こんにちは。

1990年10月、31年前の東海道本線山崎-島本間 百山踏切中心の記事も今回が最終となります。塗り替え車もありますが引き続き国鉄形オンパレードでした。

 

やって来てのは京都始発のスーパーくろしお、国鉄形381系ですが先頭車はパノラマ改造されていました。自然振り子式特急電車で車高が低い分、高々と上がったモハ380のダブルパンタが存在感です。

 

後追いショット、非貫通のクハ381を国鉄色で撮影出来なかったのは心残りですねー。

37M スーパーくろしお7号(2枚とも)

 

約1年前の鉄道模型記事↓でUpした381系しなのもこの時の撮影、貫通型クハの国鉄色編成でした。くろしおが2パンタ上昇だったのに対し、しなのは1パン走行だったんですね。走行する方面によってローカルルールみたいのがあったんでしょうか?片パンでも私はオリジナル国鉄色の方がしっくり来るかなー..(笑)。

 

 

スカイブルーの201系普通電車、側窓改造とかされていないオリジナルの姿です。首都圏では早々に引退しちゃいましたが、関西では最近まで頑張っていたんですよね。電機子チョッパ制御車加速時のニーーーーンって音、懐かしいなー。

 

24系寝台特急日本海の先頭はトワイライト色のEF81 103[敦]でした。日本海は奥羽、羽越本線でも撮影していますが、結構トワイライト色が入っていた印象があります。4004レ

 

続いてやって来たのがEF65 1134[関]牽引の12系でした。団臨かな?あちこちの窓が開いていました(笑)。記事後半にリンクを貼りますが、百山踏切最初の記事、あかつきの牽引機1095号機はKE70開放栓受が撤去されていたように見えますが、1134号機は健在でした。青いボディーの下部に付いたグレーのジャンパ栓です。

 

これも素性の分からない回送列車 165系3連×2の編成でした。向日町へ向かう日根野車?意外と撮影が少なかったオリジナルの国鉄急行形電車です。

 

百山踏切での最後は最初と同じ485系の特急”雷鳥”で締めました。Tc300番台の連結器カバーは丸っこい形が印象ですが台形タイプでした。でもオリジナルの国鉄型に近いいで立ちだったと思います。

約3時間の踏切脇滞在で過去2回記事分↓も含め、これだけの国鉄型撮影を楽しめました。フィルムの残量を気にしながらの撮影、今思えば贅沢なひと時だったと思います。ゴハチも撮影出来ましたし..

 

 

 

さて、京都へ戻って帰路へ就くわけですが、新幹線ではありません。当時は学生の身、四国での学会参加に便乗する形で四国ワイド周遊券で遊び回っていた訳で..。

播但線から始まって四国での撮影と続き↓最後は山崎..、写真が残っているのが大きいですがテッチャンの記憶は鮮明にあっても学会の記憶はこれっぽっちも残っていないかも知れません..😅。播但線入りも東京から”大垣夜行”375M乗車でした。

 

 

 

 

 

375Mで出発からほぼ1週間、だいぶ疲れていましたが新幹線特急料金を節約..

京都(新快速)米原(快速)浜松(普通)静岡(急行 東海4号)品川

京都から約8時間かけて品川へと戻っています。静岡で304M急行東海4号に接続できるよう時間を考えて百山踏切を後にしたんだと思います。

 

写真は列車待ち時間のあった米原駅での撮影、EF66 33[吹]牽引、チョイ遅れだったか?の貨物列車がやって来ました。オデコの上に弁当箱..クーラーが搭載され始めた時期だったでしょうか。5065レ

 

上り貨物列車は弁当箱無し、EF66 36[吹]牽引、オリジナル国鉄色のロクロクを捉えていました。2列車とも国鉄コンテナが見られます。5060レ

 

東北のナナゴー撮影が主だったのでレアだった西方面への撮影行(+学会??)、31年前の楽しめた記憶でした。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 鉄道風景写真へ にほんブログ村 鉄道ブログ 電気機関車・ディーゼル機関車へ  Blog村へ

 

鉄道コム 鉄道.comへ