今日久しぶりの15キロrun。
予想以上にキツく、チャリの息子帯同でなければ音を上げていた。
ヒザ近辺の痛みが来る中、必死の対策走法で活路が見つかった。
今日は折返しごの8キロ位から痛みとの戦い。
予想より大分早い。
残り半分弱をどう乗り切るか、ここで息子帯同で引けない状態がものを言った。
推進力は筋力でなく姿勢で得る、前傾して重力を推進力に変え、足の筋力は着地の衝撃を受けとめるのに8割型使い残りで前傾の維持を作った。
これでどこまで行けるか分からなかったけど、残り5キロ付近では痛みがかなり引いた。
走法の効果を実感。
一番大事なのは気持ち=前に出る。
それで前傾を作り、後は何とかなる。
気持ちが引き気味で重心が後ろならば、そこから推進力を作るにも一歩ずつマイナスからプラスすに転じさせる大きな力が要るし、その分筋力を使うし、何よりせっかく作った推進力をわざわざ筋力を使って殺す作業を都度行うという事になりかねない。
それも姿勢が全ての作用を司る。

で、走ること以外でも同じく姿勢が多くの決め手である事に気づく。
気が乗らず重心が後ろのヤツは、同じ事をするにも後ろの位置から前に持って来るのに力や時間をつかうが、初めから重心が前に乗ってるヤツは、その作業は要らず即本題に入る。
迷いとか当然ない。
精神的なものが実務に直結する事のメカニズムを学べた気がした。
自分が何を成すべきか、あって当然だけど忘れがち、飛びがちなこと。
これを確認していくことは、同時に現在地と目的地の確認にもなる。
静→動を確認していくことがモチベーションの元に成っていく。
keep & go の確認。
一言で言えてしまうが、実際には程々手間の掛かる作業。
だが効果も絶大、というか事を成す上で息をする様に必然。
息をするのと違うのは、意識がないと行われず、意識があっても面倒さが先に立つ事。
けどこの面倒さが消えて、必然感、お得感に変わっていけばやがて意識もさ程要らずに行えていく様に思える。
その狭間に「飛ばし」も入っている。
だから強い意志もまた必要なのだろう。

で、今の俺の使命は後の者達に(新商品、新サービス)創出システムを残していくこと。
それは社内外の活性化を維持するシステムである。
先ずは自身に、それに通ずるルールを課し、実施していくところからはじまる。
組織では指示が発生するが、それが遂行されるかは「信」ね有無による。
出す側に「信」があるのは当然。
受けて動くが側にも「信」がないとそれは成されない。
この「信」が厄介で且つ大切なのは、指示とは別に普段の状態によるどういうこと。

この「普段の状態」が俺の目的地でもあり、相対的にそうではない現在地の確認に繋がる。
先のブログで教育や指導の、する側とされる側での成功要因とかについて書いた。
成功の是非に限定した事ではないが、またそれだけに派生する事でもないが、「余裕」というものがある。
これの有無が色々な事の要素になる。

当人の余裕の有無で、同じ物事でも受け取り方が全く変わってくる。
で余裕の有無は実力の有無に起因してくる。
では実力とは何によって測られるのか?
この場合の実力は本人の中で定義されることが第一となる。
つまり客観的より主観的に実力が「ある」と思っている方が、余裕も生まれる。
余裕があると損得が省かれた状態になる。
劣等感やコンプレックスが省かれ、ニュートラルな状態で物事が受け取れる。
ここで一つ厄介な問題が、物事の受け取りというのは大体において外部からやってくるということ。
外部と自分の間にマイナスの距離を認知した時、自信が壊れて余裕がなくなり判断が自己防衛に偏る、それが損得を主体にした判断になる。
絶対的にそれが悪いと断定は出来ないが、とりあえず短絡的、短期的な視野での判断の傾向が強くなる。
現世の日本では、今日の命を考えての判断は現実的ではない。
もっと中長期的な視野の方が現実的だという諸条件が出揃っている世界だ。
そうでなくても、とにかく余裕感の無さは視野を狭く短くさせる。
その結果、短絡的な損得しかみない考えに陥るリスクが増える。
そうならない様にするには、確りした自分の世界感を持つ事が極めて大事になる。
極論、外部を断絶した自分だけの価値観を、ある部分で構築している事が強みになる。
しかし、それ一辺倒では当然物事は立ち行かないので、要はバランスが大事か。
その立ち位置、基準をどこに置くか、それがその人の個性であり、人格、性格とも言えるだろう。
それが分からないので生きている意味がある。
とかく指導する側は、指導される側の事情も顧みず自分の理論を押し付ける事が往往にしてあると思う。
だが、それだけ確固たる自信がなければ発信源である指導する側の、要は指導の始動さえ成されないのではないのか。

