色々気が付かされている今日この頃


クリスチャンになる前は


それなりに私は常識的でしょうと 出来ていると思っていた


自分の価値観で他人を判断していた


そして 自分の中で基準を作って


その基準を目安にして 他の人も 出来るのが当たり前と思っていたのだ



しかし クリスチャンになって


自分の力で色んなことが 思うようにならなくなった時


私の中の基準は 少しずつ崩れて行くのであった


したくても出来ない自分


何だか惨めな自分


それまで それは 出来て当たり前でしょと


出来ない人を裁いていた私


そんな高慢さも 自分では高慢とも思っていなかったのだ


神様 知らなかった以前の私。。。


以前の自分を振り返ると 恥ずかしい


クリスチャンになって少しずつ自分という者を知っていく


神様から自分というものを知らされる


もしも神様を知らなければ


全く持って 嫌な人だった


この先も 苦しい人生だったでしょう


何でこんな思いをするのだろうと


神様どうしてですかと 思うこともあるけれど


そういうことか。。。と後で納得する


また一つ神様から教わった


自分でも謙遜に生きられるけど


神様と一緒に歩む人生は


自分では見つけられない 謙遜さを教えて貰う


素晴らしいなと思います (#^.^#)


そしてね


今まで出来ていたあれこれ


出来なくても良いんだと思った


そんな時が人生のうち あっても良いのだ


キチンとする


キチンとしなくては


そんな 合っているか 合っていない常識に縛られなくても良いんだ


近頃そう思えて


生きることが楽になっている


今までの様に色々出来なくても


私は私で


どんな私でも良いのだ (#^.^#)


神様は こんな私を高価で尊いと言ってくれる


だから凄く頑張らなくても良いのだ


今までのように 100%出さなくても


100%以上頑張らなくても良いのだ


 ハレルヤ 音譜