この記事について世間では意見が交錯していますが…
私も彼の意見に賛同します。
いじめをする連中と同じ空気を吸ったり、思想に触れるのは精神衛生上良くない。
いじめと戦うといっても、戦うと彼らと接する時間が長くなるばかり。
人生の無駄遣いだし、特に高校卒業までって長い人生の方向性を決める時代ですから。
そんな連中と同じ空気を吸ってたら、人生狂いますよ。
イジメに負けるな
イジメっ子なんて倍返しでやっつけろ
そんなこと言う人いますが
戦争肯定論者と同じで、やれば勝てるという勝利が前提なんですね。
おおいなる勘違いですよ。
こんな話があります。
あの世界一の柔道家である山下泰裕氏
あの方、小学生の頃イジメっ子で、クラスの子の大半が登校拒否したって話をご存知ですか?
勉強もできて運動神経抜群、その上小学生にして178cm100kg
並の30kg台の小学生が勝てますか?
常識が欠落した凶暴な子供相手に、戦ってこいなんて言っちゃあダメよ
棒で目を突かれたりしたらどうします?
こんなのがいたら、そいつがぐうの音も出ない上の人間に相談するんです。
怪我させられたら警察へ行き、親に責任とらせる。
親はそのように戦い方を教えるべきだし、最悪の場合、場を移すのも必要だと思います。
良い意味での個性を伸ばすべきであり、つまらないことに時間を費やしてはいけません。
もっとも、嫌がらせやイジメを本人もやっていたなら自業自得ですけどね。
人から恨まれるようなことは日頃からやるべきじゃないんです。
日本古来からある仏教観から言えば、因果関係は死んで生まれ変わってもその業(ごう)というものは背負い続けて、悪い事をすれば不幸な身の上になって生まれ変わってしまうといいます。
ことわざにある
袖振り合うも他生の縁
という言葉も仏教からきています。
本当はタショウは多少でも他生でもなく、多生が仏教的には正しいです。
些細なことがらも、自分自身が前世からの深い因縁があったということです。
多生とは前世も一回や二回ではないので、多い、生、が使われています。
見合いで、上手くいかなければ「ご縁がなかった」といいますが、あれも仏教的に深い因果関係を含めているそうです。
縁がないことがわかれば、因果関係として捉えるのです。
世にあるストーカーやインドの結婚を断った女性に危害を加える発想などは仏教観にはないんです。
縁がないとわかれば、次に縁を求めるのが仏教的な考えです。
縁がないのに強引に落とそうとするのは因果の流れに反しているのです。
日本人は無神論者の国と言われていても、流行や職場に対して盲信的になりがちな国だと私は思ってます。
ストーカーが報道されたらストーカーだらけになる国ですから。
善悪も無い、芯も無い、危険だろうと話題になれば乗ってしまう。
会社もまるで信仰の場みたいである。
私自身は信仰をしてませんが、仏教の発想というのは、腐った今の世の中では大切な遺産だと思います。
もっとも仏教が嫌う金欲、物欲、征服欲、権力欲…
そういった欲に駆られた人達が、仏教を利用するのは言語道断ですが。
そういった人達は来世で不幸になるんじゃないですかね。
それにしても
仏教発祥の地であるインドでは仏教を信仰していないというのは残念な話だと思います。
身分を問わず受け入れる仏教は、カースト制度の最下層の人しか信仰をしていないため、インドでは下賤なものとして見下されているそうです。
インドでは仏教は無いに等しいとは、皮肉なものである。