ここ最近はずっと
今まで自分が創り出してきたものと、向かい合ってた。
去年12月の宍道湖ワークで
出雲大社のしめ縄をほどく、というイメージがきて
古いムスビを順にほどいていく中、祖霊社のしめ縄だけが
下にスルスル~と降りていったんだけど
時が来るまでほっとけばいいんだ、と
あの時そう感じたのは、今まで封じてきたエネルギー自身が
これからどうするのかを、自ら選択するためだったからと
後で気付いた。
私の宇宙では、この三次元の事象は
私自身の波動を映写したものだから、全ては私の中が大元。
解放された、ネガだ、闇だと押し込めてきた
見たくないものと、もう一度向き合い、ただ感じきってから
光の輪郭となる、「影」を選択したエネルギー達を繋いでいくのは
愛が物質化するには、光の濃淡、影としての役割も必要だから。
思えば、鳥居を引っこ抜き、しめ縄をほどいてきたけど
実は、御神体の鏡まで割っていたと、これも後で分かった。
出雲大社の神楽殿横にある「鏡の池」、この水面が鏡面であり、御神体の映し鏡でもあって、これを割るイメージをした。そしてそれは私の中の
「鏡開き」でもあったと、1月11日に気付いた。
この日はまさしく、一般的に言う「鏡開き」の日で、ウィキによると、「開き」とは「割り」の忌み言葉なんだそう。
私の中には、自分を知るために設定した鏡があって
太陽の反射で輝く月はその顕現だったし、人も映し鏡だった。
その学びは終わり、一人一人が自分の宇宙
自分の地球を創っていく創造主として、その光をシェアしていく。
あと17回ある私の未来生と、数え切れない過去生の
多次元の私は常に、「今」のエネルギーで互いに影響し合っていて
全ての私は目的を持って、初めから存在していた。
その中に意識を繋いで、時間を創っているという感覚。
この感じも、少ししたら変化していくのかな。
今は、還る旅の途中だから。

