ちょっくら自分に浸る。
ゴルフを川でしていた男性発見。
自由だ。
昔、川でおままごとしていた。
砂山と工具やガラクタが散らかった秘密基地、ダンボール、草や植物、タニシなんかもとって子供時代は楽しかった♪
おままごとというより、サバイバル生活。
ここから既に私のファンタジーがはじまってた。
田舎で育った日々は現代社会では学べない実は人間的基盤となるものを培った気がする。
すんごく、この田舎に住んでた事を否定したくなる要因が今多々ある中、真逆に黄金色に輝くものへの道だったことだと思えば否定が肯定へと変わる。
自分に見合った場所が用意されていたんだ。
否定でも肯定でも関係ない。
そこで何かを見つけていくのが、流れにのり前へ進むことになる。
逆らう方が何倍もゴールまで遅らせる。
結局、私が望むのは真実の答えだ。
それを探していたら沢山叡智が沸き起こってきた。
涙も多いに流せど、眩い光も少なからず手にしている幸せな事である。
すべてへ感謝をしたいと思うのは、本当にすべてが繋がっているから。
昔々から繋がっているから。
手紙。
逃げるな。
なおの手紙にはパワーがあんねん。
差別をされない場所を探すんじゃなく、今ここで生きるんや。どこにも逃げんと。
お昼に「手紙」が放送されていたので見てみたよ。泣いて。泣いて。泣いた。
それぞれの人生の壁、正直無理だろうと諦めそうになる。結局諦めてもどこへいっても壁は消えることはないです。壁の向こうがオアシスなら早めにその壁を乗り越えたらそれは得だと思う。オアシスとは、幸せや幸福。
人間にとっての幸せや幸福とは何だろう?
私は、「成長した時」これも根元なる永遠の幸福の一つかなと思うんだ。
生まれてからずっと階段を登ってきた。段にさえ思えない小さなこともちゃんと段として一段一段登っているんだよ。二本足で立って、歩いて、お箸を握れたことから、言葉を話せて、挨拶や早起きを覚えて、何かをしてあげることの感動を覚えて、沢山の感情を知って、話さなくても分かる気持ちだとか、それらの出来事の集大成とこれからも続く成長が私たち。
何かができなくてダメだなとか、取るに足らない人間だとか、
思ってほしくない。
だって本当にそうじゃないから、これらができてきたことが可能性を表す何よりの証拠。
経験を積んだとき、自分に対してちょっと厳しすぎる自分がいることに気付く。
生まれてから死ぬまでずっと共に歩むその人。
つまり、自分を大事にしたいね。
Again
誰もが知る「Again」っていう言葉、
よくよく考えて「Again」って聞いただけでも、泣ける言葉やなって思った。
againってまさにそれまでの人生がなくては認識できない言葉だもん。
苦しまずして生きてきた人はいるだろうか?きっとそれぞれ皆に人生のドラマがある。
最初は何でも純粋に汚れてない。
だから「Tryな精神」もほんのちょっと勇気を出せば実行に移すことができる。
でも、すでに「知ってること」「経験してること」・・・からの「もう一度」って勇気がいるんだなこれが。
「アゲイン」ってそれほど美しい。
「もう一度」
それができるものは勇者だよ。
人間は再生できる力を持ってる。動物も虫も地球も、何もかも
自分が認めなくても私たちはそれ以上の存在なんだ。
再起、復活、再生、自然治癒、どうしてそれらの言葉があるのでしょう。
みんなで糞ころがそうよ?^^



