祖父母の納骨堂の前で線香に火を付け、

手を合わせた。


もう1年くらい、この場所に来れていなかったっけ。


忙しい忙しいと言い訳して、なかなかこの場に立てなかった。


なんでああいう場所は、自然に涙が流れるんだろう。


幼い頃祖父に手を引かれて歩いた道、

雨の中綺麗に咲く青い紫陽花。 

毎年一緒に必ず行った、曾祖父・曾祖母のお墓参り。

いつもその頃には、空気がピンと張って冷たかったな。

年末年始特有だった。


いろんなことを思い出した。



母はわたしが小学生の頃、とにかく幻聴や幻覚で家の中で叫ぶことが多かった。

そんな母がちょっと怖かった。

でも本音のところ、人を傷つけることはできない人(暴力ふるう、とかの意味で)だと分かってはいたんだ。

きっと本当は、優しい人なんだと。

幼いながらも母は何かフツウではない状態にあるんだと感じていた。


母がそんな状態で、わたしは学校から帰ってすぐ洗濯物を畳み、夜ご飯の準備をして宿題を片付ける。


そんな、他の周りの子たちと違う生活を繰り返す中で、グレずに生きていけたのは、今思い返しても完全に祖父の力。



一度は結婚して出て行った娘(わたしの母)が出戻ってわたしまでいて。

本当のところの気持ちは、最後まで聞けず分からなかった。


祖父は懸命に、本当に朝から晩まで働いて、わたしを大学まで出してくれた。

奨学金を借りようとしていたわたしに、働きながら返すのは負担になる、と全額祖父が出してくれた。


この人には頭が上がらない。

いまだにそう。

何かあった時に、飽きるほど聞かされた、

「夏輝、まっすぐ、とにかくまっすぐに生きなさい。絶対に誰か見ていてくれるから」

ということば。


まっすぐに、生きなさい。


何かの判断に迷った時、

間違った道に進みかけた時、

ふとこのことばが脳裏によぎる。


100%正しく美しく生きてきたなんて言えない。

でも、祖父のことばがあったから、少なくとも人に恥じるような生き方はしてきていない。

それは絶対。





“戦争で目の前を銃弾が飛び交っているのに、脳がそれに慣れてしまってね。何にも怖くなくなる瞬間があるんだよ。頭が侵されているんだろうね。

人が人を殺すなんて、戦争っていうのは、あんなものは絶対にダメだ。”



という話も何十回と聞かされたけど、

そんな壮絶な体験をした祖父だからこそ、

まっすぐ生きなければ!

まっすぐに生きたい!

と強く思ったのかもしれない。




おじいちゃん、わたし、ちゃんとまっすぐ生きてるでしょ?

天国でおばあちゃんと会えてたらいいなって、思ってるよ。


すごい時代を生きたよね、おじいちゃん。

戦争に青春時代を奪われて。

学校も行きたいのに行けなかったって、言ってたよね。

だから孫のわたしには、ちゃんと教育受けさせなきゃと思ったのかな。

もっとたくさん楽しくて幸せで、何より、戦争なんてない人生だったら良かったのにね。

おじいちゃんは何を失って何を手に入れて生きていたのかな。

いつか話せるといいな。



今でもふっと思い出す時があるんだよ、


まっすぐに、生きなさい。

って。

これからもそのことばはしっかり胸にしまって生きていくよ。