全世界平和主義の確立
私はこう思います。全世界平和主義の確立と自由思想による、地球に住む人、全員の人間性を主張する考え方、理念の自由性による新たな思想の芽を潰さない社会の構築と地球人としての新たな社会性を育てる新しい教育書の完成を果たすことが、次の思想を生み出す、原動力と成り得るのではないかと思います。
行きつくところは全世界の平和と成ることでしょう。でも、賢い皆さんは、本当に戦争だけはしたくないと思うことでしょう。
誰もが戦争、紛争の終結を望んでいるのに、平和解決できない理由なんてありません。
これは、何だか「裸の王様」と言う昔話のようなものなのです。
誰かが正そうとしなければ、王様は、裸のまま寒くて風邪を引いてしまう様なものなのです。
権力者を正せる者は、子供の様な正直な国民であり、そして、賢い選択のできる国民の知恵なのです。そして、その子供を持つ親は、子供に真の教育を受けさせる義務の様なものもあるのではないかと思います。私達一人一人が正しい社会性を身に着け、また、誤解の無い正しい理想的な肖像を追求していけば、正しい理想像を追求できるのです。
私は、これからの社会は、両親が賢く子供を育て、子供によって親は、安楽を得て、子供もまた良い暮らしをできる社会を作っていくことで、政治に対しても積極的に考えを出せるように、成るのではないでしょうか!?そして、理想的な生活ができる環境を追求できるようになれば、それがすぐに、政治的な環境を作り出したことになるのではないでしょうか!?そして、政治を動かす新しい風潮を創っていくことが、これから生きていく私たちの正しい選択になると思います。この正しい理想を掲げ次の世代に繋いで行くことが私たちの真の義務なのです。さらに、私は、考えました。宗教、教育、思想、言論などの自由と国家、言語、通貨の統一ではないかと思います。そして、さらに、国の境界線を一つずつ無くしていくことが私たちの務めと成るのではないでしょか?また、社会的な問題を一つずつ解決していくことが全世界的平和国家の成立を容易にしていく近道なのではないでしょうか?そして、それは、難しく絡んだ糸のようで、また、一つ一つ絡み合った糸を簡単には、切らずに解いていくことが出来れば社会的問題も、良い結果をもたらす方向へ、持って行けなければ、何時まで経っても裸の王様は、正しい洋服を着れない裸の王様のままであり続けるのです。それでは、王様も国民も次のステップを歩むことはできません。だから、国民も正直になり、王様も見栄を張らずに正直になったら話は次へと進むことでしょう。また、王様は、最後まで、裸のまま、辛い行進を余儀なく行うのでしょうか!?いやしかし、そこで正直な子供が王様は裸だと言うのです。そして、続く物語のフィナーレは、王様がどのような反応を示すかですが、物語は、ここで終わっているので不思議な余韻を残すことになるのです。ペテン師に引っかかった王様はどんな結末に成るのでしょうか?良い結末を願います!?
文字メディア
文字メディアの書物が、ブログに変わり、紙を使わないメディアになり、ブログや文字サイトが生まれ、各個人に、文字の表現方法を任されたかのようです。
「私達は、、文字表現を大切に使わないといけない」と私は思います。
これは、万人に課せられた課題の様なものだと受け止めなくては、ならないでしょう。
人間は文字を発明し、文字を残せる手段を発見して、DVDやCD-ROM、Bluray-Discに文字を保存できるようになりました。これ無くして、文明や歴史や人間の創った知恵は、後世に残せる媒体とする物は他には在りません。しかし、残すとマズい情報も有るかもしれません。それは、共産国の発禁と為る思想も在るかと思います。
その情報は、思想の自由に反対する共産国の古い思想の様なものでもあるし、国家の恥部、タブーのような代物かも知れません。
資本主義国が、正しい思想か?或いは共産国の思想が正しいのか、私には分かりませんが、これからどちらの思想が正しいかは、今後の政治の在り方と国家の繁栄の進歩の在り方に政治の行方が深まり分かることでしょう。
つまり、日本の政治とは、国民の意見が反映された形で世の中が正しく反映されなくてはなりません。
また、それが正しい日本の政治の在り方だと私は思います。
高校生が学ぶ、政治の理念は、その国の教科書が教える物なので、各国が外国の教科書を非難することが有るのは、その国の思想が表現されており、もっともと言える物でしょう。
