こんにちは。
今日はED75機番シリーズの第101回、751号機です。オリエントサルーン専用機になる機関車です。が、フィルムをScanしてみると専用機とは思えない色々な活躍の姿が出て来ました。意外と枚数が多くなったので2回に分けたいと思います。今回は前編です。
ED75 751[秋] 1972年落成
700番台後期型の1両、登場後秋田所属を変わることなく国鉄民営化され、JR東日本へ継承されます。
最初の撮影はこれ、50系下り客レを牽引する姿でした。この頃はオリジナルの塗色で活躍していました。
1988/08 奥羽本線 大釈迦-鶴ヶ坂 629レ
同じ日、再び50系を牽引し、今度は上り列車で戻って行きます。両EndにKE77開放栓ケーブルが装着されていることが分かります。この時は初めて1眼レフを持っての遠出撮影、この後青森から快速海峡乗車で北海道へ向かっています。
1988/08 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 632レ
今回重連総括制御用ジャンパ栓KE77に関する記載が多く出て来ます。751号機に限らず機番シリーズではよく出て来る話でもあります。丁度1年前の今日、これに関する記事を書いていましたので、以下リンクを貼っておきます。
2年後の秋、再びの鶴ヶ坂です。背後の紅葉を生かそうと下へ降りて行きましたが、”重連と分かっていれば上から撮ったんだけどなー”という当時のメモが残っていました(笑)。
同じED75 700同士の重連ですが、前、後の機関車で床下機器の形状が異なって見えます。次位機が方転して2End同士が連結された重連だったようです。これがあるから秋田のナナゴーはKE77開放栓ケーブル両エンド装着だったと思われます。左右どっちのケーブルを使った?は興味ありますが、連結面を撮影できた訳ではなく、わかりません。
1990/11 奥羽本線 大釈迦-鶴ヶ坂 625レ
1993年11月、奥羽本線客レの廃止に伴い、12月から[青]へ転属し東北本線を中心とした活躍へシフトします。撮影できたのは上の写真から間が開いて4年後、14系の臨客を牽引してやって来ました。中間に12系が1両挟まっています。
1994/11 東北本線(特記以外以下同様) 平泉-前沢 9527レ
東北本線の50系客レを牽引して行きます。盛岡以南から沼宮内まで直通する朝の列車だったと思います。年末ながら雪が無く殺風景でした。
1994/12 好摩-岩手川口 1521レ
寝台特急あけぼのも青森の担当、751が24系12連を牽き連れてやって来ました。
1995/09 奥羽本線 大釈迦-鶴ヶ坂 1001レ
ジョイフルトレイン”オリエントサルーン”の専用機(2代目)として、金帯2本が入った塗色になりました。全検を通ったのかな?綺麗な姿でした。牽引してきたのはフツーに50系客レでしたが..。
1995/12 苫米地-北高岩 529レ
専用機と言いながら特別扱いは一切なし?重連高速貨物列車の先頭でやって来ました。次位はヒサシ付きのJR貨物ガマに見えます。
1996/02 東白石-北白川 3067レ
これは上りの50系客レ、3月ですが雪煙が上がって寒そうです。この時点で青森転属からもう2年以上経ってましたが、秋田在籍時の名残か?、KE77開放栓ケーブルが上り方も付いたままでやって来ました。東北本線へコンバートした元秋田の700番台は、大抵上り方ケーブルが早々に外されていたと記憶していますが..。
1996/03 小繋-奥中山 524レ
春の峠道を行く急行八甲田 です。臨時列車になっていましたがGWの多客臨として走っていました。青い14系がいい感じで映えます。後方に寝台車3両連結の9連でした。
同じ列車です。このアングルは乗客の様子が分かります。一ノ関や盛岡を過ぎて来ていますが、結構多くの乗車がある様に見えます。自分も何度となく夜を明かした懐かしの列車、懐かしの車内です。
1997/04 小繋-小鳥谷 8105レ 急行八甲田(2枚とも)
前編はここまでです。ここまで正調”オリエントサルーン”を牽引する姿は1回も見れていません(笑)。
機番表です。白抜きの機番はUp済です。サイドメニューのテーマ”ED75機番シリーズ”をクリックいただくとこれまでの記事が一覧表示されます。
以上ED75 751 機番シリーズ第101回前編 最後までご覧いただきありがとうございました。