今日は早い時間にED75機番シリーズIndex 4記事をUpしました。0番台中~後期車番;74~120号機です。印象に残ったことを書いてみたいと思います。

 

いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。

 

本題に入る前に...

ED75機番シリーズIndexの記事Upは今回で終了です。写真はPC画面ですが、矢印

[■ED75機番シリーズIndex]をクリックいただくと

 

最若番の74号機からラストナンバー1039号機まで、機番順にIndex記事が並ぶようになりました。JR化後を走ったED75全機番が揃います。記事のUp順がランダムだったので特定の機番記事に辿り着き易くなったと思います。

今日最後のUpをする前の段階から”あの機番の写真を見たい”という場合に自分でも重宝していたりもします😁。ご覧いただければ幸いです。

初期Up記事など写真が極端に少ないものがあるので、一部リニューアル掲載を予定しています。その時はIndexのリンクも新しい記事に差し替えることになります。

 

ここから本題です。74~100号機まではヒサシの付いた0番台中期車番、顔立ちが引き締まって見えるので好んで撮影していました。写真はED75 98、最後までオリジナルの国鉄色を貫き2005年まで活躍の姿を見ることが出来ました。結構追っかけまわした記憶があります。

 

機番シリーズはJR化後を走ったED75を対象としましたので、最若番はED75 74になります。飛び番で89号機までの9両はJR化を前に一度廃車になり、後に再び走るようになった”車籍復活機”です。

 

JR化後2年程~1989年頃に(恐らく)全検を受けて、順次復活しました。ピカピカに整備されて再び動き出したのは嬉しい出来事でした。ED75 82は(平成)1年3月の検査表記が見られます。

 

最初からJRに継承された最若番はED75 90でした。黒Hゴム化され2007年まで貨物列車の牽引に活躍しましたがヒサシ付ナナゴーに白ガマ化更新を受けた機関車はありませんでした。

 

今回総括する機関車は後述の1両を除きJR貨物継承車で貨物列車牽引の姿が殆どでしたが、僅かながら国鉄時代に旅客列車を牽引する姿を撮影できていました。旧客の普通列車を牽引するED75 85、客レ牽引はヒサシ付に当たるケースが多かったと思います。

 

一方101号機以降はヒサシの無くなった0番台後期車番、160号機までほぼ同形態です。写真はED75 112 郡山全検上がりたての姿を見ることが出来ました。

 

今回の総括記事の中で唯一JR東日本継承だったのがED75 101です。154号機と重連で客レの牽引に当たっていました。146号機以降と同じでJR東日本継承車は短命、1992年の廃車は事故を除いて最も早かったんじゃないかと思います。4カットしか撮影できずに終わってしまいました。

 

JR貨物継承車ながら事故に遭って廃車になってしまったのがED75 104です。101号機と同じく1992年の廃車、4カットしか撮影できなかったのも同じでした。

 

他のJR貨物継承車は長く活躍する機番が多かったと思います。写真のED75 116は2008年まで走りましたが、晩年は側面の明り取り窓だけ黒Hゴム、他は白Hゴムと変てこなことになり、印象に残る機関車です。

 

白ガマ化されたのは ED75 119など3両だけ、0番台でも後期車番を中心に更新工事が行われたようです。101~160号機は1End側のKE77開放栓受が撤去され、歩み板の右側に切り欠きがあって撤去跡に四角いプレートが付いていましたが、

 

ED75 120だけ撤去跡がありません。1両だけ設計が違うとも思えないので綺麗に修復、歩み板まで再建されたと想像しますが、果たしてその通りなのか?どういう経緯でこうなったのか?よく分かっていません。

 

以上になります。テーマ[■ED75機番シリーズINDEX]にIndex記事をUpしていますのでご覧いただけたら幸いです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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