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今日はNゲージ鉄道模型 24系寝台特急ゆうづるの話です。編成端オハネフ24の顔つきを変えてみました。
KATO 10-811,812が在籍 製品設定のままの12両編成で寝台特急”ゆうづる”として運用中です。ED75 1017+ED75 1001(KATO 3075-1)が重連牽引です。写真では既に右側、オハネフ24 4の表情がちょっと変わっています。
こちらが弄る前の姿、ボディーに4つのジャンパ開放栓受があってケーブルを3本接続している姿でした。前にも書いていましたが友人が調べてくれたところ(いつもありがとうです。)オハネフ24、25共に1~27まで(オハネフ24は27迄で全車)ボディーにジャンパ開放栓受があったそうです。
しかし1976~1980年頃に床下へ移設され、ボディーには栓受けが埋められた跡が残ったとのこと。製品は1980年頃の姿がプロトタイプということなので移設前の姿が再現されたんでしょう。左の”あけぼの”オハネフ24 25は移設後で撤去跡が残る姿が再現されています。10-822セットの車両を黒→白Hゴム化して1997年頃の姿を再現したもの、妻面に雨樋が露出しているのと車掌室窓が小さいなどもゆうづる時代の姿とは違います。同じオハネフ24ですがプロトタイプの時代設定違いで異なる姿になっているんですね。
ところが私は国鉄末期の2段式寝台時代が馴染みということで、オハネフについては★★★ 2段寝台化改造をしていました↓。2段化は1983年からですからボディーにケーブル付では時代設定が合わなくなっちゃったんです😅。そこでオハネフ24 4について栓受床下移設後の姿を再現してみよう が今回の趣旨です。
使うのはZ05-1919ジャンパ栓パーツ、先日発売の10-855,856 24系”富士”セットのAssyとして再販されましたが元々あけぼの用のパーツなのでそのまま使えます。実はこれを入手できるのを待っていました😁。なお、オハネフ25 28以降は最初から床下栓受で登場したみたいです。栓受けの撤去跡は無くなりましたが、床下ジャンパ栓は仕様統一、パーツは共通で使えるということでしょうね。
左が元々ゆうづるに付いていたジャンパ栓(Z05-1876)、右のZ05-1919に交換です。矢印の栓受3か所が移設されたものじゃないかと思います。しっかりと再現されています。
ボディーに付いていた栓受を撤去することになるので、パーツを挿し込んでいた穴が残っちゃいます。そこで撤去跡表現として1mm×1mmのプラ角棒をなるべく薄くスライスして切り出したものを使いました。厚さを均一に切り出すのは難しいですが、正方形をしっかり出す方を優先しました。
青20号を筆塗りして、少量のゴム系接着剤で貼り付けています。”貼りました”って感じが残っちゃうんですがこの手しか思いつかず、まずまずかな~😅。国鉄末期はこの姿で運用されていた筈、再現できました😁。
とここまでやったんですが、時代設定は合わずともケーブルゴテゴテは模型的な見栄えとして捨てがたいよな~ と思いました😁。ケーブル付の姿は1980年に一度撮影していましたし..(以下記事↓2枚目の写真)。当初は写真右、編成中間に連結するオハネフ24をジャンパ栓移設後の姿にしてどっちも表現できるように と思っていたんですが、幌枠の形状が異なり(幌パーツを外せば銀枠が出て来るタイプじゃなかった・・😅)、愛称板表示も印刷で表現されたものでした。ダメじゃん..
しかし思い出しました。”あけぼの”編成にゆうづるのオハネフ24Assy(右)に幌枠を取付けて編成中間に挟んだ車両があった、、これは使えます。そこで号車札と行先表示を左のゆうづる編成のものとすり替えることにしました。
右側、これまであけぼの編成に繋がっていた車両にケーブル”復活”です😁。ジャンパ栓パーツ取付やカプラーのMicro Trains化をやらない仮の姿です。変換式テールサインパーツの手持ちが無いのでここまで、また昨日の愛称板ガラスパーツを使うことになりました..(笑)。
ケーブル付で5号車として編成中間に..気分によって時にはケーブル付をしんがりに持って行くのもいいのかな?と思います。
富士の再販でパーツはあれこれ購入、オハネ25の床下パーツが7個です。ゆうづるのオハネ24 2段寝台化に使います。パーツは25形なので24形にアレンジするのにひと手間かかるのですが、なかなか24形が再販されそうにないな~ と入手しました。この後改造に着手です。
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