母国の教科書に対して、外国のメディアが介入するのは、教育のテキストである教科書が自国の教育をする上で、重要な社会性の書物と成るからでしょう。やはり、資本主義国と共産主義国の教育は時代を経て行く過程で、少しずつ変わって来たために、国の根幹をなす思想にも、変化をもたらし、戦争をするか、議論を戦わせるか、戦争に勝って自国の理念を負国に対して強制していくしか無いのでは無いのでしょうか?たとえば、自国の日本の教科書がアメリカの教育政策により、教科書が変更されたように、思想の強制しか今は、方法がないかのように思われていますが、今の世の中は、昔と比べて変わって来ており、インターネットで外国人との通信が出来、また、次の世代の思想をも醸し出しており、次の思想を期待する事が必要だと思われます。これは、必然的にそうなる思想の様なものだと解釈するに及んでいます。これから生まれて来る世代に期待するしかないようです。でも、戦争での解決は、正解では、無いように思います。今の時代は、平和的解決の道をまっしぐらに進めることこそ良い解決策と思われるからです。戦争による解決は、古い型の政策と言えます。新思想や、新しい哲学でもって、解決策を見だして行こうではありませんか!?今は、戦争終結と共に行われた旧体制の教育政策の見直しをせねばならない時代が来ているのです。
コンピューター自由自在
コンピューターとインターネットと言われるものは、有り難いもので、自分と他人との比較ができるので、自分の立ち位置が分かるようです。
それと、最近になって、本を読むようになったので、言葉の理解の仕方が上手に成り、ボキャブラリーが増えたことで、文章の理解が良くなった点が自分には嬉しいことの一つです。
そして、有り難い事で、文章を書く上で、文字の表現方法が広がり、分かりやすい文章を書けるようになったことが挙げられます。
今までに学校で、国語の時間で作文の書き方は、教わりましたが、実際に書き出したのは、ブログと言う記事を書き出したのが最初の作文の実際でした。
現在、コンピューターは、使われ、社会の要素の一つに、実際になり。今から20年前に予測されたことでした。
科学の進歩は、人間を大胆にしたようです。
これは、僕も考えましたが、他の人も考えた事のようです。
このことは、人間関係を大きく広くしたものでした。
それにより、言葉が進化したのではないかとも思えるし、自分の言葉で語ることのできるブログの存在は大きいように思えてきます。これは、非常に凄い事の様な気がします。
やはり、ぱそこんを使い、Wordのソフトアプリケーションの恩恵を受けてのことのようです。これは、いろんな国の言葉で入力できるからでしょう。と、私は思います。それから、もう一つは、インターネットの凄い通信網も挙げられることにも起因することのようです。ニュースも伝達速度が速いし、各個人の考えも、人の思想の伝達は、メディアを選びません。この、インターネットの広がりは、想像を遥かに超えたものとなっています。
それと、最近になって、本を読むようになったので、言葉の理解の仕方が上手に成り、ボキャブラリーが増えたことで、文章の理解が良くなった点が自分には嬉しいことの一つです。
そして、有り難い事で、文章を書く上で、文字の表現方法が広がり、分かりやすい文章を書けるようになったことが挙げられます。
今までに学校で、国語の時間で作文の書き方は、教わりましたが、実際に書き出したのは、ブログと言う記事を書き出したのが最初の作文の実際でした。
現在、コンピューターは、使われ、社会の要素の一つに、実際になり。今から20年前に予測されたことでした。
科学の進歩は、人間を大胆にしたようです。
これは、僕も考えましたが、他の人も考えた事のようです。
このことは、人間関係を大きく広くしたものでした。
それにより、言葉が進化したのではないかとも思えるし、自分の言葉で語ることのできるブログの存在は大きいように思えてきます。これは、非常に凄い事の様な気がします。
やはり、ぱそこんを使い、Wordのソフトアプリケーションの恩恵を受けてのことのようです。これは、いろんな国の言葉で入力できるからでしょう。と、私は思います。それから、もう一つは、インターネットの凄い通信網も挙げられることにも起因することのようです。ニュースも伝達速度が速いし、各個人の考えも、人の思想の伝達は、メディアを選びません。この、インターネットの広がりは、想像を遥かに超えたものとなっています。
