いま、合宿中だ。(わかってるって!?(笑))

あるちびっ子。小6。

こいつを見てて、感じること。

「コイツは、大手塾ではなく、個人塾に通っていたら、もっと伸びてただろうな」

大手塾は、華やかだ。先生たちもなんか頭良さそうなうえに、よく見るとカッコかったりする(笑)。一目を引く。宣伝もやってる。情報も多そうだ。なんか、

「ここに行けば成績が上がって、幸せになれる」

気がする(笑)。

ハッキリ言おう。

それは、

幻想だ。

ある場合には。ある人にとっては。

大手塾は、面倒見が悪い。

ついて行けない生徒・甘えたの子どもたちは、容赦なく放って行かれる。

いわゆる、「お客さん」になってまうわけだ。

まったく成績など上がってないし、上がる見込みもないのに、

「最初に決めたところだから」

とか、

「昨日も今日も行ってきたところだから」

という理由だけで明日もまた行き続ける。

そして、受験直前になってきて、いよいよ間に合わない、となってきた頃に、

ひでちゃんマンのような(笑)家庭教師、に駆け込んで来る。

駆け込み寺。ひでちゃんマン本舗。

まあ、それも構わないのだが、できれば、そういうギリギリで余裕がないことは避けたいものだ。

そこで、個人塾の出番となる。

個人塾は、面倒見がよい。だから、丁寧に見てほしい生徒、甘えん坊のちびっ子たちでも、落ちこぼれることがない。

ただし。

個人塾の場合、大手塾とはちがい、多数の「講師候補」の人間から選りすぐりの講師か、と言われると、そうとも限らない。

この点、大手塾の場合、まあ、ある程度のレベルの先生が揃っていることは確かである。

ただし、先生の力があることと、生徒に力をつけさせられるかどうかはまた別の話である。

選手として優れていることと監督として優れていることは別であること、

また、

先生によって得意なレベル、というものがあることなどが原因だ。

まあ、個人塾であったとしても、力のある先生はいっぱいいる。

そりゃあ、そうだ。経営なんてしていたら、オールマイティー、なんでも教えられ、しかもそのすべてにおいて高い水準の指導力、という場合もザラにある。だって、命かけてるはずだから。

「ここつぶれたら他の塾で働けばいいや。」って考えてるような大手塾の先生とはワケがちがう。まあ、みんながみんなそうではないのだろうけど。

さらに、

「大手塾は、スゴい情報を教えてくれそう。」

と言うときの

「情報」

とは、「最新入試情報」などを指すが、

そんなものは、基礎的な勉強がきっちりできてから、入試直前の最終仕上げ段階ではじめて意味を持つものであって、

基礎的な勉強もできていない段階でそんなものばっかり追い回してみても、無意味どころか、有害である。

「次は、ココが出るってきいた。だからココをやっておこう。」

と言っていたかと思えば、

「そうじゃない。アソコが出るらしい。アソコをきっちりやらないと。」

と右往左往する。

ハッキリ言おう。

実力があれば、どこが出ようが、合格するのだ。

とにかく、

何事も、

よく見、

よく考え感じ、

そして

決断する。

これが非常に大切なことだと思う。

これは、なにも子どもの教育に限ったことじゃない。

人生全般にあてはまることだろう。




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