生きていれば、辛い事や悲しい事なんか山ほど起こりますよね。
でもそこで人が二つに分かれるのは、運や人に恵まれてるか否か。
神様は運や奇跡と言う形で助けて下さることもあるし、人を通して助けて下さることもあります。
だけど神様がやってあげたくても出来ない人がいるわけですが、そういう人はたいてい「感謝」の気持ちがない。
そして「楽しい笑い」がない。
なぜ「楽しい」と付けるかと言うと、人をあざけ笑うのは違うんです。
あざけ笑い、嫌味が籠った笑い、相手の不幸を笑ったり。
それは笑ってる人自身の波動を下げてる事になります。
楽しい笑いは何よりも一番簡単な波動を上げる方法なんです。
近所のおばさんは苦労されているんですが、でもいつも運が良いんです。
良い人にも恵まれているし、タイミングが良いし。
なぜなら苦労やお金が無い事にグチを言わない。
「なんとかなる」と自分に言い聞かせて頑張っておられるし、人をねたまない。
さらに「感謝」の気持ちを常に持っておられるし、人に対して親切なんです。
だけど苦労することを選んでこられてるのか「自分は苦労者だ」と思い込んでるそれ現実化させてしまってるのか・・・
だけど、その中から色々と学べておられるから偉いです。
今言ったように常に「感謝」、人に対しての思いやりも深く、だから親切。
ですから私はいつもそのオバサンに色々とお世話になり、感謝しているんです。
なので、神様はいつも助けて下さってるわけなんですね。
家ではご主人は気難しい人ですが、息子さんとテレビでよく笑っていると。
私は関西人で良かったと思ったのが、吉本新喜劇や松竹新喜劇、そして漫才や落語の番組もあちこちであったし、親はそれをよく見てくれてたから家に笑いがあったんです。
笑って育ったんです。
父はしょーもない親父ギャグを言いまくり、あまりにしょーもないから誰も笑わないのに、母だけは笑っていました。
母の笑いのレベルが低いお陰で家は明るかったです(≧▽≦)褒めてるのかけなしてるのか・・・(笑)
そんな私は父に似てしまい、同じように親父ギャグを言うようになってきてしまいました![]()
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だから周りの人は「(亡)お父ちゃん降臨してる~~!」
アハハ
でもそんな親父ギャグでも姉は笑ってくれます。
そう、姉は亡母に似て笑いの許容範囲が広い(≧▽≦)
そういう人って良いですよね、ちょっとしたことでも笑えるって。
それ以上に姉のお友達はすごく笑う人で、そんな友達がいる姉が羨ましいです。
私が子供の頃、本当はお金の工面に大変だった家だけに、色々と我慢を強いられたけれど、なぜかそんな事は記憶に残っておらず、幸せな思い出しか残っていません。
貧しくても小さな部屋に家族みんながいて、みんなでテレビを見ながら笑ったり、しゃべったり。
幸せってお金じゃないんですよね。
家族同士が大事に想いやり、皆で笑っていれば、子供は幸せなので近所より貧しくてもガマンできるんです。
近所の友達よりおもちゃを持ってなくても、自分で工夫すればよい。
兄も自分で作ったおもちゃで遊んでました。
お雛様がないけど別に気にしなかったです、なぜなら兄が私のために作ってくれましたから。
でも姉の方が成人してから「私にはお雛様がなかった!」とすねるように。
だけど実は親戚のおばさんが姉のために市松人形を下さってるんですよ。
私はそれさえなかったよと言ってたんですけどねぇ・・・
でも兄が作ってくれたその愛が私を満たしてくれてたのかも。
それでも、お金はあった方が有難い。
だけど、お金では買えないものはいくらでもありますもんね。
運と良い人達はお金では買えません。
神仏に高額のお賽銭をしても叶えてもらえるかどうかは・・・
今を楽しく生きることが一番大事だというスピリチュアルの人達。
宗教だって「人は『今』しか与えられていないのだ」とも。
良い未来になるかどうかは今だと。
今を楽しく幸せにしていれば、未来もそうなると。
大きな事でなくてもいいんです。
些細な事でも良いんです。
たまには自分へのご褒美にこっそり美味しいケーキを食べて「あ~幸せ~
」
お笑い番組を家族と見て大笑いしてみる。
一人だとね、なかなか声に出して笑いにくいんですよ。
でも誰かが一緒だと思ったら、なぜかつまらない笑いでも笑えてしまう。
だから私はお笑い番組の時は、自分の部屋で見ずに家族がいる居間で見るようにしてました。
明日はあそこのイオンまでおかず買いに行くついでに、ちょっとゆっくりお茶飲みながら本でも読もう♪
そう思うと私はワクワクしてきます。
それと「こんな自分ではダメだわ」「情けないわぁ」と思うのはやめて、どんな自分でも「それでいい」と言ってあげて下さい。
これは先日紹介した本にも書いてありましたが・・・
「自分を愛し、自分を大切にしてあげなさい」と。
「魂の向上とは上に上に向かっていくというより、いかに自分の不完全さを許してあげられたか、いかに相手の不完全さを許してあげられたか、そういう中にあると。」
自分の不完全さを許せば、人をも許せる心になってくるみたいですね。
許せなくてもいいけど、責めることはやめたほうがいい。
だからこの本では
「例えば、あなたが息子とケンカしてイライラしたとする。
その時にいろんな感情を抱くだろうけど、その沸いてくる感情一つ一つに言いなさい。
『なんでこんなこと言うのよ!と思った気持ちも、いいよ、いいよ、それでいい、そう思ってそれでいい』
『なんでわかってくれないの?と思った気持ちも、いいよ、いいよ、それでいい、そう思ってそれでいい』
『いつも笑顔でいたいのに・・・』
『元気が出ないなぁ・・・』
自分の感情をいったん全部受け止める、自分の感情と闘わない。これが究極の認め方です」
昔、私がスピリチュアルに興味をもち立ちた頃に出会ったキヨササキモンローさんという人が、おっしゃってたんです。
「私達人間は、不完全で完全な状態でこの世に来ました」
つまり、不完全さである必要があったから、わざとある部分を欠けさせるという注文通りに仕上げたわけですから、言ってみれば「完璧な仕上がり」なわけです。
だからどんな人でも必ず欠点はあります、不完全な状態であります。
人を変えさせようと思っても、自分は変えられないのに無理ですよね。
変える必要はない。
自分も変わる必要はない。
そういう面があるんだなぁと認めるだけでイイ。
私も自分の色々な欠点を認めるようになってから、人の欠点で腹が立ちそうになっても「そういえば、自分も同じような事をしてるわ(笑)」と思うことがあるんですよね。
長々とお読みいただきまして、どうもありがとうございます~。
長文日記の私は友達から別名「大河日記」と呼ばれています(≧▽≦)皮肉か?