9月に行った紀伊半島の御神事の記事の全てがアップされないままでしたので、残りの記事をアップしていこうと思います。
写真は撮れないところがありましたので、纏めさせていただきます
9月23日(土)ルートその4
「熊野」は、和歌山県南部~三重県南部の地域を指します。
和歌山県南部には、「熊野三山」と呼ばれる三つの大きな神社があり、熊野三山へお参りするための道を熊野古道といいます。
「熊野三山」という神社とは
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といわれています。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた熊野三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。
熊野三山の神秘性はさらに高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。
浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。
そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。
-参考資料より引用-
⑨熊野本宮本社
参道をすすんでゆくと左側に、祓戸大神(瀬織津姫)が祀られていました。
-ここから-
祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神です。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味です。
『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
速開都比売を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐の禊の際に化成した神に当てることが多い。
-wikipediaより引用-
光の柱をおろし・・・
空の器となり行なわせていただく御神事の全てを上に委ねました。
私は代表して肉体を持っているだけのことだから
ワークを終えて話し掛けると・・・
物凄い光でこたえてくれました
本宮本社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)。
⑩大斎原(おおゆのはら)
写真を撮ることができるのはこの大鳥居だけです。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほどの所にあります。
熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。
古代本宮の地であるここに、神が舞い降りたといわれている大斎原。
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったのだそうです。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたと言われています。
昔、社殿があった場所には、今は2基の小さな石祠が祀られていました。
⑪熊野本宮大社の末社産田社(うぶたしゃ)
大斎原(おおゆのはら)を背にして道を真っ直ぐゆくと右側(堤防の方)にあります。
御祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)(荒魂)
産守りについて書かれていました。
『 八百万(やおよろず)の神々をはじめ、
総てを産みだされた産土(うぶすな)の神と仰がれる
産田社(うぶたしゃ)に鎮まります伊弉冉尊(いざなみのみこと)の
荒御魂(あらみたま)の御力(みちから)を受けられる
「産守り」は、熊野本宮大社でお頒かちしております。』
この日の御神事はここまでです。
御神事を終えて辨天島のそばにある宿へと向かいました。
この日の私が扱ったエネルギーは、限界を超えてしまったのかもしれません。
車に乗った途端、物凄い脱力感と消耗しきったためなのだと思いますが、身体に力が入らなくなりました。
それを感じた瞬間・・・
エネルギーの補充とメンテナンスのため・・・
即、眠らされ(瞬時のことでした)いつもの宇宙船へ連れてゆかれました。
宿に着く頃には、ある程度のエネルギー補充はされていたものの・・・
話す気力もないくらい、まだ、ヨレヨレの状態でした。
かなりのオーバーワークとなってしまっていたのだと思います。
宿から歩いて食事に出かけなくてはならなかったのですが・・・
あまりにも気力がなくて・・・
やまぴーさんがそんな私の表情と状態を感じ取ったのか・・・
「大丈夫ですか?歩けますか?」
と声を掛けてくれたのです。
私だけでなく、やまぴーさんだって、他の皆もエネルギー的なサポートをしてくれたのだもの、しんどくないはずはない。。。
そう思ったら、不思議と頑張って歩こうと元気を奮い立たせることができました。
何気ない優しさをくれる、やまぴーさんに感謝でした
ヨレヨレの状態であちこち歩いて・・・
結局は車で食べに行くことになったのでした
大好きなチャイを飲むことができて、一時の幸せをかみしめた私でした(*^_^*)
つづく・・・
愛と喜びと感謝をこめて