私は、透明のビニール傘を使っている。
そう、コンビニで売っているアレ。
私は、よく傘を置き忘れてきて無くすので、
私には、良い傘はもったいない。
透明のビニール傘ならお安いので、
無くしても惜しげがない。
もし、お高くて良い傘を、
置き忘れという不注意で無くしたら、
きっと、しばらくは落ち込むだろう。
だから、透明のビニール傘で十分なんだけど、
この間、友達と3人で、おまちへ行った時、
あとの2人はステキな傘だった。
私は、自分のビニール傘がちょっと恥ずかしかった。
いい年をした大人が、
コンビニの透明のビニール傘。
安価で、チャチだし、オシャレでもない。
いい年をした大人なのに、
私が持っているのは、
チープな傘、価値の低い傘だと思うと、
なんだかちょっと恥ずかしかった。
「傘って、すぐ置き忘れてきて無くしちゃうから、良い傘持てないんだよね。」
と、謎の言い訳までしたりして。
でも、しばらくして、
“そうなんだよ。すぐ置き忘れてきて無くしちゃうから、敢えてのビニール傘なんだよ!”
と思うと、恥ずかしさは消えた。
チープで価値が低いことが、逆に、無くしても惜しげがないという価値を産み出している。
価値の低いことに価値がある。
ということは、
存在する全てのモノ(者、物)に価値があるということだなあ、と思った。
価値は自分で決めるものなんだなあ、とも改めて思った。
おまけ1
無くしても惜しげがないけど、
それは、ぞんざいに扱ってもいいと言う意味ではなく、置き忘れないように気をつけなきゃと思いながら、透明のビニール傘を使っています。
おまけ2
“おまち”というのは、静岡市の中心街に行くときに使う言葉なんだけど、これは、静岡の方言らしい。