そういう理屈がありながら、一方では指導される側の事情として、指導を受けきれる準備や前提の有無というのがある。
それなしで指導とやらが行われても、消化不良というか受け切れないという事態になる。
恐らくは必然的に。
そして指導は上手くいかなかったという事になる。
受ける側の条件の第一は意思だろうけど、だめな場合の原因の第一もそこになるのだろう。
だから、受ける側の許容に見合う指導が、成功の一因にはなるのだろう。
現在地と目的地とがあってそれが連動すると前進する。
この二つの関係は動機づけと状況把握、ビジョンと現状認識、ミッションと危機意識、使命感と問題意識なども同じ意味に類する。
この二つ及び連動が無い状態だと、その人や組織が作動してない事が起きる。
自分個人に置き換えると、それらが「飛ぶ」と喪失して作動停止になる。
かと言って「飛ぶ」事は度々あり完全に無くす事は出来ない様に今は思っている。
どこか必要不可欠でもあると思う、自分運営において。
ただ必要以上に摂取していると思うので、そのコントロールをする。

コントロール=制御は、現在地と目的地を見失わない為なので、即後に認知した状態に戻れる事が重要である。
だから紙など自分外にバックアップを残し、いつでもそこに戻れる様にする。
あとは自分の運営に必要最低限な「飛ばし」に留めるべきで、その為には事前のプランつまり終了→戻りの設定を固めておく事である。

と、若干話がそれたが、今記しておくべき本当は、題名の通り現在地と目的地とその連動である。
これは推進の大前提要素だが、相乗効果が大きく逆に一つ欠けると失速停滞、大打撃になる。
この事にこの土日の体たらくで気づかされた訳で、この理解がないからおためごかしをこいた訳である。

かと言って現在地と目的地とその連動は、完璧の域は中々に見えないだろう。
だから、その意識を保ち行っていく事(常に探求)が極めて重要。
そこを自分の本懐とせよ。(その中に飛ばしも敢えて入れてくのである)
やり切る事が大事。
ペース配分とかセーブとかでは本当のところは得られない。
出来る事は全てやる。
そうやって何らかを得た事はある。
逆にそうやったならば得られたものは真なり。
もう俺もそんなに時間が残っているわけではない。
残っている時間はやり切る。

このタイミングである人が退く。
これは自分自身がやっていく、やり切っていく時代が来たという事。
色々はあるが仕方ない、いつか必ず来るならば今が最善かもしれない。
大変なのは何時でも一緒だし、それなら早い方が良い。
戻ることは出来ないが一番早いのは今しかない、だから今から。

