のプランを立てるのにも、
それに必要な知識を得るためにも「ひとりの時間と空間」というのは
とてもとても大切です。
「ひとり」と言っても、
よきコミュニケーションをしてくれる存在はOKです。
良い書籍がそうでしょうし、大自然もそうです。
人間の場合も、あなたが勉強していて、
そこに非介入でただ優しく存在してくれている人は、
あなたのエネルギーを助けてくれます。
注意を奪われすぎて、自我のエネルギーが低下していたり、
あるいは自我が環境に対して攻撃的になりすぎている人は、
まずひとりの時間を確保して、自分を回復させましょう。
そして、あなたの時間で、あなたのペースで学べる“書籍”というのは、
本当に素晴らしい学習の手段、対話の手段です。
その“書籍”すら「速読」にとりつかれてしまっている人は、
もはや“ひとりの時間の友”とすることができないのです。
現代社会は
「自分で考えさせず、判断力を低下させて、コントロールしようとする」
試みに満ち満ちていると思います。
受験勉強も、その多くの実態は“勉強”ではなくなっているものです。
本来、“考える契機”になるはずのコンテンツを、
そうでないプロセスに連想付けさせてしまう。
勉強というのは、あなたが周囲と対話していくことだと思います。
あなたが疑問を投げかけ、
そして向こうからあなたに疑問が投げかけられる。
それに、お互いに答えていく。
“答え”というのは、自然的な反応です。
そんな循環から成長が起こるのであって、
強引に機械的に“採点”したところでそこに良き成長があるか疑問です。
あなたの周囲には、あなたの無意識もあれば、
まわりの人もあれば、出来事もあれば、書籍もあるでしょう。
考え方によっては、天候なども含まれるかもしれません。
異質感が大きいほど、孤立感は高まります。
異質感は“差”を意味するわけですから、
それを統合させていく試みの中に“勉強”は位置づけられると思います。
自らを成長させる聖域。
そんな感覚で、勉強部屋を考えてみてください。
散らかっていても、それが“聖域”であれば大丈夫です。
思索の場所と時間を持ちましょう。
ー吉永賢一
----------↑
情報化社会といわれて久しいですが、あらゆる情報が身の回りにあふれていて、じっくり、自分の考えを静かな場所で、整理して考えることができなくなっているわけです。
だから、自分を成長させるための聖域(落ち着いて思索できる場所)が必要です。
自宅にそういう場所をお持ちの方は、問題ありませんが、なかなか自宅ではそういう時間と場所を作ることができないという方でも、近くの公園とか、行きつけの喫茶店など、自分でそういう場所を確保しておくことが、自分を成長させるためには必要なのですね。
私は、幸い、小さな子どもがいないので、自宅の書斎が聖域になっています。
あなたの聖域は、どこですか?