これでもか、という程やっていく。
書きたくもないが敢えて残す。
一昨日、久しぶりにガツンとやられた。
あの方の手法はただ一つ、プライドを傷つけ悔しい気持ちにさせ奮起を促す。
ワンパターンのそれだけ。
ただ少し素直に分かったのは、育成について本気だからこその手法ということ。
今回、以前と違うのはそこのところ。
けど、これだけで進める事の大きな理由の一つ。
相対評価ありきではなかった。
育成ありきの相対評価、そこんとこ宜しく!
だから奮起さえ成されれば、その時点で相対評価は消える。
勝手にしやがれ!
先のTEDの話からの事例で、天才と秀才の計算サイクルは変わらないと書いたが違くて、天才は計算速度が速い故に蓄積データを予測に使わずとも計算のみで間に合ってしまう。
秀才は天才よりは計算速度が遅いが、予測で補う。
よってインプットが重要になる。
だが本来、計算回数が多い天才はインプット回数も多くなるのでデータ蓄積量も多い。
秀才はデータの使用ノウハウには優れるかもしれない。
皮肉にも、必然的に。
だがそれを皮肉と考えるか、それとも引き出された個性と考えるか。
後者と考え伸ばしていく事方が面白いとは言えるだろう。

アルゴリズムという言葉が先のTEDの中で出てくる。
聞いた事はあるが説明は出来なかった。
調べたところ、ある解を導く手順でプログラムの設計図の様なコンピュータ用語でもあるらしい。
昔から、ものの理や因果関係、仕組み等には心惹かれるものがあったが、正しくそれを言い当てた言葉と言える。
世の中の森羅万象に存在しているであろう理を突き止めるのは難しいだろう。
しかし、全てを解明する必要はなく、求めるべき解に向かうアルゴリズムを突き詰めればいい。
霧散してしまいがちな真理へ向けた、世の中の線引きが「求めるべき解」であり、そこに迫るアルゴリズムこそ、課せられた使命であり仕事となってくる。
TEDで「ドローンの無限の可能性」みたいな回を見た。
そしたらバタバタと倒れて一つの解らしきものがみえた。
ロボット研究者が自律制御で高性能なドローンを開発、紹介。
機体上に棒が自立する様に制御、人が手のひらで行う横に。
その状態で制御したまま倒さないで自在に動ける。
仕組みはカメラで状況把握、PCが状況から計算して指示、機体が動作とデータ収集を行い、その連動が繰り返される。
計算は秒間、20から50回行なわれるとの事なので、その連動サイクルも基本的には同様だろう。

凄い。
で、計算サイクルが状況に追いつかない場合はやろうとした飛行が出来ない。
だが出来る様になる。
追いつかない計算部分をデータの蓄積からの予測で代替えして補い、機体の動作指示とする。
このデータの蓄積と試行が、人間がスポーツ等で行う練習に当たる。

ここで思ったのが天才と秀才の違いで、何となくイメージ出来ていたが、この例を使うとピタッと説明出来る。
計算速度が速いのが天才で、事前のデータ蓄積が無くても、リアルタイムの計算回数でアクションを補正し続けて目的通りの行動を行える。
秀才は計算速度は天才より劣るが、練習により蓄積したデータから、計算では追いつかない部分を予測値で補い、アクションに変えていく。
結果、状況に応じた状況把握、指示、行動、補正のサイクル回数は天才も秀才もかわらず。
ただ秀才には練習が必要。

この考えで幾つかの事の説明がつく。
PDCAについてもそうだ。
計算回数を増やせばアクションの精度は高まり、失敗やムダは少なくなる。
元々、計算速度の速い高スペックな人は経験が少なくても、行動の補正回数で結果に適ったアクションとする事ができる。
また、サイクルを速める、回数を増やす事は、データ蓄積を増やせるので、計算が追いつかない際の補正手段と成り、成功の範囲を増やす事ができる。

恐らく自律制御のロボットや人口知能の研究者達は日頃この様な事ばかり考えたり、また新たに理解していってるのだろう。

そして、これは「今、ココ、私」にも当てはまる。
この言葉は行動の現状確認でもあり、行動指標でもある。
この言葉に自問自答する事を常にする事が行動の補正になり、計算回数を増やす事になる。
まだまだこれで説明がつく事は多そうだ。